林住亭日乗

サボア・ヴィーブルから正木春蔵の染付の中皿 

  二点四枚がとどいた

    お店の表記どおり書くと「染付八角銘々皿」と「染附 松濤文皿

      SAVOIR VIVREといえば

        まだアクシスビル3Fに移るまえ

          六本木のテレビ朝日通りの小さなビルの中二階にあった

            師走も暮れかけたころ

         正月料理の食器として 

       春オープンしたばかりのショップにあった正木春蔵の皿がほしいと

     家人に頼まれお使いに行ったことがある

         すこしググると それは1978年の暮れ

       まだ二十代の終わり

     新年用の新しい皿というのに時代を感じる

         そう われらは昭和の子なり オキュパイドチルドレンなり

              ところで

           閑散どころか 閑寂空間 森閑空間になっている

          ここですが

        サービス終了のアナウンスがあって以来

      罵倒観世音とかアナキストとか言っても 

    十四年も愛用してきた「文房具の喪失」は やはりこころ深部ではキツイようで

      子どもの指しゃぶりや夜尿症のように 買い物ばかりしている / 笑。

       九月中旬以来 ひと月足らずで

        正木春蔵さんのものだけでも

          共箱入りの大物を次々と三点落札

            九寸の赤絵浅鉢    一尺の染付平鉢   高さ二二cm 径二〇cmの鼓型花器 

         モチーフは 赤絵が 鳥を見込みに描いた花鳥

    

               尺平鉢は 中央に散った桜と周りに川面を模した流線 裏は北斎のような大波

                 大きな花器は 鼓型に蜻蛉と蝶々の和風アールヌーヴォー文様

               代償行為であることは 理解している

             しかし 

 

          十四年間にわたる趣味と知性と道楽の母港/笑。

        ROM時代を含めば たっぷり十五年間を過ごした祖国を喪いつつあるのだ

     来月 来年からぼくは「故国喪失者」になるのだ 。。。。

        買い物はぼくにとっての「故国喪失についての省察」の結果なのだ

           三十八年前 最初に購入した正木春蔵の七寸皿

             しっかりしたフォルムはほとんど洋食器

             まるで

         李朝のような表裏総鉄砂釉 端に三日月様赤絵地その上に金彩斜格子

            初期の珍しい抽象文様

              今でも我が家に複数枚ある 

                来年からは

                 本当に寂しいことだが

             これら春蔵の器とともにカンシンクウカンの日々を懐かしむだろう 。。。。

  

                        ・

        さきほどは これもつい先日落札した

           會津八一書 『丹呉本 観音堂』がとどいた

              昭和五十六年に限定四八〇部で刊行

          完璧なデッドストック状態で 価格は新刊時の五分の一に過ぎなかった

             嬉しいといえば嬉しい 、、、

               それやこれやで喪失感をぼかして

                  気を紛らわせている林住期 陋屋の日々だ 。。。

 

                         ・

      

           「 くわんおんのだうのいたまにかみしきて

                    うどんのかびをひとりほしおり 」

           「 ひそみきてたがうつかねぞさよふけて

         

                    ほとけもゆめにいりたまふころ 」

                                    秋艸道人「観音堂帖」より

 

        

      

   

 

 

「臨終」観察日誌

 

「死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。」

                          徒然草 一五五段

  寂滅がひたひたと迫る

    ふとG・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』を思う 。。。

      〈新潮・現代世界の文学〉シリーズで読んだ

        調べると1983年 もちろん巨匠ガブリエルは生きていて

                 前年にはノーベル賞をもらっている

               パソコン以前の時代

             光陰矢の如し

         エクソダスというか 亡命先の選定とか

 

      あれこれしなければならないことが あるのだが 、、、

    結局 外部に「ディアスポラ」を形成するような関空ネット民の「集団移住」はできなかった

      関心空間の終わり方

        遠ざかり方 逃げ方 諦念や感謝の言動から

          ニッポン人の「危機」への対処の仕方を冷徹にみて

          

            すでに約束されている

              ニッポンの崩壊過程と破滅構造を考えるヒントにしよう 

         それが観察日誌を書く理由で 隠れた主要なモチベーションだ

  

