T.S. エリオットの詩のある空間  終の棲家へと移動 する

    いま

   サミュエル・ベケット読みながら

 三ヶ月に及ぶ

   近距離大移動の真只中

     先月28日に第一回目

       今月25日には第二回を予定

          それぞれ

       引越のサカイが活躍

         (特に貴重な本や繊細なアートピースは

             直線距離にして約2Km  

                                                    道なりで3000mほどを

                六段変速のママチャリ活用

                  L.L.ビーンの大型トートバッグと

                    グレゴリー各種バックパックを駆使して

                      手運びしている)

            かなり背の高い書架へ

              膨大といいたいほどの

                分厚いカタログレゾネ

               薄厚まじえた

          アーティストブックが並び始めている

                 陋屋の寝室にあった

         ホックニーの大きな銅版画『ミケランジェロへのオマージュ』

             昨日

           居間の瓦斯式暖炉のうえに掲げられ 

              ようやく      

          ワタクシどもの空間らしく

        閑静に活き活きとしてきた / 笑。 

 

《 In the room the women come and go

     Talking of Michelangelo. 》

   「部屋では女たちが行き来し

       ミケランジェロの話をしている。」

   エリオットの『J.アルフレッド・プルフロックのラブソング』

        から採られた言葉 。。

 

   画面内にそう記されたホックニー

        1975年製作 エッチング・アクアチントを

         手に入れたのは

                                          発表からやや遅れた

                 三〇代なかばだった

  ウォーホルの『毛沢東』や『ミック・ジャガー

    ピータースバーグから出たジム・ダインの版画ポートフォリオ

       『ドリアン・グレイの肖像』などは手放したが

           ホックニーから離れたことは

               一度もない

  

彼の名を知ったのは

   美術出版社が出していた版画雑誌『季刊版画』だった

     1968年の創刊から購読したこの趣味的小雑誌

           半世紀を経ても

         いまだ愛蔵している

       確かめると

          デヴィッド・ホックニー

       1970年『季刊版画8』「イギリスの現代版画」特集で

     キタイ アレン・ジョーンズ リチャード・ハミルトン

        と一緒に紹介されていて

        ほぼ五〇年ちかい「知己」である  

 

 

 

           

   

 

 

 

形而下から形而上へ 業務連絡  或いは その逆として

2017 → 2018

年末から年初にかけて読みつつある本

 

アレクセイ・ユルチャク『最後のソ連世代/ブレジネフからペレストロイカまで』

        半谷史郎訳 みすず書房

堀真理子『改訂を重ねる《ゴドーを待ちながら》/演出家としてのベケット

              藤原書店   

南嶌宏『最後の場所:現代美術、真に歓喜に値するもの』

              月曜社

紀平英作『ニュースクール:二〇世紀アメリカのしなやかな反骨者たち』

              岩波書店

リチャード・J・バーンスタイン『哲学のプラグマティズム的転回』 

     廣瀬覚 佐藤駿訳 岩波書店

ジャック・アタリ『2030年ジャック・アタリの未来予測』

         林昌宏訳 プレジデント社

ロジェ・グルニエ『写真の秘密』宮下史朗訳

              みすず書房

ロジェ・グルニエ『書物の宮殿』宮下史朗訳

              岩波書店

根本彰『情報リテラシーのための図書館:日本の教育制度と図書館の改革』

              みすず書房

ノーム・チョムスキー『アメリカンドリームの終わり』

    寺島隆吉・寺島美紀子訳 ディスカヴァー・トゥエンティワン

デヴィッド・ハーヴェイ『資本主義の終焉』

    大屋定晴・中村好孝・新井田智幸・色摩泰匡 訳

                        作品社

ヘイドン・ホワイト『メタヒストリー:一九世紀ヨーロパにおける歴史的想像力』

         岩﨑稔 監訳 作品社

 

堀真理子さんの「ゴドーおよびベケット論」極めて澄明な傑出した評論

 (『ベケット伝』をはじめ関連研究書をかなり読んできたからわかる)

        

