The Last Waltz

 

 十月朔日

    とうとう最期の一箇月 神無月がvanishing pointへ向けてスタートした 

                      ・

          すべてはかりそめにすぎない。おぼえる者もおぼえられる者も。

    骨で城がつくられ それに肉と血とが塗ってあり 老いと死と高ぶりとごまかしとがおさめられている

 ねえ、あんたが頭って呼んでるその安物の地獄、……あたしの声、そこから聞こえて来るって、思ってるんでしょう

               千峯雨霽露光冷 君看雙眼色 不語似無愁

                       ・

            辞世や遺言に代えて好きな「ことば」を選びました それぞれ 

 

                    マルクス・アウレリウス 

                       法句経  

                   ベケット『ねえジョウ』

                    宗峰妙超と白隠慧鶴 

  「君看雙眼色 不語似無愁」は芥川龍之介が『羅生門』の

   扉頁後に掲げ 良寛も美しい双幅に遺したことで知られ

   出典と関係なくいまなお膾炙する「詩」ですが近年の通説は

   大灯国師の偈頌に白隠禅師が著語を付けたとされています

   なお「禅文化研究所」は白隠以前の禅語に典拠があるとの説 

   良寛は「不語似無憂」と記し 今ではその方が一般的です

                    S  A  Y  O  N  A  R  A

  

『入江相政日記』とサミュエル・ベケット

多木陽介の優れたベケット

  『(不)可視の監獄:サミュエル・ベケットの芸術と歴史

読んでいると 

     『入江相政日記』全六巻が届いた

       この日記が刊行された1990年ころはまだ新聞を読んでいたから

          出版時を覚えている

      すでに四半世紀も前である

   それがヤフオクに出ていた

 

      箱入り帯付き全巻で2500円 

        厚めの文庫一冊の値段だ!!

