ふかい深い明晰夢のなかへ 夏霧のDiaspora —— 感謝とともに Jota Shimazaki に捧ぐ——

去る四月二七日【イタリア関心空間】闇夜の霹靂たる暴力的閉鎖/無言殲滅により

一〇年近くつづけた 引用による読書記録の習慣 そして記録そのものが一瞬にして奪われ/喪われ 

一〇八日あまり経った

字義どおり 雲散霧消しつつあった『グラッパ/古い瓶』の日記 別名「幽艸堂日乘」を

島崎丈太さんが 貴重な休暇を割いて 電子的虚無のなかからサルヴェーションしてくれた。

(どこで どのような形で 資料として可視状態にできるか まだ未定ですが)

感謝の意を込め 一日だけの エフェメラ的特輯版として復活させたい

いま読んでいる本のなかから

C・G・ユング著 クレア・ダグラス編『ヴィジョン・セミナー2』(訳者多数)

デクラン・カイバード 坂内太 訳『「ユリシーズ」と我ら』

エルヴェ・ド・サン=ドニ侯爵 立木鷹志 訳『夢の操縦法』 

シェング・スヘイエン 鈴木晶 訳『ディアギレフ 芸術に捧げた生涯』を撰び ランダムに引用します

十九世紀 二〇世紀の 文化的革命家の深部に流れる通奏低音 あるいは 精神の深層海流 

無意識ならぬ「集合的思念」を贈ることができたら 幸いです

《 したがって、夢とは二次的なものにすぎない。肝要なのは、思念そのものなのである。幻灯機が生み出す映像がスライド・ガラスに依存するように、夢はそれを生み出す思念に依存するのである。この関係は周知のものであるが、原因と結果の違いは、もっぱら夢の流れ、つまり連想、あえて言えば、観念の偶然の混じり合いによるのである。そうした荒唐無稽の夢を紡ぎだすものが何かを理解するためには、そして、気まぐれな発想、支離滅裂さを説明するためには、その雑然たる思念の偶然性を分析しなければならないのである。すなわち、夢がつくられる論理を捉えることができれば、夢の荒唐無稽さも単純で論理的な現象でしかないということである。》 

              エルヴェ・ド・サン=ドニ侯爵 立木鷹志 訳『夢の操縦法』

                      [第一部 第四章] より

《 ジョイスの企ては、実のところ、聖なるものを日常に再結合することだった。知識人が仰々しい言い回しをするのを聞くたびに、ジョイスは、「彼らが蕪 * の話でもしてくれればいいのだが」と言った。正式な教会も、現代文学の作家たちと同じひどい間違いを犯し、自分たちの特殊な活動を日常生活の慣習から取り去ってしまった。神秘主義者とグノーシス主義者だけが、依然として宗教的実践の次元でのそうした調和を信じていた。シュルレアリストたちと共に、ジョイスは、芸術でその調和に打ち込んだ数少ない立役者の一人だった。》    * 「かぶ」のルビ

《 悲惨な状況の中で、スティーヴンは、罪と過ちで墜ちた世界を通過しなければならない。ジョイスがオスカー・ワイルドの芸術と生涯に見出したものは、ウィリアム・ブレイクが述べたのと同じ真理である。すなわち、人は罪に学ぶのであり、後に正しく行うためにはまず間違う仕方を身につけねばならない。そのような仕方でのみ、現実の日常は再び魅力を持ち得る。一九一四年の世代が犯した過ちは、世紀末芸術の追随者たちが犯した過ちと同じである。彼らの極限的状況の追求は、自らの知を過信しすぎていた。経験の中道的な領域の価値を奪ったばかりか、極めて綱領的でもあった。 経験に不意を突かれ、いかに注視し待つことを身につける方が賢明である。》

ヴァルター・ベンヤミンが言及したように、良い助言を込めた物語などではもはや経験を伝えられないという確信が、第一次世界大戦後に現れた。人々は、一つの振動が別の振動に取って変わられて何一つ終わりに至らないような、今や単なる感覚だけを持っていた。歓喜や失意の極限の瞬間を探求する高尚なモダニズムは、一九一四年から一九一八年の塹壕戦と同様に、もはや意義深い解決ではなかった。だが、『ユリシーズ』は、エリート芸術と日常生活をつなぐことで一つの答えを示した。この作品は実感された経験の重圧から生まれたものだった。人々は日々の生活の中でいかに知的で快活で機知に富んでいるかを認め損ねた悲観的な知識人たちによって、現代生活の価値は貶められてしまった。》