   HCB/アンリ=カルティエブレッソン写真集

   『ポートレイト:内なる静寂』

      表紙が素晴らしいベケットの肖像

        仏語版や英語版は高いので

          岩波版を購入しようか 

    しばらくベケット熱に襲われそうだ 

 ジャック・アタリにしてもチョムスキーにしても

    この星の未来がとても暗いことを

      かすかな希望を持たせるため婉曲ではあれ

         正確に示唆 描き出している

 ヘイドン・ホワイトは何冊目かだが

    デヴィッド・ハーヴェイは始めて読む

 チョムスキーとともに

   ヘイドン・ホワイトとデヴィッド・ハーヴェイを継続的に読む予定

 

 ハーヴェイの本にある「負債懲役制度」という言葉に震撼する

    注釈として

 括弧内には[債務返済のための奴隷労働}とある

 人生のスタートラインですでに負わされている奨学金という名の高額借金および

   超長期返済住宅ローンは まったくそれに相当するだろう

    もう一度書いておこう  

                 「負債懲役制度」 !!! 

     ぼくがこの国の現況を

「高度な奴隷制社会」と呼ぶのは自ら奴隷になりたがる

  高学歴大衆 高学歴プア 社畜国畜 

   巧妙に人生を簒奪され

     騙されていることに自覚のない

        修士・博士ルンプロたちで

          構成された社会だからだ

 

    現代日本を象徴するルンペンプロレタリアート

      遺憾ながら

        数万人を数えるだろう

          大学の非常勤講師群だと言わざるをえない

 

 

おそらく今年最後になる

   きのう届いた本は

     今村秀太郎『宗悦本と向日庵本』古通豆本20    

     特装版 限定150部の内 第17号  

     二重箱 昭和四九年六月一五日発行

     素晴らしいミントコンディション

 

     同年五月一日発行の並装版は架蔵していたが

     それの「定価五〇〇円」を少し上回るだけの

     価格「六四〇円」で落札 。。。

         

           ところで

     昨夜ヤフオクに注目すべき「商品」が出ていた

   瀧口修造『余白に書く』著者署名入 限定四〇部新局紙版 

         野中ユリ宛 献呈本

           私見では

      もっとも署名が美しい 

         絵というか 様になっている

          人物が瀧口修造である

        そのなかでも

          これは白眉の一冊だ

 

      『余白に書く』の限定四〇部本 新局紙印刷版は

               おそらく

            稀覯本すぎて

         これまで見たことがない

    10万は超えるかもと

       思いつつ三万円台のとき

         6万弱を入札して寝た

           今朝見ると

              さすがに

            151、000円で終了

               他人事ながら素晴らしい

 

          瀧口修造の本造りに

           柳宗悦刊本の余韻 残響を聴くのは

              ぼくだけだろうか 。。。

    

    

     

 

 

 

OAXACA MEXICO : オアハカの赤いライオン

   丁寧な梱包で

二本のメスカルが届いた

「MEZCAL REAL MINERO / TOBALA」

       と

「WAHAKA MEZCAL / TEPEZTATE」

       かつて

     関心空間の雲衣。日記に

 『「MEZCAL」への旅』と題して 

     長文を書いて

        最後の方に

《 ぼくのこころは稀少野生高山種アガベによるメスカル

「トバラ」や「テペスタテ」などに占領されている          

  特に貴重なこの二種類を中心に

 一〇本あるいは二〇本ほどのコレクションをつくりたい 》

     こう書いたのは2015年10月

         それから

       二年間で

      ゆるやかにコレクトはすすみ

   トバラとタペスタテ中心に

          貴重なメスカルを

        二〇本ちかく蒐集した

     その多くは

    メキシコ民芸雑貨とタコス

    大阪TOMBOLA店主 S氏が

      オアハカで購入して

       「手運び」で持ち込み

         国内発送してくれたものだ

       本当に感謝にたえない

    