『終焉する航海日誌』  消滅点へ向かう遺言状として

約束されたバニシングポイントへ向かっているのは

  「関心空間」だけではない

     ニッポン全体が消滅へ向かって走っている 。。。

   ここが消えたあと たとえば

 来春までには「出版恐慌」が発生するだろう

      書店が次々と消え 雑誌が廃刊に追い込まれ 出版社が倒産し 

          多くの元編集者が 元出版社員元ライター元マンガ家元イラストレイター元デザイナー元カメラマンが 

              路頭に迷う

        新聞 デパート 飲食店 小売店 建設関係 物流関係 サービス産業 教育産業

    約束された不況はドミノ倒しというより

 津波のように次々となぎ倒し「負の巨大連鎖」が起きるだろう

  金融恐慌はドイツ銀行の破綻など 外側から開始されるはずだ

    しかし 破局が始まれば 

      日銀とGPIFによる 国絡みの粉飾された株価は維持できない

           投げ売り

               国債・公債の紙屑化

            取付けさわぎ ATM全停止

          ハイパーインフレ

          強制徴税のための預金封鎖も想定範囲だ

       一億人がルンプロ / ルンペンプロレタリアートになる社会とは

     そういうことだ 

       「派遣社員」とは「ルンプロ」の別名でしかない

           認識したくないだろうが 現実を直視せよ

 

   2013/01/22 にこう書いた 

 《 出版も この国も 葬式と老人介護とフクイチを除いた あらゆる商売は 縮んでいく

  かつて 戦艦大和が三千三百人を乗せて 沖縄に向け 特攻出撃したように

     この国は いま 一億二千七百万人を乗せた 巨大な泥の船と化して

      狂った指揮官と悪辣な官僚の意のまま

       すでに特攻出撃している     》

      三年半が経ち 出生数の減少の緩慢さ以外は ほぼ予想通りになった

        諸君 洗脳装置を外せ 

   新聞を読むな 新聞社が電通と組んで作る俗悪テレビを見るな

    ドラマやスポーツ番組に吊られて大本営放送局の犯罪テレビを見るな

      ニュース番組こそ最悪のプロパガンダであることに

         気づけ 。。。。 

           でも 

               ほとんどのひとにとって テレビを捨てるのは

                 喫煙をやめる100倍はむずかしい!!!

                   テレビ依存症 新聞中毒

              テレビや新聞を「やめられない弱さ」こそ

                  奴隷化ロボトミーを受けた結果であり

                致命的 にマインドコントロールされている 動かぬ証拠 。。。/笑。

     こころあるならば耳が痛むはずの諫言は

         

         たとえ蟷螂の斧でも

      終わりの日まで 毎日 続けるつもりだ

   

    

    

The Last Waltz

 

 十月朔日

    とうとう最期の一箇月 神無月がvanishing pointへ向けてスタートした 

                      ・

          すべてはかりそめにすぎない。おぼえる者もおぼえられる者も。

    骨で城がつくられ それに肉と血とが塗ってあり 老いと死と高ぶりとごまかしとがおさめられている

 ねえ、あんたが頭って呼んでるその安物の地獄、……あたしの声、そこから聞こえて来るって、思ってるんでしょう

               千峯雨霽露光冷 君看雙眼色 不語似無愁

                       ・

            辞世や遺言に代えて好きな「ことば」を選びました それぞれ 

 

                    マルクス・アウレリウス 

                       法句経  

                   ベケット『ねえジョウ』

                    宗峰妙超と白隠慧鶴 

  「君看雙眼色 不語似無愁」は芥川龍之介が『羅生門』の

   扉頁後に掲げ 良寛も美しい双幅に遺したことで知られ

   出典と関係なくいまなお膾炙する「詩」ですが近年の通説は

   大灯国師の偈頌に白隠禅師が著語を付けたとされています

   なお「禅文化研究所」は白隠以前の禅語に典拠があるとの説 

   良寛は「不語似無憂」と記し 今ではその方が一般的です

                    S  A  Y  O  N  A  R  A

  

『入江相政日記』とサミュエル・ベケット

多木陽介の優れたベケット

  『(不)可視の監獄:サミュエル・ベケットの芸術と歴史

読んでいると 

     『入江相政日記』全六巻が届いた

       この日記が刊行された1990年ころはまだ新聞を読んでいたから

          出版時を覚えている

      すでに四半世紀も前である

   それがヤフオクに出ていた

 

      箱入り帯付き全巻で2500円 

        厚めの文庫一冊の値段だ!!

