楽観的な見通しによる「安易で雑駁な思想」と 恥知らずなエピゴーネンの跋扈

まず この短い文章を読んでほしい。

《 地のはてにはなにがあるか

  とほい昔 人間はそれを知つてはいなかつた

  それから

  地球がまはりながら太陽をめぐつてゆくことも

  ついこのあひだまでは知らなつた

  それを知らなかつたことは ひとつの科学の問題であるか

  それとも人間の精神の問題であるか

  ぼくにはわからない

  そして人間はずゐぶんむかしから愉しむことが出来てゐたのに

  苦しむことが出来るようになつたのは

  ついこのあひだのことだ 

  ましてひとのことで苦しむようになつたのは

  ほんとうにこのあひだのことであつた

  そして重工業がひとびとの労働を正しく吸収して

  収奪のない生産を行ふやうになることは

  それは間近なことにおもはれる  》

 

『重工業』と題された この「詩」を書いたのは 吉本隆明

作られたのは「1949年〜1950年」と解説にあったから

 

二五歳か二六歳のとき書いたものだろう

それは まさに占領下だ

(1949年10月1日 天安門広場では毛沢東主席が「中華人民共和国建国」を宣言)

それにしても 「重工業がひとびとの労働を正しく吸収して」

       「収奪のない生産を行ふやうになる」

       「それは間近なことにおもはれる」とは 何という純情魯鈍なオプティミズムぶりだろう 

                             あるいは 露出狂的スターリニスト /笑。

重工業と言うからには 家内労働や町工場ではない 

重工業は 巨大資本 か 国家独占資本しか興せないし 運営 できない

     まるで 原子力 / 原爆発電所のように

それは

熱烈天皇崇拝軍国少年あがりの転び右翼

露骨な付け焼き刃としての「左翼風軍国主義者」「朝三暮四民主主義者」

神風に代わる物質的欲望に目覚めた 土民の新たなカーゴカルト 

地上的宗教としての「科学技術万能原理」盲信の徒

二十六歳にもなって こんなことを本気で信じていた吉本の知能と理性をぼくは疑う 

結局 

あのひとは「原爆発電」推進肯定発言にみられるように

便利で安直きわまる 

憐れむような

富国強兵を忘れえず頑迷固陋に現状を肯定、追認するTV中毒の半惚け老人でしかなかったのだ。 

別の言い方をすれば 怯懦なほどの楽観主義 卑劣なほどの現実現状肯定主義 

 さあ 重要なことを言おう

ぼくはこれまでに吉本隆明さんの本を 一冊も読んだことがない

一冊もだ (大事なことだから 二度かきました)

 