    ところで

 「オアハカの赤いライオン」とは

    サパティスタ民族解放軍/EZLN

         あるいは

                マルコス副指令官のことではなく

         ふるい玩具

   もう三五年もむかし

    渋谷にあった頃の

      奥村土牛のご子息がやっていた

         べにや民藝店で

       購入した赤い木彫のライオン

         メキシコ製ウッドカーヴィングのことである

         L 35cm   H 14.5cm  W 8.5cm

      七〇年代に作られたそれは

         もうすっかりヴィンテージの風格を持つ

      メキシコ製だということは当初から知っていたが

    この独特な木彫玩具が

      オアハカ州で産したものとは

        最近まで気がつかなかった

     数ヶ月前

   暑い盛りだっただろうか

     いまは老舗になったセレクトショップHPに

       ヴィンテージ品として驚くような高額で

           扱われていた

 

      時代ももっと若いし 

        フォルムの魅力も

          所有するものより

            ずっと劣ったそれが

         20万とかで売られていた /笑 。。

 

     あまりよく覚えていないが

       べにや民藝店で買ったときは

          3000円とか4000円だったと

             おもう

 

        その霊力ある赤いライオンが

       貴重なメスカルを呼び寄せてくれているノダ

         そう思うことにした  

 

   ジークムント・フロイト

    ギリシアやエジプトの骨董蒐集家で

      古いフィギュアを

     まるで近衛兵ででもあるかのように

        机上に並べている

          有名な写真がある

 

     あれを老生は

         メスカルとりわけ

       霊性を感じさせるトバラ タペスタテ

           のボトルで

          やるつもりだ / 笑。

 

        一緒に赤ライオンもおこうか 。。

 

 

     

 

 

 

 1949+68=2017

 「もはや 余生である。」

           生意気というより

       驕傲を超えて

      そう宣言したのは

         二〇歳になったころだった           

            それから

          約半世紀が経ち

        先月

      六十八歳になった 。。

            随分

      ながい余生をおくったことになる / 笑。

 

        幻燈でみた

    オスカー・ワイルド幸福の王子

         独特な厭世観

     深甚かつ霊的な衝撃をうけたのは

          五歳だった

  

       厭離穢土

          同時に

           幼稚園にはじまる

            椅子とり競争とも

             呼ばれる

           「ラットレース」から降り

 

      不可視の私立「脱走兵」として

        隠棲 隠遁者として

          マージナルな「余白としての人生」

            生きてきた  

         協力者とともに

  

         最近になって  

      フランコ・ベラルディも

    ディヴィッド・トゥープも

       読みながら

        1949年生まれであることに

          気づいた

      スラヴォイ・ジジェクも同じ年だ

 

    13歳でビートルズにショックを受け

       同じ年

 リンカーン・プレジデンシャル・コンチネンタルに乗った

    JFK 暗殺を国際中継によるテレビで見る

        さらに 

   1968年パリ五月革命

      文化大革命

         ヒッピー ラブ&ピース

          ライクアローリングストーン

       先進国トンガリ青年総叛乱

       ジジェクもトゥープ ベラルディも 

      騒然たる十代をすごしたはずだ

        

          やがてテロルと内ゲバ

       血生くさい70年代80年代が始る

        バーダーマインホフ・グルッペ

          赤い旅団

            連合赤軍 

              ウェザーマン etc.

               これら「極左組織」に関して

                 語ることはしないけれど 

     それでも 

       今よりはましな時代だったと

         はっきり言っておこう

                   。。。

                    

             そういえば       

     『図書館 愛書家の楽園』を書いた

       アルベルト・マングェルは 

         1948年の生まれだ    

 

            

     

 

            

 

 

 

増殖する砂漠を超えて 野営地へ 。。。

『バビロンの流れのほとりにて』

  『旅の空の下で』

    『木々は光を浴びて』

      『砂漠に向かって』

        『経験と思想』など

      森有正を重点的に読んでいたころから

         四〇年以上が経つ

           それどころか

             すでに

          彼より年齢がウエになった

              自分に気がつく

 

      ぼくが言うまでもなく

         この半世紀で

           世界の砂漠化は

             ほぼ完成の域に達した 。。

 

 「新自由主義」「暗黒グローバリゼーション」「怪物的ホモエコノミクス」

      「人間用」蟻地獄と化した

  現代グローバル社会を表象する

     これら鍵語に共通するのは

                          合理性を装った一種の狂気である

         そう

           私たちは

             狂った砂漠に棲んでいる 。。

  

