MASUO IKEDA / 池田満寿夫 手淫癖を持つ天使

無垢は堕落しやすい。

天使もまた 堕落する。

かつて森茉莉が「わたしの満寿夫 わたしのイノサン」と呼んだほど“無垢・純潔”を上昇志向の内側に隠し持っていた初々しい版画家・・・・池田満寿夫

傑出した才能を持って周囲から大いなる祝福を受け船出した青年・藝術家・・・だった彼。

60年代のアートシーンを全身で走り抜けるように疾駆し忽ち内外で認められていった・・・満寿夫

彼のことを考えると 少しの苦みが伴う。

藝術家の堕落がいかに簡単かと・・いや 芸術家に限らずヒトは簡単に堕落するのだと。

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版画家としての賞だけではなく小説『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞し 映画を撮り 芸術とは何の関係もない俗悪な人種や大衆に取り巻かれるようになった頃から「社会的な栄誉」とひき換えるように 彼は「堕落」の坂を転がり落ちていった。

「俗世間」から見れば 「出世」だっただろうが・・

          

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若い時 彼は好んで 天使を描いた 或いはタイトルに付けた。60年代の日本ではまだ稀なことだった。

・・・・初期の銅版画にはパウル・クレーの「線と神経」が 迷いもなく模倣されている。

68年に出た『池田満寿夫 私の調書』から(美術出版社)

口絵に収録された作品の題名を書き写しておく。

●子供のいのり

●金曜日は雨

●夢の鳥

●出を待つ天使

●戸口へ急ぐ貴婦人たち

●生徒の名はイヴ

●私を見つめる私

●受胎告知

●聖なる手(Ⅱ)

●楽園に死す

●青い椅子

●夏の夢(A)

●手の意味

●マググリットの空

●ニューヨークから来た女

●青空

彼の輝かしい60年代が終わり 

富岡多恵子から離れ 更にリランとも別れた頃には 

彼の「イノセント」はすっかり見る影もなく崩れ 穢れ 堕落しきっていた。

(最後に満寿夫と一緒に暮らしたヴァイオリニストは厳しい青年(僕)の目には 色情狂の小母さんとしか見えなかった。)

女と版画と小説以外にも 陶芸 書 などあれこれ手を出し 挙げ句の果てはウイスキーの広告に出て

 “残りたいんですよぉ 僕は 残りたいんですよぉ‥‥”

などと恥ずかしげも無くつまらないことを云ったりしていた。

ああ すっかり俗物になりはてた・・

十代の頃から彼と彼の作品が好きだった僕は かなりがっかりしたものだ。

おそらく 残りの人生は 永かったと思う・・・・

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◎今でも僕の部屋の片隅には1968年5月の 日本橋画廊での個展

シルクスクリーンのポスターがフレームされて置いてある。

満寿夫の頭に立方体の青空が被っている『私の調書』とも共通のとても佳い縦長変型のしっかりしたポスターだ・・・

満寿夫は今でも僕の教師と反面教師を兼ねて其処にいる。

ややテレ気味にぶっきらぼうに其処にいる。

池田満寿夫美術館というのもありますが敢えて若い頃の作品を。