          昭和史を再考するうえで欠かせない資料として入手

         品と独特なユーモアのある文章家として入江相政を好んだ時期もあったことなど思い出す

            さらにトリビアルなことをいえば

             いまでこそ社畜系シモジモが盛んに使う「御社」という言葉は

               ほぼ半世紀前の入江侍従のボキャブラリーだった

           閑話休題

     1905年生まれの入江と

       1906年に生まれたベケット

          歿年も四年しか違わない 全くの同時代人である

             柔と剛の差はあるが 

       面長の顔立ちはどこか共通点があるとおもう  

    サミュエル・ベケットの猛禽を連想させる面貌は素晴らしい 

        とりわけカルティエブレッソンが撮影したポートレートは凄い

         入江の柔和ななかに強い意思を感じる容貌もいい 

      これからは自らが老人になりつつ 藝術家と思想家を中心にした老人研究をするつもり 。。。

         二〇世紀という時代の特殊性を深層で理解し 

           そこに釘付けされず 普遍的神秘道の高みへ向かう 

         サミュエル・ベケット フランシス・ベーコン ルシアン・フロイド 、、、

            入江相政 鶴見俊輔 井筒俊彦 、、、

     ジェイムズ・ノウルソンの大著『ベケット伝』上下二巻を刊行されたときに読んでいたこともあり

      「サミュエル・ベケットの芸術と歴史」の副題をもつ『(不)可視の監獄』は愉しくスリリングに読んだ

         このベケット作品を通じて現代の社会構造を抉ろうとする多木陽介の試みは

             傑出したベケット論でありつつ恐るべき現代社会批評として結実している

      たとえば こんな感じ

 《 その光景は、自然災害だけがもたらしたものではなかった。それは同時に、ナオミ・クラインが「ショ

   ック・ドクトリンと呼ぶ、新自由主義者たちによる経済的ショック療法がもたらした風景であった。ク

   ラインによれば、この「ショック・ドクトリン」とは、市場原理主義の信奉者であるシカゴ派の経済学者、

   ミルトン・フリードマンらが考案したもので、自らの主張する徹底的な自由市場政策を成功させるために、

   戦争や大規模な災害という非常事態を利用して、そのショックに人々が気をとられている間に、民主的な

   方法では実現の難しい自分たちの政策を、人権侵害などの不法行為も辞さずに、強硬に実行するという戦

   略のことで、日本語では、惨事便乗型資本主義とも訳されている。特に戦争に関して言うと、戦争が先か、

   経済利益の確保が先か分からぬ程、戦争と経済政策は、緊密に結託していた。火事場泥棒が火付けの本人

   であることもしばしばというわけだ。 》   「第一〇章 神の無関心」より

    多木は 戦時下のサラエボで『ゴドーを待ちながら』を演出した

     スーザン・ソンタグについても触れている

      いまソンタグの 女優を主人公とする『イン・アメリカ』をゆっくりと読みつつあるので

        改めて扉を開くと この小説は《サラエヴォの我が友たちへ》と献辞されていた 。。。

      読書は世界がリンケージしていることをいつも教えてくれる 

       読書に魔法や魔術 神秘を感じないなら それは本物の読書ではない

     読書中のリスト

  『人工地獄現代アートと観客の政治学』クレア・ビショップ 大森俊克訳

  『革命のジョン・レノン:サムタイム•イン•ニューヨーク•シティ』ジェイムズ•A•ミッチェル 石崎一樹訳

  『1941:決意なき開戦/ 現代日本の起源 』堀田江理

  『エリアーデ=クリアーヌ往復書簡 1972-1986』

  『評伝 ウィリアム・モリス』蜷川久康 

    最近購入した本

 『写真集 土方巽 肉体の舞踏誌』森下隆 編著

 『Leaves  立花文穂作品集』 

 『自選 濱田庄司 陶器集』一九六九年刊 

 『入江相政日記』    

       

        『井筒俊彦全集』別巻がとうとう出た 鶴見俊輔『敗北力』も 申し込もう 。。。

    

         

       

蒼氓

《 僕等は皆 

  逆立ちの Dancer

  押し黙ったまま ただ 

  踊る 

  Step も決めず 

  冷えた身体 揺らすだけ 

  窓の外は闇 

  窓の外は 闇  》

          山下達郎 『DANCER

   この七〇年代の名作というしかない絶唱は『SPACY』LP 試聴盤で77年に聴いてから

  何度聴いても こころ動かされる

   あの時代から間もなく四〇年が経つ

     敗戦によって日本に主権がなかった時代「占領下の子どもたち」の直後

       一九五三年二月うまれのポスト・オキュパイド・チルドレン 山下達郎もすでに六三歳

          『DANCER』から一〇年ののち88年『蒼氓

         いま

     この重く陰鬱な「うた」に改めて耳を傾ける気になっている 

        駄文を綴りながらユーチューブを視聴していて

      驚いた ライブヴァージョン「蒼氓」のあいだに岡林信康の「私たちの望むものは 、、、」

        あるいはカーティス・メイフィールドの「People Get Ready」が

           力強く挿入されていたことだ (10:06秒〜)    