 

フランコ・ベラルディ『大量殺人の“ダークヒーロー”』を読みおえ

ジェームズ・C・スコット『実践 日々のアナキズム』読みはじめる

 

  同時に読んでいるのは

フランク・W・パトナム 中井久夫訳『解離』

シルヴィアーヌ・パシェス 北原まり子・宮川麻理子訳『欲望と誤解の舞踏』

中尾拓哉『マルセル・デュシャンとチェス』

  

     それぞれの副題を書き添えておこう

 「なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?」

 「世界に抗う土着の秩序の作り方」

 「若年期における病理と治療」

 「フランスが熱狂した日本のアヴァンギャルド

 

     もう一〇年ほど前になるだろうか

       スラヴォイ・ジジェクを集中的に読んだ時期を思い出す

          

         ジジェクよりフランコ・ベラルディのほうが「効く」/笑。

           それは

    ビフォことベラルディのほうがより深くペシミスティックだから 。。

      もはや

       ジジェクですら楽観的すぎるように見える

 

  ビフォは「最終章」第11章

【何もなせることがないときに、何をなすべきか?】でこう述べている

《 私はアイロニーの自立が、その答えだと思う。つまり参加の反対、責任の反対、信仰の反対である。政治家は彼らの政治に参加するように催促する。経済学者は、責任をもってもっと働くように、消費し市場を刺激するように催促する。聖職者は、信じるように催促する。もしあなたが、こうした参加や責任への催促に従うなら、罠にはまることになる。ゲームをやらないこと、政治からいかなる解決も期待しないこと、ものごとに執着しないこと、希望を持たないこと。

 ディストピアアイロニー(ディストーアイロニー)は自立の言語である。

  懐疑的であろう。あなたの仮説やあなたの予測を(また私の予測をも)信じないようにしよう。

  そして変革をあきらめないようにしよう。たとえ、どうやったら勝利できるかわからないにしても、権力への反抗は必要である。》

 

《 あなたが死か奴隷かの選択を迫られたら、奴隷にならないようにしよう。奴隷になったら、遅かれ早かれ死が待っている。しかも奴隷として死ぬ。

あなたはいずれにしても死ぬ。いつ死ぬかは重要ではない。重要なのは、あなたがあなたの生き方をすることだ。》

                 『ディストピアアイロニー』より

  

  「大量殺人」と「自殺」について

     思いつく重要なテクストがふたつある

 ひとつはアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム第二宣言』

 《 もっとも単純なシュルレアリスム的行為は、両手にピストルを握って、通りに出て

  群衆のなかで、できるだけでたらめに撃つことである。》

    「第二宣言」は三〇代になったばかりのブルトン

       1929年に発表した一節だ

     

         ぼくの知る限りでは

      この藝術的エッセイが「無差別殺人教唆」の嚆矢である

 

    自殺については

      川端康成ノーベル賞受賞記念講演

         禅の精神を表面に用いながらも

           「虚無と死」を主要なテーマとした

        『美しい日本の私 その序説』

 

 《 一九二七年、芥川は三十五歳で自殺しました。私は『末期の眼』

  のなかにも「いかに現世を厭離するとも、自殺はさとりの姿ではな

  い。いかに徳行高くとも、自殺者は大聖の域に遠い」と書いてゐま

  して、、、》

 《 「もの思ふ人、誰か自殺を思はざる。」でせうが、、、》

 

    このストックホルム講演で自殺に対し批判的に述べた川端自身が

        受賞の四年後1972年には自殺しています 。。

 

     さて

   ジェームズ・C.スコット

『実践 日々のアナキズム』からも過激で役に立つところを引用しておこう 

 

《 それゆえ、暴動、財産への攻撃、野放図なデモ、窃盗、放火、公然たる反逆などといった、大規模で組織化されていない反乱が既存の制度を脅かす時にのみ、構造的変化は起こりうる。左派組織でさえも、既存の制度的枠組みのなかにたいてい取り込めるような秩序立った要求、デモ、ストライキを構造的に好む傾向をもつ。そのため左派組織は、組織化されていない反乱を促進したり、ましてや、開始して先導したりすることは決してできない。名称、役職、憲章、横断幕、そして内部の統治慣行を持つ反対勢力は、しごく当然のことながら、制度化された闘争を好む。彼らはその専門家なのだ。》