                デクラン・カイバード 坂内太 訳『「ユリシーズ」と我ら』

                     [結論——長い一日の終わり]より

《 この文脈において、一八九八年五月にディアギレフがオスカー・ワイルドを訪ねたことは重要である。ディアギレフは、頽廃的なエロティシズムで悪名高かったイラストレーター、オーブリー・ビアズリーの作品が買いたかった。ビアズリーは他界したばかりだったので、ディアギレフは、ビアズリーの作品を所有している蒐集家を、親友だったワイルドが紹介してくれるのではないかと期待していたのである。ディアギレフが訪問した後、ワイルドは彼の出版者レオ・スミザーズに短い手紙を送っている。この簡単な依頼状から、他のことはともかく、ディアギレフがこのアイルランド人作家を魅了したことがわかる。どうやらディアギレフは、金持ちの「大蒐集家」という、限りなく事実から遠い印象を与えたらしい。「オーブリーのモーパン嬢のデッサンを一枚もっているかい? オーブリーの熱狂的崇拝者だという若いロシア人が来て、一枚買いたいと言うんだ。大蒐集家で、金持ちだ。きみが好きな値段をつけて、一枚送ってやってほしい。オーブリーの他のデッサンについても交渉してみたらいい。名前はセルジュ・ド・ディアギレフだ」

 後年、ディアギレフはボリス・コフノに、ワイルドと会ったときのことを語った。どうみても作り話だが、じつに面白いので、引用せずに済ますのは惜しい。ディアギレフいわく——パリのある大通りをオスカー・ワイルドといっしょに歩いていると、娼婦たちが椅子の上に乗って、悪名高い倒錯者ワイルドが、黒髪だが前髪一房だけ白いハンサムな青年と歩いているのを一目見ようと必死だった。忘れがたい眺めだったにちがいない。ロシア人がワイルドと腕を組んで、娼婦たちの野次や口笛などどこ吹く風とばかりに、散歩していたのだから。》

              シェング・スヘイエン 鈴木晶 訳『ディアギレフ 芸術に捧げた生涯』

                    [7 ペテン師にして誘惑者 1895-1898]より

《 もちろん私たちの合理主義的観点は、生命をそう見えているとおりのものと捉えます。ですから私たちみんなが、社会状況を改善し、人々を教育し、ものごとを私たちがよりよいと考えているようなものにしようと夢見ています。その結果、ますます危険な武器が、それらを操れない人たちに与えられています。たとえば、多数のまったく純真な人たちが教育でだめにされています。知性という手段が、そんな危険な道具を利用できるほど成熟していない人に与えられています。化学者は、責任ある人の手もとにあればまったく安全な化学物質を作るかもしれません。しかしそれは、無責任な政治家たちの手に渡ると破壊的になる。きわめて危険なものです。彼らはそれを弄び、これで何人殺せるかと夢見はじめます。そうなると、しかるべき人の手もとにとどまっていればまったく危険でないものが、地獄のような大惨事を招きます。つまり、ここはあらゆるものごとがそれ自体を成就する世界でありそれゆえに楽園だ、とする信念が地獄を創り出すのです。こういう強い確信は持たないほうがはるかによいでしょう。そこで大宗教——たとえば、キリスト教仏教イスラーム——はすべて、次のように説くがゆえに非常に大きい価値を持つことが認められます。すなわち、こちらで起きることは取るに足りない。状況を改善するよりも、人間のほうが大いに改善されなければならない。人間は、その生を別種の生に対する一種の準備として、こちらでは見出せない永遠の状態に対する一種の準備として生きているからだ、という教えです。もちろんそれを証明することはできません。しかし少なくとも、未解決の問題として保ち続けるべきです。確かだと言えないことはすべて、未解決の問題として保たれるべきだからです。正直なところ、私たちは、何についても確かだと言えません。何ごとも絶対にははっきりしていません。これらの大宗教が真実を語っているかどうかも不確かですし、私たちの科学的な世界観が真実かどうかも疑問です。私たちにわかるのは、あるオランダの哲学者が言うように、「何ごともまったくの真実ではない、ということさえまったくの真実ではない」ことだけです。そう考えるのは非常に健全です。そうすれば、別の諸経験のためのすべての扉を開くことになります。》

              C・G・ユング著 クレア・ダグラス編『ヴィジョン・セミナー 2』

                    [第Ⅶ講 一九三三年六月一四日]より