若いころ まわりには 吉本ファンがいっぱいいた

あまり本を読まないのに限って 数冊の吉本を読んで得意がる 

そんな奴らがいっぱいいた 

それほど偏頗な印象さえ受けた

ぼくが 吉本隆明の本を読まなかったのは

要するに吉本を読んでいる連中の顔つきが 嫌いだったからだ

ああ こんな連中とは 一生つきあいたくない

だから ぼくは論争しなかった 

とにかく一冊も読んでいないのだから 喧嘩にも 論争にも ならない / 笑。

ぼくにとっての戦後思想とは 花森安治であり 柳宗悦 だった

あるいは 先駆者としての 岡倉覚三 天心から学ぶ 何か だった

吉本没後「戦後最大の思想家」とかいう 

お粗末すぎて恥ずかしい限りの言葉が メディアを賑わしたが

そんな雑駁なことを 平気で書き飛ばす奴らは

柳宗悦を 読んだのか

井筒俊彦を 読んだのか

森有正

加藤周一を 

谷川雁を 

鶴見良行

鶴見俊輔

中井久夫

小野二郎を 読んだのか

あるいは 

明治二八年生まれで 敗戦時には五〇歳だった きだみのる を読んだのか

    ・・・・・・

ぼくは 

狡猾で空疎なコピーライターとしての吉本より

荒んだ「戦後/いま」を幻視した思想家として 大藪春彦のほうが 大切だ。 

土方巽 や 駒井哲郎のほうが はるかに重要だ

平岡正明のほうが ずっと アクチュアルだった 

それにしても 

病床で 「吉本よりは 長生きしたかった」と 述懐したという

平岡さん あと少しだったのに 。。。。 

☆ 引用した『重工業』は 吉本氏がどんな詩を書いたのか

本屋さんで『吉本隆明詩全集1 初期詩篇』を立ち読みして 

あまりのお粗末さに驚愕 書き写したものですから

厳密な校正を経ていないことをお断りします。

★ ★ ★ 没後一年を経ずに もう「思想界の虚人」のメッキが剥がれはじめたようだ

小谷野敦さんがブログ『猫をつぐなうに猫をもってせよ』 2012 -12-12 に こう書いている

呉智英さんの新刊『吉本隆明という共同幻想』は、呉智英さんの懺悔の書ともいえる。学生時代、先輩たちからバカにされないために必死で吉本を読んだ、といった話がちりばめられている。

 私は呉さんの『読書家の新技術』で、『共同幻想論』について、吉本は文章が下手、しかし内容は重要、とあるので、長くそれを信じていたが、もう十年くらい前には、内容が重要とも思えないという結論に達していた。だから呉さんのこの本も、あまりに出るのが遅かった、ミネルヴァのふくろうである。20年前、せめて10年前に出ていたら、快著だったかもしれない。

 『マチウ書試論』など、私には、右の頬を打たれたら左の頬をさしだせ、というのが、嫌味な復讐だ、というところがキモなんだと思っていて、前から「関係の絶対性」というのは言われていたが、それで読み返すほどの関心はなく、今回初めて、意味が分かった。いや、本当は分からない。柄谷行人の「マクベス論」というのもそうなのだが、どうもこういう論は、左翼のセクトとかにいて、組織の論理に染まったことがないと分からないらしい。つまりヨコタ村上孝之が、比較文学などやめてしまえと言いつつ、比較文学会に居座り続けるのも、「関係の絶対性」なんだなということで、そりゃ別に普遍的な定理ではなくて、組織にしがみつかないと生きていけない情けないやつらの理屈でしかないんじゃないか。

 『言語にとって美とは何か』のところも、途中で頭がぼうっとしてきて、どうでも良くなる。そもそもなんでプロレタリア文学理論に抵抗しなけりゃならんのかも分からないし、なんで文学理論が必要なのか、も分からんのである。ここのところは、まだ呉さんがある程度吉本に近いところにいるから分かるのであって、私だったらとても一冊分書くことは出来ないだろう。あの言っときますけど時枝誠記がどうとか、学問的には意味ないですから。

 まあ私にとっては「思想家」というのが何なのかすら分からないわけで、ヘーゲルだってインチキなんだから、吉本なんかさらにいなくてもいい存在なのである。宮崎哲弥は、吉本と一冊分の対談をしたのだが、これを没にした。 》

        ・    ・    ・

☆☆☆ 呉智英 氏の名がでたので 冗談半分の「自慢」を笑覧に供します

昔 むかし 大むかし 呉智英にこう言われたことがある

 「征木さんは 南方熊楠に似てませんか。」

 うー 。。。

ぼくはとても若かったから くまぐす の ギョロッとした貌 を思い なんか嬉しくなかった

南方熊楠と 容貌だけ 似ている そう云われた と理解したから

それは 

週刊『漫画アクション』誌 「アクション・ジャーナル」グループが 

双葉社箱根山荘に遊びに出かけた際 だから 

初対面の 呉智英 の他 山口文憲 関川夏央 上原 秀 が一緒

担当編集者の川添謙次サンが引率者 (元気だろうか)

そして 

何故か その前 ブンケン に 

「マサキ  ゴチエイ を殴るなよ」 そう云われたことをなんだかハッキリ憶えている。

呉智英

なにか ぼくに殴られるような ことをしたのだろうか 

それだけは 三〇年 経ても 未だに謎である / 笑。

◎ 読まずして吉本隆明批判をしている責任上 ここでだけ カムアウト します  

          征木 高司 拝  2012/12/13