虚無の愉快 : きわめて私的な ON KAWARA 論

今年になって立て続けに三冊 河原温の本を手に入れてご機嫌である/笑。  

  一冊は昨年11月 Dia Art Foundation から    

    出たばかりの『Artists on On Kawara 』    

     やや小型だが「濃紺」を白文字で抜いて         

      河原を代表する作品  Today を否応なく連想させる造本             絶妙に「マニア魂」をくすぐる。。         

      さらに いつか買わねばと考えていながら           

        河原の初期作品集なので            

         昔から高額化していて

              (20年前 原宿 NADiff で¥25,000の記憶)

             そのためぐずぐずモラトリアムを遊んでいたが  

              最近になって                                         

         『On Kawara 1973--』Kunsthalle Bern 1974年刊          

        ヤフオクに出て おそらく時価の半額以下で落掌   

     乃公の美点は ある意味(特に本に関して)

   かなり気が長いことである/笑。  この図録の正式名称は   

『On Kawara Produktion eines Jahres / One Year's Production 』      

    確認はしてないが表紙に何色かあったと記憶する

          ある意味では          

 四色の表紙を持つ グッゲンハイム没後展カタログ

     『SILENCE』の祖型といえるかもしれない                 ・               

           さて 問題は残りの一冊だ          

          日課のネットパトロール中         

        河原温で検索していて            

      驚くべき文言にぶつかった  

   《 特装版 温故知新 On Kawara & Donald Judd 》        

     温故知新でピンときた/笑。前澤友作の現代芸術振興財団

      (前澤本は奥付もなく刊年も不明だが多分2015年)  

       アレは持ってるけど「特装版」があったとは      

       混乱したのは税込3300円という廉価ぶり

           寝耳に水というけれど       

             たった今まで 知らなかった。。。                      

              衝撃を受けつつ購入する/笑。

         落掌後の結論から言うと一緒なのは題名だけで

       これは特装版というより

      判型から印刷・造本までまったく別の本である 

    それまでの通常本を廉価な「東京版」とするなら

   これは京都展で世話になった京都人と外国のコレクターに向けた

     きわめて趣味的な帙入和本で贅を凝らした趣味本である

       東京版同様に奥付はないが

         ごく小部数だけリッチ前澤好みで数寄勝手に作ったらしい

                    ・    

           ところで「河原温の本」は基本的にどれも一緒だ

          あの『Today』シリーズを中心にして掲載されるだけだ

           だから 河原本/図録や作品集が新たに一冊増えても

          TILLMANS HOCKNEY CHRISTO   etc. の

      作品集から与えられる刺激的な愉悦には乏しい 本当に乏しい/笑。

    むしろ それゆえに「虚無の愉快」とでも呼びたいような  

    「独特の悦び」があるのだ 。。。  それは まるで賽の河原で

      ひとつづつ小石を選び運び 塔を造るのにも似た行為だ

        その虚しさこそが「河原温作品」の本質にあるものだ

                   ・

          河原の日付作品とは 例えば古銅の神鏡を

        終日磨きつづける行為と似ている 。。。

      そして その鏡には磨いた日の日付が映っているだけだ

   仮初に映るだけの鏡に意味などないように日付にも意味はない

                   ・

          あらゆるものに あらゆることに

        意味を求めすぎるのは現代人の悪い性癖/病気だと云っておこう

      意味と価値 統計と平等 饒舌と沈黙 自意識からの脱却こそ

              超虚無への道である

 

            畢竟というか結局といおうか

        河原温の作品と人生は「虚無への供物」であった 。。

          そうだ あのヴァレリーの詩の一節から摂った 虚無への供物である

      かれ 河原温は生涯のほとんどを死と虚無とに捧げた

 

      20世紀とりわけ後半の藝術家たちは悲惨な大戦を経験したことにより

           そのほとんどが「死と暴力をテーマ」としていた

      電気椅子 交通事故 人種暴動をモティーフにしたウォーホル 

        通信兵/爆撃手として搭乗していた急降下爆撃機の事故

          から全てが始まったともいえるボイスがその代表だ

             とりわけJOSEPH BEUYS と ON KAWARA は 

               一見するとまるで「点対称」のような

                  対照的で しかもよく似た関係にある

            ぼくがこの二人を好むのはその虚無の匂いからだ

              

              「ボイスの虚無」と「河原温の虚無 」。。

            その差異と同一性を考えているだけで 

                一日が愉快に終わる/笑。

                     ・     

     そういえば 一度だけ河原温本人に邂逅したことがある

      「ONE MILLION YEARS」準備のためギャルリーワタリに

        在廊した河原を首から提げた小型カメラで

           ほとんど意識せず撮った 

         ワタリのI青年が「よく撮らせましたねぇ」と

          感嘆したのを昨日のことのように憶えている

             1983年のことだった 。。