              「はじめに:組織の逆説」より

 

《 一九世紀、二〇世紀に行われた偉大な政治改革は、ほとんどの場合、非常に多くの市民的不服従、暴動、違法行為、公的秩序の崩壊、そして極端な場合には内戦といった出来事の後に生じた。こうした騒動は劇的な政治変動を伴っただけでなく、しばしば政治変動を引き起こす決定的な役割を果たした。残念ながら、経済不況や国家間の戦争などによってもたらされた不可抗力がなくては、代表制の諸制度とそれを通じた選挙だけで重要な変革を引き起こすことはほとんどないようだ。自由民主主義諸国では、財産と富が集中し、最も裕福な層が、その優位な地位を使って、メディア、文化、政治的影響力への特権的アクセスを享受している。その結果、かつてグラムシが述べたように、労働者階級に投票権が付与されても急進的な政治変動が生じなかったのは、まったく不思議ではない。通常、議会政治の特徴は重要な変革を促進することよりも、現状を固定化することにある。》

          「第1章:断章3 さらに不服従について」より

 

ポストモダンの時代は、一九七二年三月一六日の午後三時ちょうどに始まったと言われる。この時、受賞歴もあるセントルイスのプルーイット・アイゴー高層公共住宅が、とうとうダイナマイトによって公式に破壊され、瓦礫の山となったのだ。住民たちはすでに退居していて、この住宅は文字どおりもぬけの殻になっていた。単一の使用目的のために周囲から分離されて建設された高層公共住宅街は、多くの住民にとって自尊心を傷つける倉庫のように感じられ、今やほとんどが解体されている。プルーイット・アイゴー住宅は、そうした高層公共住宅街という艦隊全体の旗艦のようなものに過ぎなかった。》

          「第2章:断章8 無秩序な都市の魅力」より

 

    日本では無知と無明の二重等閑にあるが

     スラム街を取り壊して建てられた

   セントルイス・プルーイット・アイゴー住宅の設計者は

         あの

          20世紀 21世紀を通して

        間違いなく

     もっとも劇的な建築物

  NY 世界貿易センタービル/WTCを設計したミノル・ヤマサキである

          奇しくも

      「モダニズム建築終焉の日」と同じ

       1972年にはノースタワーが完成 

       翌1973年にサウスタワーが落成している

 

  ジェームズ・スコットに倣っていえば2001年9月11日に

    「脱真実の時代」

        「ポストトルースの時代」が始まったともいえる 。。

 

     ミノル・ヤマサキ「プルーイット・アイゴー」

            「WTC」とくれば

 

       初期には

    一枚の絵葉書として成立

        没後の「実現」まで27年間を必要とした

     Joseph Beuys 畢生の「超」コンセプチュアル・アート

        「コスマスとダミアン」1974年

          に触れないわけにはいかない

         しかし

      この魔術的な「巨大作品」を

          理解できる

     観念藝術と魔術と政治に通じた超越的に聡明なひとが

         日本に何人もいるだろうか

 

       ちなみに

         BEUYS の作品名になった

      外科医と医師の守護神である双子の兄弟

            ノマド医師 

        アラブ人の「聖ダミアンと聖コスマス」が

           斬首刑に処せられた様子はフラ・アンジェリコ

              一五世紀になって描いている

 

          

     

      

 

 

 

  Plain Living and high thinking  are no more :

「質素な生活と高遠な思索」は 

    《 既にない 》。。。

   もう二〇〇年もむかし 

       ワーヅワスはそう哥った  

知悉しつつ

  興味ある本を読み 

    美しいものを購う

 