         ぼくの考えでは 山下達郎

       ミュージシャンとしてもひとりの自律した市民としても

  

     かなりふかい部分をコアに持ったホモポリティクスである 。。

    

直接は関係ないが 

  今読んでいるレジス・ドゥブレ『思想としての〈共和国〉:日本のデモクラシーのために』から

     とくに重要と思われる部分を引用したい

 《 共和制においては、社会は学校に似ていなければならない。その場合の学校の任務はといえば、それは何事も

  

  自分の頭で考え判断することのできる市民を養成することにある。ところが、デモクラシーにおいては、反対に、

  学校が社会に似ていなければならないのである。デモクラシーにおける学校のもっとも重要な任務とは、労働市

 

  場に見合った生産者を養成することなのだ。その場合、学校は「社会に対して開かれて」いることを要求される

  し、また教育は各人が好きなように選ぶことができる「アラカルトな教育」でなければならない。共和国におい

  ては、学校は囲い壁の背後にある、固有の規則を持った閉ざされた場所以外のなにものでもない。この社会から

  閉ざされているという性質がなければ、学校は、社会的、政治的、経済的、宗教的な力の矛盾した作用に対して、

  独立性(ライシテ=非宗教性の類義語だ)を保つことができないのである。学校についてこんな言い方をするのは、

  人間を彼の置かれた環境から解放しようとする学校と、逆に、その環境によりよいかたちで送り込もうとする学

  校は、名前は同じでもまったく別物だからである。共和国の学校は知性豊かな失業者を生み出すと言われ、デモ

 

  クラシーの学校は競争力のある馬鹿者を育成しているというわけだ。これは両陣営による意地の悪い批判の応酬

  である。》     「あなたはデモクラットか、それとも共和主義者か」 より

      デモクラシーと社会主義しか選択肢がないとか 

  この国のポツダム民主主義と選挙制度だけが至上の政治形態と信じ込んでいるひとは

      狭量なうえに騙されている 

             ぼくが罵倒する 国畜あるいは絶対愚民 は その事実に立脚している 。。。

    

       

   

   

      

     

         

      

  

一億人が「ルンペン•プロレタリアート」になっていく社会 。。。

 

いまや 

 日本政府は意図的に貧乏人を大量「増産」している

   増やすのは まとまったカタマリとして切り離し アッサリ棄民するためである

     ところが

   ルンプロ諸君 ルンペン予備軍諸君はそれに気がつかない

     ルンペンどころか 

        笑止なことに 彼らは自分がエリートの一員だと 信じて疑わない

          有名大学を出たし 一流品を身につけている

            食べ歩きもするし 服や靴や腕時計にも詳しい

              いまは 誰でも少し探せば「高慢」になれるネタくらい持っている

            東京では学年人口の73%が大学まで進学する 

          全国平均でもすでに過半数が大学生になる

       戦前の旧制高校生は世代人口の1%にみたなかった

    高等女学校の生徒ですら 大正初期は二十人にひとり 昭和十年でも16%と記録されている

       大学生になる それだけで凡庸な多数派なのだ 

         客観性を持てれば ルンプロ脱却の道も見えるだろうが

    

           この腐敗した国家社会を構成する大多数の全き愚民は

             胸裡心中では 震えるほど不安な癖に高慢なポーズを崩さない 

                       なぜなら

                みんな そうしてるから  。。。

            根っからの奴隷根性なのだ

        政府も政府なら 民草も愚鈍で怯懦なのだ     

 

      人一倍 身なりに気を使う ネオルンペンの時代 

    清潔に腐敗した ソフトなファッショ社会 。。。。  

       

              ★

           対抗手段 抵抗する方法は 

             意識革命しかありえない

               具体的には

                 まず「暮しを小さく」することだ

                    小さくすることで 

                       隙間ができ 身動きがとれるようになる

                    ほとんどのニッポン人は 

               老人から子どもに至るまで 実態より大きく見せようとして

           背伸びし爪先立ちし 無理に無理を重ねて生きている 

             それはピチピチに窮屈な衣服を身にまとうのに等しい

    

               精神を纏足の型に押し込めながら

 

                 意味を喪った「出来る奴」のフリをまだしている

            降りろおりろ 満員電車や住宅ローン 生命保険からドロップアウトしよう 

         ゆっくり のんびり睡ろうじゃないか こころゆくまで休もうよ

       

             生き直すのはいま

                ひとをうらやまず 

                  自分を卑下しないで

   

                万国の浮浪児 ゆっくり疾走せよ!!!