ANDRÉ BRETON  &  WOLFGANG TILLMANS  

アンドレ ブルトンが遺した

蒐集品の大部な函入「競売目録」2003年

アンドレブルトン フォンテーヌ街42番地』

《 42, rue  Fontaine 》全8巻 と

 

ティルマンスの初期刊行物『KUNSTHALLE ZÙRICH』1995年

同じ日 別々に届いた 。。

チューリッヒ美術館』は2008年にリプリントが出版され

その時 どうせならオリジナル版を買おうと決意したから

14年ほど待ったことになるが 状態も素晴らしい

これで20世紀のティルマンス本はほとんど揃った

残すはかなり難物の

『Totale Sonnenfinsternis. Cologne: Galerie Daniel Buchholz』

1999年刊行のみ 。。『皆既日食』はわずか48頁の薄冊だが

ここまで蒐めるとやはり欲しい/笑。

                ・

『フォンテーヌ街42番地』はこれからシュルレアリスム

再度 確認しつつ眺めていこうと考えている

誰もいわないので 記録として発言しておくと

ブルトンの「超現実主義」運動にもっとも近いのが

柳宗悦の「民藝運動」だ 。。

いまでは柳宗悦をカリスマ的なセレクトショップの親父か

雑貨屋運動の天才先駆者のように考える阿呆が多いが

ブルトンと柳は既成教団から源流を汲み上げつつ

既存の惰性的な宗教を超えようとした「宗教思想家」だった

 もし柳宗悦宮澤賢治がいなかったら  

  江戸以前と江戸からのの仏教はキリスト教を含む

   新興宗教や新新興宗教などの本質的邪教

    露骨に駆逐されていたはずだ 。。

   鈴木大拙を含んだ柳宗悦宮澤賢治

     間違いなく昭和仏教中興の祖である

   彼らがいなければ仏教は 単なる前例踏襲の

    金儲けの「葬式仏教」に堕していた

          ・

   中井久夫さんが亡くなった

   2022年 8月8日 享年88歳 

   ぼくにとっては小津安二郎

   満六十歳の誕生日

   1963年12月12日 亡くなったことに匹敵する

     ささやかでシットリした神秘だ

           ・

    柳宗悦宮澤賢治を別格として

 井筒俊彦谷川雁は信頼できる著述家の典型だった

  あまり口外はしないまでも

   鶴見俊輔中井久夫はどこかで心の支えでもあった

            ・

   さてここから「言わずもがな」のことを云おう

    加藤周一がまだ意識のある間にカトリック受洗し

     ルネ加藤になった

    高田渡は臨終洗礼して洗礼名 パウロになった

     吉田茂も臨終洗礼という名の没後洗礼で

   「ヨゼフトーマスモア吉田茂」という怪しげな名前になった

  さらに驚くべきことに この大狸は「叡光院殿徹誉明徳素匯大居士」 

    という正式な戒名まで持っている/笑。

         これは

  熱心なキリスト教徒だった牧野信顕の娘 茂の妻 吉田雪子

    と その三女であった旧姓吉田和子

  麻生太郎の母でもあるこれまた熱心なクリスチャン麻生和子らの意向と

    断じてキリスト教に改宗しなかった吉田健一との間に

     表に出せない綱引きがあった結果かもしれない 。。。。

   

       ぼくの中ですでに加藤周一は「知識人」ではない

     彼は仏教もキリスト教も信仰をほとんど「理会」できなかった

      ように思えてならない 宗教を精神のアクセサリーだと

       考えている日本人は意外と多い/笑。

    なんだかブランドと流行だけが好きな「大衆向け知識人」

      だったのか 昭和的なあまりにも昭和的な

      あの『羊の歌』も『続 羊の歌』も『夕陽妄語』も

        その程度のものだったのだな 。。

     幼児洗礼を受けた森有正 と20代終わりに渡仏して

       以後 一度も日本に戻らなかった長谷川潔の潔癖さが

          知識人には絶対的に必要だ

    困惑しながらも ぼくは加藤周一を頭の良いチンピラだと思っている

 

       日本のキリスト者の浅薄な胡乱さを代表する具体例として

          遠藤周作高橋たか子を上げておこう

        遠藤周作など読んだこともないが 高橋たか子

      最晩年はほぼほぼ「狂乱状態」だったといえる 。。

                 ・

            ひとりの「無教会派佛教徒」

       佛教ニヒリスム 老荘アナキスムの徒としてこれを書いた