          昭和史を再考するうえで欠かせない資料として入手

         品と独特なユーモアのある文章家として入江相政を好んだ時期もあったことなど思い出す

            さらにトリビアルなことをいえば

             いまでこそ社畜系シモジモが盛んに使う「御社」という言葉は

               ほぼ半世紀前の入江侍従のボキャブラリーだった

           閑話休題

     1905年生まれの入江と

       1906年に生まれたベケット

          歿年も四年しか違わない 全くの同時代人である

             柔と剛の差はあるが 

       面長の顔立ちはどこか共通点があるとおもう  

    サミュエル・ベケットの猛禽を連想させる面貌は素晴らしい 

        とりわけカルティエブレッソンが撮影したポートレートは凄い

         入江の柔和ななかに強い意思を感じる容貌もいい 

      これからは自らが老人になりつつ 藝術家と思想家を中心にした老人研究をするつもり 。。。

         二〇世紀という時代の特殊性を深層で理解し 

           そこに釘付けされず 普遍的神秘道の高みへ向かう 

         サミュエル・ベケット フランシス・ベーコン ルシアン・フロイド 、、、

            入江相政 鶴見俊輔 井筒俊彦 、、、

     ジェイムズ・ノウルソンの大著『ベケット伝』上下二巻を刊行されたときに読んでいたこともあり

      「サミュエル・ベケットの芸術と歴史」の副題をもつ『(不)可視の監獄』は愉しくスリリングに読んだ

         このベケット作品を通じて現代の社会構造を抉ろうとする多木陽介の試みは

             傑出したベケット論でありつつ恐るべき現代社会批評として結実している

      たとえば こんな感じ

 《 その光景は、自然災害だけがもたらしたものではなかった。それは同時に、ナオミ・クラインが「ショ

   ック・ドクトリンと呼ぶ、新自由主義者たちによる経済的ショック療法がもたらした風景であった。ク

   ラインによれば、この「ショック・ドクトリン」とは、市場原理主義の信奉者であるシカゴ派の経済学者、

   ミルトン・フリードマンらが考案したもので、自らの主張する徹底的な自由市場政策を成功させるために、

   戦争や大規模な災害という非常事態を利用して、そのショックに人々が気をとられている間に、民主的な

   方法では実現の難しい自分たちの政策を、人権侵害などの不法行為も辞さずに、強硬に実行するという戦

   略のことで、日本語では、惨事便乗型資本主義とも訳されている。特に戦争に関して言うと、戦争が先か、

   経済利益の確保が先か分からぬ程、戦争と経済政策は、緊密に結託していた。火事場泥棒が火付けの本人

   であることもしばしばというわけだ。 》   「第一〇章 神の無関心」より

    多木は 戦時下のサラエボで『ゴドーを待ちながら』を演出した

     スーザン・ソンタグについても触れている

      いまソンタグの 女優を主人公とする『イン・アメリカ』をゆっくりと読みつつあるので

        改めて扉を開くと この小説は《サラエヴォの我が友たちへ》と献辞されていた 。。。

      読書は世界がリンケージしていることをいつも教えてくれる 

       読書に魔法や魔術 神秘を感じないなら それは本物の読書ではない

     読書中のリスト

  『人工地獄現代アートと観客の政治学』クレア・ビショップ 大森俊克訳

  『革命のジョン・レノン:サムタイム•イン•ニューヨーク•シティ』ジェイムズ•A•ミッチェル 石崎一樹訳

  『1941:決意なき開戦/ 現代日本の起源 』堀田江理

  『エリアーデ=クリアーヌ往復書簡 1972-1986』

  『評伝 ウィリアム・モリス』蜷川久康 

    最近購入した本

 『写真集 土方巽 肉体の舞踏誌』森下隆 編著

 『Leaves  立花文穂作品集』 

 『自選 濱田庄司 陶器集』一九六九年刊 

 『入江相政日記』    

       

        『井筒俊彦全集』別巻がとうとう出た 鶴見俊輔『敗北力』も 申し込もう 。。。

    

         

       

蒼氓

《 僕等は皆 

  逆立ちの Dancer

  押し黙ったまま ただ 

  踊る 

  Step も決めず 

  冷えた身体 揺らすだけ 

  窓の外は闇 

  窓の外は 闇  》

          山下達郎 『DANCER

   この七〇年代の名作というしかない絶唱は『SPACY』LP 試聴盤で77年に聴いてから

  何度聴いても こころ動かされる

   あの時代から間もなく四〇年が経つ

     敗戦によって日本に主権がなかった時代「占領下の子どもたち」の直後

       一九五三年二月うまれのポスト・オキュパイド・チルドレン 山下達郎もすでに六三歳

          『DANCER』から一〇年ののち88年『蒼氓

         いま

     この重く陰鬱な「うた」に改めて耳を傾ける気になっている 

        駄文を綴りながらユーチューブを視聴していて

      驚いた ライブヴァージョン「蒼氓」のあいだに岡林信康の「私たちの望むものは 、、、」

        あるいはカーティス・メイフィールドの「People Get Ready」が

           力強く挿入されていたことだ (10:06秒〜)    

         ぼくの考えでは 山下達郎

       ミュージシャンとしてもひとりの自律した市民としても

  

     かなりふかい部分をコアに持ったホモポリティクスである 。。

    

直接は関係ないが 

  今読んでいるレジス・ドゥブレ『思想としての〈共和国〉:日本のデモクラシーのために』から

     とくに重要と思われる部分を引用したい

 《 共和制においては、社会は学校に似ていなければならない。その場合の学校の任務はといえば、それは何事も

  

  自分の頭で考え判断することのできる市民を養成することにある。ところが、デモクラシーにおいては、反対に、

  学校が社会に似ていなければならないのである。デモクラシーにおける学校のもっとも重要な任務とは、労働市

 

