増殖する砂漠を超えて 野営地へ 。。。

『バビロンの流れのほとりにて』

  『旅の空の下で』

    『木々は光を浴びて』

      『砂漠に向かって』

        『経験と思想』など

      森有正を重点的に読んでいたころから

         四〇年以上が経つ

           それどころか

             すでに

          彼より年齢がウエになった

              自分に気がつく

 

      ぼくが言うまでもなく

         この半世紀で

           世界の砂漠化は

             ほぼ完成の域に達した 。。

 

 「新自由主義」「暗黒グローバリゼーション」「怪物的ホモエコノミクス」

      「人間用」蟻地獄と化した

  現代グローバル社会を表象する

     これら鍵語に共通するのは

                          合理性を装った一種の狂気である

         そう

           私たちは

             狂った砂漠に棲んでいる 。。

  

 

フランコ・ベラルディ『大量殺人の“ダークヒーロー”』を読みおえ

ジェームズ・C・スコット『実践 日々のアナキズム』読みはじめる

 

  同時に読んでいるのは

フランク・W・パトナム 中井久夫訳『解離』

シルヴィアーヌ・パシェス 北原まり子・宮川麻理子訳『欲望と誤解の舞踏』

中尾拓哉『マルセル・デュシャンとチェス』

  

     それぞれの副題を書き添えておこう

 「なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?」

 「世界に抗う土着の秩序の作り方」

 「若年期における病理と治療」

 「フランスが熱狂した日本のアヴァンギャルド

 

     もう一〇年ほど前になるだろうか

       スラヴォイ・ジジェクを集中的に読んだ時期を思い出す

          

         ジジェクよりフランコ・ベラルディのほうが「効く」/笑。

           それは

    ビフォことベラルディのほうがより深くペシミスティックだから 。。

      もはや

       ジジェクですら楽観的すぎるように見える

 

  ビフォは「最終章」第11章

【何もなせることがないときに、何をなすべきか?】でこう述べている

《 私はアイロニーの自立が、その答えだと思う。つまり参加の反対、責任の反対、信仰の反対である。政治家は彼らの政治に参加するように催促する。経済学者は、責任をもってもっと働くように、消費し市場を刺激するように催促する。聖職者は、信じるように催促する。もしあなたが、こうした参加や責任への催促に従うなら、罠にはまることになる。ゲームをやらないこと、政治からいかなる解決も期待しないこと、ものごとに執着しないこと、希望を持たないこと。

 ディストピアアイロニー(ディストーアイロニー)は自立の言語である。

  懐疑的であろう。あなたの仮説やあなたの予測を(また私の予測をも)信じないようにしよう。

  そして変革をあきらめないようにしよう。たとえ、どうやったら勝利できるかわからないにしても、権力への反抗は必要である。》

 

《 あなたが死か奴隷かの選択を迫られたら、奴隷にならないようにしよう。奴隷になったら、遅かれ早かれ死が待っている。しかも奴隷として死ぬ。

あなたはいずれにしても死ぬ。いつ死ぬかは重要ではない。重要なのは、あなたがあなたの生き方をすることだ。》

                 『ディストピアアイロニー』より

  

  「大量殺人」と「自殺」について

     思いつく重要なテクストがふたつある

 ひとつはアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム第二宣言』

 《 もっとも単純なシュルレアリスム的行為は、両手にピストルを握って、通りに出て

  群衆のなかで、できるだけでたらめに撃つことである。》

    「第二宣言」は三〇代になったばかりのブルトン

       1929年に発表した一節だ

     

         ぼくの知る限りでは

      この藝術的エッセイが「無差別殺人教唆」の嚆矢である

 

    自殺については

      川端康成ノーベル賞受賞記念講演

         禅の精神を表面に用いながらも

           「虚無と死」を主要なテーマとした

        『美しい日本の私 その序説』

 

 《 一九二七年、芥川は三十五歳で自殺しました。私は『末期の眼』

  のなかにも「いかに現世を厭離するとも、自殺はさとりの姿ではな

  い。いかに徳行高くとも、自殺者は大聖の域に遠い」と書いてゐま

  して、、、》

 《 「もの思ふ人、誰か自殺を思はざる。」でせうが、、、》

 

