『入江相政日記』とサミュエル・ベケット
多木陽介の優れたベケット論
読んでいると
『入江相政日記』全六巻が届いた
この日記が刊行された1990年ころはまだ新聞を読んでいたから
出版時を覚えている
すでに四半世紀も前である
それがヤフオクに出ていた
箱入り帯付き全巻で2500円
厚めの文庫一冊の値段だ!!
昭和史を再考するうえで欠かせない資料として入手
品と独特なユーモアのある文章家として入江相政を好んだ時期もあったことなど思い出す
さらにトリビアルなことをいえば
いまでこそ社畜系シモジモが盛んに使う「御社」という言葉は
ほぼ半世紀前の入江侍従のボキャブラリーだった
1905年生まれの入江と
1906年に生まれたベケットは
歿年も四年しか違わない 全くの同時代人である
柔と剛の差はあるが
面長の顔立ちはどこか共通点があるとおもう
サミュエル・ベケットの猛禽を連想させる面貌は素晴らしい
入江の柔和ななかに強い意思を感じる容貌もいい
これからは自らが老人になりつつ 藝術家と思想家を中心にした老人研究をするつもり 。。。
二〇世紀という時代の特殊性を深層で理解し
そこに釘付けされず 普遍的神秘道の高みへ向かう
サミュエル・ベケット フランシス・ベーコン ルシアン・フロイド 、、、
ジェイムズ・ノウルソンの大著『ベケット伝』上下二巻を刊行されたときに読んでいたこともあり
「サミュエル・ベケットの芸術と歴史」の副題をもつ『(不)可視の監獄』は愉しくスリリングに読んだ
このベケット作品を通じて現代の社会構造を抉ろうとする多木陽介の試みは
傑出したベケット論でありつつ恐るべき現代社会批評として結実している
たとえば こんな感じ
《 その光景は、自然災害だけがもたらしたものではなかった。それは同時に、ナオミ・クラインが「ショ
ック・ドクトリンと呼ぶ、新自由主義者たちによる経済的ショック療法がもたらした風景であった。ク
ラインによれば、この「ショック・ドクトリン」とは、市場原理主義の信奉者であるシカゴ派の経済学者、
ミルトン・フリードマンらが考案したもので、自らの主張する徹底的な自由市場政策を成功させるために、
戦争や大規模な災害という非常事態を利用して、そのショックに人々が気をとられている間に、民主的な
方法では実現の難しい自分たちの政策を、人権侵害などの不法行為も辞さずに、強硬に実行するという戦
略のことで、日本語では、惨事便乗型資本主義とも訳されている。特に戦争に関して言うと、戦争が先か、
経済利益の確保が先か分からぬ程、戦争と経済政策は、緊密に結託していた。火事場泥棒が火付けの本人
であることもしばしばというわけだ。 》 「第一〇章 神の無関心」より
多木は 戦時下のサラエボで『ゴドーを待ちながら』を演出した
スーザン・ソンタグについても触れている
いまソンタグの 女優を主人公とする『イン・アメリカ』をゆっくりと読みつつあるので
改めて扉を開くと この小説は《サラエヴォの我が友たちへ》と献辞されていた 。。。
読書は世界がリンケージしていることをいつも教えてくれる
読書に魔法や魔術 神秘を感じないなら それは本物の読書ではない
読書中のリスト
『人工地獄:現代アートと観客の政治学』クレア・ビショップ 大森俊克訳
『革命のジョン・レノン:サムタイム•イン•ニューヨーク•シティ』ジェイムズ•A•ミッチェル 石崎一樹訳
『1941:決意なき開戦/ 現代日本の起源 』堀田江理
『エリアーデ=クリアーヌ往復書簡 1972-1986』
『評伝 ウィリアム・モリス』蜷川久康
最近購入した本
『写真集 土方巽 肉体の舞踏誌』森下隆 編著
『Leaves 立花文穂作品集』
『自選 濱田庄司 陶器集』一九六九年刊
『入江相政日記』
『井筒俊彦全集』別巻がとうとう出た 鶴見俊輔『敗北力』も 申し込もう 。。。