  場に見合った生産者を養成することなのだ。その場合、学校は「社会に対して開かれて」いることを要求される

  し、また教育は各人が好きなように選ぶことができる「アラカルトな教育」でなければならない。共和国におい

  ては、学校は囲い壁の背後にある、固有の規則を持った閉ざされた場所以外のなにものでもない。この社会から

  閉ざされているという性質がなければ、学校は、社会的、政治的、経済的、宗教的な力の矛盾した作用に対して、

  独立性(ライシテ=非宗教性の類義語だ)を保つことができないのである。学校についてこんな言い方をするのは、

  人間を彼の置かれた環境から解放しようとする学校と、逆に、その環境によりよいかたちで送り込もうとする学

  校は、名前は同じでもまったく別物だからである。共和国の学校は知性豊かな失業者を生み出すと言われ、デモ

 

  クラシーの学校は競争力のある馬鹿者を育成しているというわけだ。これは両陣営による意地の悪い批判の応酬

  である。》     「あなたはデモクラットか、それとも共和主義者か」 より

      デモクラシーと社会主義しか選択肢がないとか 

  この国のポツダム民主主義と選挙制度だけが至上の政治形態と信じ込んでいるひとは

      狭量なうえに騙されている 

             ぼくが罵倒する 国畜あるいは絶対愚民 は その事実に立脚している 。。。

    

       

   

   

      

     

         

      

  

一億人が「ルンペン•プロレタリアート」になっていく社会 。。。

 

いまや 

 日本政府は意図的に貧乏人を大量「増産」している

   増やすのは まとまったカタマリとして切り離し アッサリ棄民するためである

     ところが

   ルンプロ諸君 ルンペン予備軍諸君はそれに気がつかない

     ルンペンどころか 

        笑止なことに 彼らは自分がエリートの一員だと 信じて疑わない

          有名大学を出たし 一流品を身につけている

            食べ歩きもするし 服や靴や腕時計にも詳しい

              いまは 誰でも少し探せば「高慢」になれるネタくらい持っている

            東京では学年人口の73%が大学まで進学する 

          全国平均でもすでに過半数が大学生になる

       戦前の旧制高校生は世代人口の1%にみたなかった

    高等女学校の生徒ですら 大正初期は二十人にひとり 昭和十年でも16%と記録されている

       大学生になる それだけで凡庸な多数派なのだ 

         客観性を持てれば ルンプロ脱却の道も見えるだろうが

    

           この腐敗した国家社会を構成する大多数の全き愚民は

             胸裡心中では 震えるほど不安な癖に高慢なポーズを崩さない 

                       なぜなら

                みんな そうしてるから  。。。

            根っからの奴隷根性なのだ

        政府も政府なら 民草も愚鈍で怯懦なのだ     

 

      人一倍 身なりに気を使う ネオルンペンの時代 

    清潔に腐敗した ソフトなファッショ社会 。。。。  

       

              ★

           対抗手段 抵抗する方法は 

             意識革命しかありえない

               具体的には

                 まず「暮しを小さく」することだ

                    小さくすることで 

                       隙間ができ 身動きがとれるようになる

                    ほとんどのニッポン人は 

               老人から子どもに至るまで 実態より大きく見せようとして

           背伸びし爪先立ちし 無理に無理を重ねて生きている 

             それはピチピチに窮屈な衣服を身にまとうのに等しい

    

               精神を纏足の型に押し込めながら

 

                 意味を喪った「出来る奴」のフリをまだしている

            降りろおりろ 満員電車や住宅ローン 生命保険からドロップアウトしよう 

         ゆっくり のんびり睡ろうじゃないか こころゆくまで休もうよ

       

             生き直すのはいま

                ひとをうらやまず 

                  自分を卑下しないで

   

                万国の浮浪児 ゆっくり疾走せよ!!!

     

   

「石板食堂」にて

melittaで入れるコーヒーを準備してから

  石板に色チョークで その日のメニューを書き出す

       たとえばこんな具合

  「 珈琲 野菜ジュース クロワッサン 

    ぬか漬と茗荷の冷たい麦茶漬け

    豚肉とキャベツの味噌炒め 中華風スープ 搾菜 」

  「 カフェオレ プチパン V.J.

    韓国冷麺 

    刺身盛り合わせ 麦とろ ぬか漬け 」

最初はあった 朝 昼 夜 を省略し 野菜ジュースはV.J.と略す

      追加したものは随時 小さな字で書き加える

         トウモロコシ 枝豆 巨峰 ハモンセラーノ ゲソ天 幸水 etc. . .

