“391”

1917年から1924年まで

バルセロナ、ニューヨーク、チューリッヒ、パリで

19冊が出されたピカビア/Francis Picabia編集の

『国際的‘DADA’雑誌』。

リヒャルト・ヒュルゼンベック編著の『ダダ大全』には

 こんな [予告]が収録されている。

          ・

     近刊 / ダダ運動 出版

 

      391

             定価二フラン

 「雑誌は目下、旅の途上 / ニューヨーク___バルセロナ/

ガブリエル ダダ  宣言 ビュッフェ アリス・ベイリー

 

  不滅の人アルプはベニスの木の根を展示するだろう、

 

  ピカビア、 ピカビア 盲目の男 リブモン=デセーニュ、

 

  ツァラ、 デュシャンら。   

               未知谷・刊(鈴木芳子・訳)

ふと思いついて探してみると1989年9月に出た

ユリイカ 臨時増刊  総特集ピカビア』に

         

“391 集成”と

ミシェル・サヌイエの『フランシス・ピカビアと《391》』

が掲載されていた。 (訳・塚原史

 

それによると ピカビアの「391創刊号」はスティーグリッツの月刊誌「291」に1を足しただけで レイアウトも同誌の最終号をそのまま流用したものだったという 生成変化するダダイスト・ピカビアの面目躍如と云うべきか(笑)。

          ・

↓《Ballet Mecanique》は当時の

「前衛芸術」を考える上で大変に面白い概念だ

1924年にはフェルナン・レジェが同名の傑作前衛映画を

創っている。