瑣末なことを一人称なしの尊大語で偉そうに述べる / 笑。

エリー・フォールの『美術史 7 形態の精神Ⅱ』を星埜守之氏の名訳で読んでいると

「偶像の力」を論じた章に 

デジャヴュ的親しさを覚える一節があった

【 こう言えば多くを語ったことになるが、《 宗教が衰えるとき、芸術が頭を擡げる 》というニーチェの言葉を私が引き受けるとすれば、それはひとえにこの言葉が次のことを、すなわち、芸術は宗教に先立ち、宗教よりも長く生き延び、宗教が人々の心を去るやそれに取って代わり、幾人かの人々のなかでは宗教の役割を果たし、同じ心がひとりの英雄の胸で拍動するときにはしばしばこの役割を賛美する、ということを意味していたと考えられる限りにおいてのことである。】

のなかの《 宗教が衰えるとき、芸術が頭を擡げる 》がそれである。

既視感を覚えたのは 数年前に読んだ『レジス・ドブレ著作選』の

どの巻かは失念したが その一節

「現代の人間は教会に行く代わりに美術館に押しかけるようになった。」を

鋭い箴言として印象ぶかく憶えていたからだ

なるほど オリジンはニーチェにあったのか 。。。

ゴダールが読んだように ドブレも

エリー・フォールを読んだのに違いない。

それが 

今では「神だけでなく 美も殺された。」

美も神も神秘も 尊いものはなにもかも陵辱され 死にっぱなしだ !!

巨大資本と大衆が押しかけるところ もの すべてが背徳の地であり 荒廃の証である。

巨大資本と大群衆大観衆は ゾンビ化したレミング

腐った鼠類 

糜爛したマイダス王の性器 金に呪われた手である 。。。

消え去れ 美術館という装置 信仰なき 制度としての汚穢寺院

大劇場 野球場 蹴球ピッチ 衆愚の集う すべての腐敗した大衆娯楽装置

二一世紀の「新しい服屋」を 爆砕せよ 

芸術家ならば 破壊せよ /笑。