 

 この夏から始まった新しいハビット

   要するに おままごとならぬ 原寸の食堂ゴッコです

 

    昭和期にはその日のメニューを黒板に書き出してある定食屋さんがありました

        いまだ電子レンジも持たず生きるワレワレとしては

      その真似をしてみたかった ト 

    ちいさな黒板かホワイトボードを買おうかと言われたけど

  無駄なものを買う必要はない 

   四〇年もまえ家人がフランスで購入した小学生用の石板 蝋石ではなく

     現代風に色チョークにしよう

       「シュタイナー学校」のチョークもあります 。。。 

         購入者であるぼくが忘れていたことまで 示唆される 

           赤とんぼが飛ぶようになった今日もつづいている

        昨年の十一月に始めたダイエットも着実に成果をあげ

           10Kgの減量に成功

         体重は70Kgをコンスタントにきった

      昨日の温泉における体重測定では67.85kg

    さしあたっての目標は 65キロ以下

    

              🌟

    

    さあ ルシアン・フロイドでも見習って 格好いい元気な爺さんを目指そうか / 笑。 

     ところで

    『ルシアン・フロイドとの朝食』は絶賛したいほどリアルで傑出した評伝だ

    陣野俊史テロルの伝説 桐山襲列伝』は薄れかけている「感覚」と「記憶」を呼び醒ます刺戟的な一冊

    図書館の本で現在進行中なのはクレア・ビショップ『人工地獄 現代アートと観客の政治学

    スーザン・ソンタグイン・アメリカ』  。。

    

       今日図書館で借りたのは

    レジス・ドゥブレ『思想としての〈共和国〉:日本のデモクラシーのために』[増補新版]    

        ドゥブレは以前リクエストしたものだが

    『戸井十月全仕事』はたまたま新刊書の棚でみつけた

      書店でも見ていなかったから早速借りた 全仕事という割にはなんだか薄く感じた 

        もっとたくさん仕事したと思っていたからだ

           それでも 方形 立方体の骨壷に入った十月を持った気がした

             ジュウガツと路上の友人ともいうべき形で最初に出逢ったとき 

               ふたりともまだ二〇歳をすこし超えたばかりだった 

                彼がまだイラストライターだった時代 

                 その後

           「プレス75」の頃はよく事務所に遊びに行った「プレスナナハン」と呼んだら嬉しそうに笑ったっけ。。。

        少なからぬ知己友人が帰泉した 佛教ニヒリズム 老荘アナキズムの徒であるぼくには 

            南無阿彌陀佛 六字名号のほかには言葉がない 。。。 

        レジス・ドゥブレとチェ・ゲバラ さらにカストロ 戸井十月を結ぶリンケージされた「縁」をおもい

                   粛然とする 

   

      《 死者を死せりと思うなかれ生者のあらん限り死者は生きん 死者は生きん 》

    

    

珈琲カップのなかに無敵艦隊を視る ひとりの狂人として

 

 プルーストのマドレーヌではないけど

                今朝の珈琲時間

    クラッカーにイベリコ豚のレバーパテつけて

            口に運ぶうち 

        身震いして むかしカール五世だったことを思い出した 

          のではない

    スペインがある時期 世界の覇者だったことをアナムネーシスしたのだ 。。     

       コロンブスの新大陸発見 無敵艦隊 etc. etc.

                そうだ

 

          スペイン市民戦争における『アナルコサンジカリスト」に最敬礼ッ!!

