《 諸君のうち神秘的な素質のもっとも少ない人でも、今はもう、まったく特殊な性質の意識状態
としての神秘的瞬間の存在することを、そしてそういう瞬間がそれを体験する人々に深い印象を
残すことを、納得されるに違いない。カナダの精神病医R・M・バック博士は、これらの現象の
うちでも比較的に明確な特徴を示しているものに、宇宙的意識という名前を与えている。バック
博士は言う、「かなり著しい場合における宇宙的意識は、私たちがみな熟知している自己意識の
膨脹とか拡大とかに過ぎぬものではなくて、普通の人間の所有しているどんな機能とも異なった
或る機能の添加なのであって、それはちょうど、自己意識が高等動物の所有しているどんな機能
とも異なっているようなものである」と。
「宇宙的意識の第一の特徴は、宇宙の意識である。すなわち、宇宙の生命と秩序についての
意識である。宇宙の意識と並行して或る知的な啓蒙が生じるが、これがはじめて個人を或る
新しい存在の段階に立たせるであろう一一個人をまったく新しい種の一員にするといってい
いであろう。これにさらに或る道徳的高揚の状態が添加される。これは筆紙に尽くしがたい
向上と意気と歓喜との感情であり、道徳的感覚に生気を与えるものであって、高められた知
的能力と同程度に顕著でありそれより以上に重要である。さらにそれと同時に、不滅性の感
覚、永遠の生命の意識と呼ばれてよいものが生ずる、これはいつか永遠の生命をもつにいた
るであろうという確信ではなくて、すでに永遠の生命をもっているという意識なのである。」》
桝田啓三郎訳 『宗教的経験の諸相 下』一一人間性の研究一一
[第十六・十七講 神秘主義]より『宇宙的意識』
《 インドにおいては、神秘的な悟りの修練は、太古の時代から、瑜伽という名で知られている。
瑜伽とは、個人と神性との合一の体験のことである。それは辛抱づよい修行に基づいており、食
事、姿勢、呼吸、注意集中、道徳的規律は、これを教えるさまざまな教派によって少しずつ異な
っている。これらの方法によって自分の低い天性の蒙昧を十分に克服した者、すなわち瑜伽の行
者あるいは門弟は、三昧と呼ばれる状態に入り、「本能も理性も決して知りえないような事実に直
面する。」かかる行者は次のことを悟る。一一
「心そのものは、理性を超越した、いっそう高い存在状態、超意識的な状態をもっている。
そして心がこの高い状態に達すると、理性を超越した知識が生まれる。……瑜伽におけるさ
まざまな段階はみな、系統だてて私たちを超意識的状態あるいは三昧に達せしめるためのも
のである。……無意識的な営みが意識の下にあるのと全く同じように、意識を超えている別
の営みがある。そしてこれはまた利己主義的な感情を伴なってもいない。……そこには自我
の感情がない、しかも心は、願望もなく、不安からも解放されて、目的もなく、肉体もなく
して、働いている。そのときにこそ真理は燦然と輝き、そして私たちは自分自身を知るのであ
る 一一 三昧は私たちみなのうちに潜在的に存しているからである 一一 私たちが真にあるとこ
ろの姿を、自由であり、不滅であり、全能であり、有限からも有限界における善悪の対立か
らも全く解放されており、アートマンあるいは宇宙霊と同一であることを、知るのである。」》
桝田啓三郎訳 『宗教的経験の諸相 下』一一人間性の研究一一
[第十六・十七講 神秘主義]より『瑜伽』