〈氾濫/光に於ける高貴な漂流〉加納光於の方へ。

1971年に工房を船出した神秘な方舟

大岡信との共同製作部分を納め有つ函

『アララットの舟あるいは空の蜜』を

南画廊で見たのは今から30年も昔 

72年の 季節はいつだったか。

それは見るというより視認というものだった。

未だ時間を吸い込んでいないそれは

物体としていささか心許なく

日本民藝館で古い物を見慣れた眼には

華奢な青ざめた少年たちのように

静かに儚げに空間を占めていた。

いまは亡き志水楠男が傍らで

その成立過程や由来を話してくれた。

いまとは違い現代美術に興味を持つ

大人も若者も子供も殆どいないに等しい時代の

閑暇で優雅で残酷な時間が流れていた。

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其れより随分前から

加納光於の存在そのものが

僕には【詩】そのものだった。

それまで何処に銅版畫のことを

  [強い水  オー・フォルト]

などと呼んだ者がいただろう。

彼のタイトル/文章/使用語彙すべてが

鉱物や他の天體を想わせる

硬質で変容も腐敗もしそうにない

物質的/観念的・非世界を創りだしていた。

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この武満徹と魂の双生児であるだろう

永劫の流離を続ける少年に

深い光輝あらん事を!

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