            オランダ ポルトガルも ローマ ギリシャ エジプト インカ マヤ 。。。

      

                秦の始皇帝 チンギスハンの蒙古も

         跡形もなく消えたものを含んで 古来 文明と帝国はたくさんあった

           嗚呼 それにしても大日本帝国は 恥ずかしいほどに三流だ

              栄枯盛衰 羽化登仙 だれも信じなくていいけど 

                ぼくは あるときマルクス・アウレリウスだったし 

             その前はラムセス二世だった

          ソーダ水のなかには貨物船がとおる  コップのなかでは嵐もおきる

              プラトンの洞窟を抜ければ 駱駝が針の穴をとおる 

   

                 珈琲カップのなかを走った無敵艦隊

             やがて 跡形もなく 消えた

        

          世界がもう終わりかけているなんて 

       だれも気づかない 

        みんな忙しいし みんな疲れてる 

          ずっとずっと いつの世も

            赤ん坊はあっという間に 老人になって 屍体となる

              三流の大日本帝国は 立憲君主制をそのままに

                けばけばしい糖衣を施した自称民主主義国家として 

                   憐れにも安っぽく ほろびようとしている

                      一億の絶対愚民 国畜たちを載せたまま 沈みゆく巨大な泥のフネ

                     合言葉は 新高山のぼれ ではない

                         「カチカチ山」

                    艦長 副艦長 指揮官一同はもちろんタヌキ

                          乗組員全体がタヌキ

                       ふたたび吹くというABカミカゼ

                     奇跡を頼りに浮いている 泥濘の不沈戦艦ヤマト

                              ★

                  カチカチ山のタヌキ帝国は永年の愚民化政策の絶大な効力により

                無理心中させられる「国畜」の白痴的無関心さに助けられ支配を継続中 / 笑。

『暑いからヒステリーでも勉強しよう』と植草甚一は言わなかった ケド 。。。

連日こんなに熱いと 暴飲暴食では収まらず

   ぼくのような温厚篤実な怪獣でも暴言を吐きたくなる / 笑。

      インターネットの面白さはアレクサンドリア図書館が裸足で逃げたくなるような

         生成し湧出する情報の無限さであり その完璧な玉石混交ぶりにある

        もちろん現実世界同様 玉杯や宝玉はきわめて稀であり 

      石どころがほとんどがセメントと泥濘系 あるいは犬猫や鳥の糞

    今日読んだ《 「人から嫌われるのが死ぬほど怖い人」は人生の大半を損している

       これはセイロン島から来たのではない 鋭く正しく面白い意見だった

     フリー・キャピタリストを名乗る午堂登雄さんは こんな風にいう

          『自分を縛る「べき」論を捨てていく』

          『世間体はあなたを幸せにしない』

          『嫌われるのが本当の人間である』 

      これは小心者ばかりになった今時の若い人には本質的に必要なオピニオンだ

  

     家族だろうが 契約画廊の画商だろうが 有力な美術館長だろうが

   嫌われることなど全く意に介さなかった自由な猛獣にして大画家 ルシアン・フロイドを描いた

      『ルシアン・フロイドとの朝食』を読んだばかりだから 一入の感慨がある

      本気で自分の人生を生きたいひとは ぜひ午堂さんとジョーディ・グレッグをお読みください

       さて もうひとつ

   《 頭がいいから「怠け者」になるんです(研究結果)

     これも 真理を抉っているみたいで 小膝を叩いた

     『IQが高い人たちは簡単に退屈しない。そのため、「何かをすること」より

     「何かを考えること」に多くの時間を費やす、と研究は示している。

      一方で、考えるのがあまり好きではない人や、すぐに退屈する人たちは、刺激を求めてより活動的になるという。』

     『「怠け者」以外にも、IQが高い人は、より罵る言葉を使う、

      遅くまで起きている、片付けるのが苦手、という傾向を示した研究もある。』

 

         ひとと社会を罵ることの多い罵倒観世音/観自在は なぜか一瞬うれしかった / 笑。

            さあ  小市民から脱落して戦々恐々と生きている 小人物のみなさん 

              こんなにクソ暑いんだから

                明日からといわず 今日から

                   好きにやろうぢゃアーリませんか 。。。。

              まず第一歩は あなたを 世間を気にするアタマの固い凡庸で俗な小人物にしている

           きわめて悪質な洗脳装置 テレビのスイッチを切ること

         そして できれば テレビを捨てること 新聞を読まないことから 始めましょう