神秘を語るグレートデザイナー/Ettore Sottsass
長年に渡りミラノでインダストリアル・デザイナーとして一流の仕事をされ、
『ドムス』誌や『インテル二』誌にも在籍した
デザイン・ジャーナリストの佐藤和子さんのインタヴューに、
間違いなく現代の最も重要なデザイナー
エットーレ・ソットサスはこう応えている。
《まず、デザインという言葉の定義から始めなければならない。
ヨーロッパではもう半世紀も前から、工業製品にどう形をつけるかを検討するという確かな意味を持っていた。しかし今日、私たちにとってデザインとは、私たちを取り囲むすべての環境をデザインするという、広い意味を持つ言葉になってきた。
つまり私にとっても、いままでのような、工業製品は云々といった狭い定義では充分ではない。
いまではコップや鉛筆を作るのでさえ、デザインという言葉を使っているし、衣服をデザインすることも、ファッション・デザインといっているのだから。
この“デザインの広がり”はまた、デザインする目的が広がったことでもあり、デザイナーにとっては特に、企業と関わり合いをもつことともなった。
知ってのように70年代の末、私たち若いデザイナーを中心とした小さなグループが、このデザイナーと企業との関係について、大いに議論し合ったものだ。》
《これはどうしてもいっておくべき大切なことなんだが、イタリアにとってデザインは、常に何というか倫理的な観点から理解され、認識されてきたということだ。
たとえばアメリカのような商業的観点ではなくて、デザインするということは、イタリアでは人間を幸せに居心地よくすることだった。
アメリカではデザインすることは、より多く売ることを意味している。
一方、つい最近までイタリアでは、人生に解釈や説明を与えることがデザインだった。だからデザインの大部分は人間生活や人生を論ずるところからやってきた。
つまり知識層によってもたらされたんだ。
芸術家。画家。建築家、それも住居の意味を考え続け、論議し続けてきた特別な建築家たち。それにデザインを語り合ってきた美術評論家が加わって、大きな知識層を形成したわけだ。
私がいう知識層とは、人間の存在を考える人たち、人間の実在について論議する人たちのことを指している。》
《ここで一つ、イタリアの特徴をあげたい。つい何年か前まで、イタリアにはデザインの学校が存在しなかった。
すべてデザイナーは、建築か美術の分野からきた人たちだった。つまり、前にもいったように知識層からきた人たちだった。
逆にいまでは、デザインの学校があって企業のためのデザインを教えるという、何というかデザインがとても狭い範囲に考えられている。》
最後に佐藤さんはこう質問する
ますます技術革新が進むなか、デザインに未来はありますか、と。
ソットサスの答えはこう。
《現代のような社会では、人間の実在について私たちが全く知らない、とてもたくさんの謎に包まれた神秘的なゾーンが存在している。
私たちが知れば知るほど、人間の存在はより謎に包まれていく。
だから、この不可思議なミステリアスなゾーンについて配慮する誰かが必要になってくる。
なぜなら、合理性のあるゾーンについては皆が心配している。
世界で最も容易なことは合理性のあることなんだ。
むずかしいのは、不可思議な謎と対応することだ。
たとえば、ある人が恋をしたとしよう。
その恋については、どのようにも理由がつけられる。しかし、その先がどうなるかは全くわからない。
完全なミステリーだ。
これと同じように、すべての側面において神秘性は存在している。
だから、未来のデザイナーの役割は、
この不思議なミステリー・ゾーンの楽しさや、この場所やオブジェのイメージを
正確にデザインすることだ。
私はいま、そう考えている。》
1993年6月 ミラノ。ソットサス・アソシエイツ事務所にて。
『「時」に生きるイタリア・デザイン』より。
1995年に三田出版会 から出版されたこの文字通りの名著は
、版元の倒産により、一時は絶版になったが、今はTBSブリタニカに版権が移ったとのお報せをいただいた。入手可能とのこと。
感謝します。