『The Unknown Craftsman / 無名の工人』と George Nakashima その他 。。
二〇一五年の第一週
大阪市・合衆国総領事館内にあるアメリカ広葉樹輸出協会/AHEC から
昨年押し迫ってから知って 送付を依頼した
『Furniture Design of George Nakashima, Past and Present』
(邦題「ジョージ・ナカシマの家具デザイン、その軌跡をたどる」著者はミラ・ナカシマさん)
コンパクトな「初荷」として届く。
老童 おおいに慶ぶ
手にして間もなく
文中に こんな記述を見つける
《 父は、家具製作に当って柳宗悦の「無銘の工芸家※」に大きな影響を受
けていました。なぜそうしたのかについて私に語ったことはありません
が、父の著書「The Soul of a Tree 」を読み、父が木々や木から生み出した家
具をいかに愛し、大切にしていたのかを知りました。木々の美しさは父に
数多くのひらめきを与えました。その木々を、、、、》
柳に触れた部分は 英文ではこんな表現 《 My father worked very much in the tradition of Soetsu
Yanagi 's “ Unknown Craftsman” , and never spoke to me much about why he did what he did. 》
邦文の「無銘の工芸家」には※が附けられ脚注として
《 ※「無銘の工芸家/The Unknown Craftsman 」民藝運動のパイオニア、柳宗悦(1898-1961)と親交のあった
英国の陶芸家バーナード・リーチが「日本の美」をキーワードに編集した柳宗悦の英語評論集 )と解説されている
これまでジョージ・ナカシマに関する様々な資料を手にしてきたが
柳との共振関係に直接言及した文章を目にしたのは これが最初にして唯一
かつて小田急ハルクの輸入家具売り場でイームズ/ハーマンミラーの斬新なモダニティに惹かれつつ
同じフロアで燦然と輝いていた
ジョージ・ナカシマの格調ある健康な美意識に
ある種の聖性を覚え 陶然としてからでも 四十五年が経つ
その中での 初めてである
ただし 伏線として ふたりの「共有点」は存在した
GEORGE NAKASHIMA『The Soul of a Tree 』はKODANSHA INTERNATIONALから1981年に初版が出ている
SOETSU YANAGI 『The Unknown Craftsman 』も同じ講談社インターナショナル刊
先立つこと一〇年 1971年の発行だった
『The Soul of a Tree 』の担当編集者がナカシマに『The Unknown Craftsman 』を渡さなかったと考える方が難しいだろう
本題に戻ろう
三年ほど前だろうか 若松英輔氏の『神秘主義と神秘道』を読んでいて
同じ質の 歓喜のようなものが蘇り 大きな感動にぼくは包まれた
若松英輔氏のその文を 記録として再録します
《 「神秘道」という言葉も見慣れない表現だが、この一語を中核的術語として、最初に、かつ積極的に用いたのは井筒俊彦ではない。柳宗悦だったと私は思う。最初期の作品「即如」で彼はいう。「芸術にとって主義は堕落であった。宗教にとっても流派は凝固であった。形式は生命を拘束する」。
私たちは「総ての手段を絶し介在を破って直ちに即如に触れねばならぬ」、「即如」とは超越的絶対者の呼称。「主義」は超越者との接近を妨げる。また、神秘主義という言葉も、元来は「嘲る者が与えた侮蔑の意に萌した言葉」(「神秘道の弁明」)に過ぎない。「人は自ら神秘家である」、その本来の自己に還る道を「神秘道」と称する、と彼はいうのである。
井筒俊彦が著述で、柳宗悦に触れたのは一度だけ。しかし、蔵書には、若き日に読んだと思われる『宗教的奇跡』、『宗教の理解』、『宗教とその真理』がある。
3冊とも柳宗悦が民芸に出会う以前、世が彼を白樺派の文人、宗教哲学者として認めていたころの著作である。柳宗悦初期の作品を読むと、井筒俊彦の思想的近似に驚く。
もちろん、影響を受容したのは井筒俊彦である。おそらく柳宗悦は井筒俊彦を知らない。
柳宗悦が仏教の卓越した解読者だったことは改めて論じるまでもない。鈴木大拙が後継者に選び、柳宗悦自身もそれを了承していた。彼は古代中国思想、儒教、あるいは老荘にも独自の見解を持つ思想家であり、その筆はスーフィズム、ペルシアの詩人ルーミーやジャーミーまで及んでいる。
柳宗悦がキリスト教、ことに神秘主義の理解において近代日本、屈指の人物だったことはさらに論じられていい。「種々たる宗教的否定」には、アウグスティヌス、エリウゲナ、トマス・アクィナス、中世ドイツの神秘家マイスター・エックハルトとその弟子ゾイゼとタウラーを経て、カルメル会の基盤をつくった十字架上のヨハネに触れている。井筒俊彦が『神秘哲学』で言及したキリスト教思想家に重なり合う。柳宗悦がこれを書いたのは『神秘哲学』刊行の30年以上前である
二人の間には、時代的精神の共鳴というだけでは済ますことできない影響の受容がある。「神は人に飢え人は神に飢える。あふれ出る霊の叫びは神が神を呼ぶ叫びである」(「種々なる宗教的否定」)。井筒俊彦が、柳宗悦に発見した最も真摯な事実、すなわち、神秘的経験の主体という命題に他ならない。》
ジョージ・ナカシマも神秘道に深く目覚めていた工藝家である
疑う者は 最晩年から今も続く 七大陸それぞれの聖堂への「平和の祭壇」安置プロジェクトを見よ その意味を想え!!
柳宗悦を中に 左右には井筒俊彦 ジョージ・ナカシマ このtriptych/トリプティック
わが裡なる三連祭壇画の探求 攻究は
ぼくの晩年をさらに 簡素な豊饒として 深めてくれるだろう 。。。
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今年になって読みおえた本 読んでいる本
『読書礼讃』アルベルト・マングェル 野中邦子訳
『井筒俊彦とイスラーム/回想と書評』坂本勉・松原秀一編
『禅仏教とキリスト教神秘主義』門脇佳吉
『いと高き貧しさ/修道院規則と生の形式』ジョルジョ・アガンベン 上村忠男・太田綾子訳
『資料集 コミンテルンと日本共産党』和田春樹 G・M・アジベーコフ監修
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兼好法師 曰く
驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。