     先週は

 ヤフオク柳宗悦稀覯本が二冊出現

        私版本『美と模様』昭和十七年

   ぐろりあそさえて『工藝の道』昭和三年

      『美と模様』は限定二〇〇部

      『工藝の道』は一五〇〇部

    どちらも署名入り

        さて

       この二冊の入手難易度を計れるひとは

           古本屋を含めて

        「いま」そう多くはいない

       結論からいうと

    『工藝の道』署名本の方が遥かに貴重

      柳の私版本・限定本・署名本を蒐め

        三〇年余になるが

          (多分)はじめて見た  

         柳私家版はたとえ発行部数は少なくても 

        かなりの割合で署名されている

    『美と模様』もムロン署名入りで架蔵している

 

          柳工藝論の基本書籍ともいえる

       『工藝の道』署名本はいつか欲しいと念じていた

            特別な一冊だった

         おまけに

      長谷川如是閑の旧蔵で 

    扉に「柳宗悦」の署名とともに

         左右並ぶような位置に

      「如是閑洞」の蔵書印がある  

 

  入手した『工藝の道』を詳細にみるうち

    興味ぶかいことを発見

      これまで所有していたものと

        背の題箋サイズが異なっている  

      と言っても

  印刷部分は同一で用紙サイズに違いがあるだけ

     さらに面白いことは扉ページに挟んであった紙片が

       やや大きな方の未使用「題箋用紙」であること

         まさか

       題箋のサイズを選べたとは思えないが

    さすがに

  製本が完全に手仕事で行われていた時代の本だ

 

    ながいあいだの探求書だった

      『工藝の道』署名本を落掌した

   このあとは

  不思議なほど市場に出ない

   『蒐集物語』署名本に留意することになる

 

       まるで兄弟のように

 宝文館から昭和三十三年に出版された『民藝四十年』は

  献呈署名入りが珍しくないのに

    中央公論社から昭和三十一年に出版された

        『蒐集物語』の署名本は

           どのような事情からか

         本当にほんとうにない

       ちなみに

    ぼくの『民藝四十年』は松方三郎への献呈本で

        墨痕淋漓 大きな文字で

     「松方三郎兄  

             宗悦」と署名されている

 

     「兄」ついでに付記すると

  私蔵する『蒐集に就て』には 「梅原兄

                     宗悦」と書かれている

         もちろんあの梅原龍三郎宛だ

  

 

   

    

     

 

 

遠藤賢司もファッツ・ドミノもトム・ペティも死んだ

 三月にはチャック・ベリーが鬼籍に入っている

                  子どもから中年までを

         夢中にさせ

      長くつづいた「人工的な青年期」音楽  

   欲望を装うアーティフィシャルな商業音楽

      甘い騒音としてのもうひとつのミューザック

        ロケンロール

          R&Rの時代が終わった

            パンクやレゲエ リズムンブルーズも含む

               ROCKの時代が完璧におわった 。。。

 

      昨年

   ボブ・ディランは 授賞式にこそ出なかったものの

      「戦争の親玉」そのものからノーベル文学賞

         与えられたことで

           「反抗者」の音楽と歴史 

              矜持と伝統は

                息の根を止められた

 

             もはや

          世界には

       豊かであろうと貧しかろうと

         有名であろうと無名であろうと

            奴隷しか存在しない

 

        天才と狂気を併せ持つ

      我らがミスタ・ロックンロール 

   フィル・スペクターはいまだ医療刑務所に入っているが 。。。

 

         この世は飽き飽きだ

     もう思い残すことなく

         終の棲家のほうへ歩いてゆこう

     「終の棲家」は単なる文飾・レトリックではない

       四〇歳にして厭離穢土の念いよいよ昂ぶり

         濁世から遁走 

           人生のほとんどを林住期に費やす

             その時節を卒え

               最終段階

                遊行期にはいる

 

        遠からずはじまる老軀/眉雪には

          食料調達と病院へのアクセスが最重要

             大隠は市に隠る 

               セオリー通りに

              市街地へ降りていく

            最後になるだろう引越に向け

                ある意味

         ぼく以上に潔癖な家人は

           ものを大量に捨てながら

            「もう地下に潜るしかない」

               そういって「遊行期」への準備を始めている

 

 

 

 

        「人魂で行く気散じや冬野原」   

                    倣 画狂老人卍