    このストックホルム講演で自殺に対し批判的に述べた川端自身が

        受賞の四年後1972年には自殺しています 。。

 

     さて

   ジェームズ・C.スコット

『実践 日々のアナキズム』からも過激で役に立つところを引用しておこう 

 

《 それゆえ、暴動、財産への攻撃、野放図なデモ、窃盗、放火、公然たる反逆などといった、大規模で組織化されていない反乱が既存の制度を脅かす時にのみ、構造的変化は起こりうる。左派組織でさえも、既存の制度的枠組みのなかにたいてい取り込めるような秩序立った要求、デモ、ストライキを構造的に好む傾向をもつ。そのため左派組織は、組織化されていない反乱を促進したり、ましてや、開始して先導したりすることは決してできない。名称、役職、憲章、横断幕、そして内部の統治慣行を持つ反対勢力は、しごく当然のことながら、制度化された闘争を好む。彼らはその専門家なのだ。》

              「はじめに:組織の逆説」より

 

《 一九世紀、二〇世紀に行われた偉大な政治改革は、ほとんどの場合、非常に多くの市民的不服従、暴動、違法行為、公的秩序の崩壊、そして極端な場合には内戦といった出来事の後に生じた。こうした騒動は劇的な政治変動を伴っただけでなく、しばしば政治変動を引き起こす決定的な役割を果たした。残念ながら、経済不況や国家間の戦争などによってもたらされた不可抗力がなくては、代表制の諸制度とそれを通じた選挙だけで重要な変革を引き起こすことはほとんどないようだ。自由民主主義諸国では、財産と富が集中し、最も裕福な層が、その優位な地位を使って、メディア、文化、政治的影響力への特権的アクセスを享受している。その結果、かつてグラムシが述べたように、労働者階級に投票権が付与されても急進的な政治変動が生じなかったのは、まったく不思議ではない。通常、議会政治の特徴は重要な変革を促進することよりも、現状を固定化することにある。》

          「第1章:断章3 さらに不服従について」より

 

ポストモダンの時代は、一九七二年三月一六日の午後三時ちょうどに始まったと言われる。この時、受賞歴もあるセントルイスのプルーイット・アイゴー高層公共住宅が、とうとうダイナマイトによって公式に破壊され、瓦礫の山となったのだ。住民たちはすでに退居していて、この住宅は文字どおりもぬけの殻になっていた。単一の使用目的のために周囲から分離されて建設された高層公共住宅街は、多くの住民にとって自尊心を傷つける倉庫のように感じられ、今やほとんどが解体されている。プルーイット・アイゴー住宅は、そうした高層公共住宅街という艦隊全体の旗艦のようなものに過ぎなかった。》

          「第2章:断章8 無秩序な都市の魅力」より

 

    日本では無知と無明の二重等閑にあるが

     スラム街を取り壊して建てられた

   セントルイス・プルーイット・アイゴー住宅の設計者は

         あの

          20世紀 21世紀を通して

        間違いなく

     もっとも劇的な建築物

  NY 世界貿易センタービル/WTCを設計したミノル・ヤマサキである

          奇しくも

      「モダニズム建築終焉の日」と同じ

       1972年にはノースタワーが完成 

       翌1973年にサウスタワーが落成している

 

  ジェームズ・スコットに倣っていえば2001年9月11日に

    「脱真実の時代」

        「ポストトルースの時代」が始まったともいえる 。。

 

     ミノル・ヤマサキ「プルーイット・アイゴー」

            「WTC」とくれば

 

       初期には

    一枚の絵葉書として成立

        没後の「実現」まで27年間を必要とした

     Joseph Beuys 畢生の「超」コンセプチュアル・アート

        「コスマスとダミアン」1974年

          に触れないわけにはいかない

         しかし

      この魔術的な「巨大作品」を

          理解できる

     観念藝術と魔術と政治に通じた超越的に聡明なひとが

         日本に何人もいるだろうか

 

       ちなみに

         BEUYS の作品名になった

      外科医と医師の守護神である双子の兄弟

            ノマド医師 

        アラブ人の「聖ダミアンと聖コスマス」が

           斬首刑に処せられた様子はフラ・アンジェリコ

              一五世紀になって描いている