20世紀の画家の中で 最も画題の付け方が詩的で 巧かったのが パウル・クレーだ。
彼には言葉というものが コンパクトに何を持ち運んでいるか 分かっていた。
だからパウルは 言葉に対して凡庸な感覚の画家なら単に『自画像』とするだろうペンによる素描に
《天才の亡霊のための最初のデッサン》自画像 と附ける。
或いは 落書きのようにも見えるだろう単純なチョークの線画に
《意地の悪い断崖》
と題名を附ける。決して単なる断崖ではないのだ。
《修道院の庭》 《大聖堂のわきの辻馬車》
普通の庭ではなく 当たり前の道に停まった辻馬車ではなく・・・
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彼の 余白と隙間に満ちた多くのデッサンには
言葉の手渡す【印象】を解き放つに充分な “聖なる庭園/マージン” がある。
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パウル・クレーは エズラ・パウンド や ステファーヌ・マラルメに劣らないほどの
詩の戦線に於ける革命家であった という言い方も可能だろう。
彼は 「題名だけの詩」を成立させたのだ。
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だから建築家フィリップ・ジョンソンが クレーの
《ある城の設計図》という題名を持つ素描を所蔵することを知った時 何とも 愉しい気分がしたものだ。
建築家が持つのにこれほど相応しいタイトルの「作品」はない。
あの〈コネティカット州 ニューキャナンの家〉の何処かにあるのだろう。
或いは広い邸内の一角にある 理想的に小さな美術館の壁にか・・・
描かれた 詩。
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パウル・クレーが旅に持っていった畫帖/スケッチブックは 画家の持ち物として驚くほど小型のものだった。
しかも 彼はその小型のスケッチブックに大きく余白をとって 描いている。
MARGIN はクレーにとってよほど大切なものだったようだ。
マージナルな詩人。マルジナリアな画家。
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クレーにとって 画材もまた単なる絵の道具ではなかった。
彼は ペンや鉛筆による素描を 薄い紙に描き
台紙に貼る。 そして台紙の方に線を曳きタイトルその他を書き入れる。或いは方眼紙を 使う。並べて貼ったりもする。カンバスに見えるものが 厚紙に貼ったガーゼだったりする。
カンバスにしても自分で釘を打つ。見える正面に釘を打つ。それに手製の額を附ける・・・。
わざわざ家庭用の小麦粉を溶いた[糊絵の具]を用いる 油彩の板に砂を混ぜた石膏を下塗りする [吹き墨]のように水彩を吹き付ける etc.
彼は実験する。技法と秘術と魔法の関係を探るかのように。
デッサウに在ったアトリエは まだ少し余所行きの面影を残しているが ヴァイマール・バウハウスのアトリエや ベルンのアトリエは 魔法使いの居室や 錬金術師の仕事場を想わせる。
呪術的と云うより
呪術そのものの技法を彼は駆使した。
そして
矛盾に満ちた “偉大な眼球/妖精”として
Paul Klee は
今も 旅の途次にいる・・・・・
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私たちと一緒に・・・・
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