三徳山 三佛寺 投入堂

俺が死んだら此処を俺だとおもってくれ。

それほど強く惹かれる建物。

均衡 

簡素

そのもの

Less Is More なフォルム

 

 

東洋とりわけ日本美の極北

と言える奇数の美

 

Asymmetryそのもの

 

静寂そしてmove

岩盤に建つ

盤石

そのもの

岩に羽をやすめる鷲の如き佇まい。

馬鹿!

俺はナルシスか。(笑

喝!

陋屋のダンディスム/稲垣足穂

廃墟も悪くない。ルードヴィッヒ二世を想い出す。

小屋にもノマドにも惹かれます。

でも、陋屋のダンディスム。

見立てで観れば、白州次郎/正子も

ある種 陋屋・武相荘

さてそこで想い出すのがこのひと。

地上とはおもいでならずや。

けだし名言。

稲垣足穂 入道にして弥勒

一千一秒倶楽部へようこそ。

おほてら の まろき はしら の つきかげ を つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ

秋艸道人・會津八一は佳き教師であり、優れた学者であり、傑出した詩人・藝術家であった。

このような人は稀である。

「キーワード」を漢字に変換してみよう。

大寺の 圓き柱の 月影を 土に踏みつつ 物をこそ 思え

月影とは「月光」のことだが、ここでは光のつくり出す影を意味している。

影が光を、光が又影を示す日本語の両義的面白さ。

足許から何かしら透明で繊細な力が伝わってくるような歌。

此処にはゲニウス・ロキと云うにはあまりに静かで清浄な空間がある。

光とその陰影がつくり出す魔法。

想うとはそのような事。

「大正十四年の春、奈良の旅に出かける時、私はいつになく、乗馬ズボンに拍車の付いた長靴を履いて行った。」に始まる

『乗馬靴』と言う随筆が

この人の資質を大変佳く表している。

この上ない程濃厚な幻想のなかに生きていた。

しかも知性を失わない。

逆にいえば

巨大な知性こそ、

芳醇な幻想性を保証する。

本の行く末(蔵書について)

もう店を畳むと言う古本屋さんで幾つか本を購った中に、斉白石の畫帖があった。

読んだか読まなかったか判らぬほど綺麗な本。

扉に蔵書印。

丁寧に押されたそれに,どこかで見た記憶がボンヤリ浮かぶ。

 

磯崎新だったか、それともあの人だったか。

それは大判の建築写真の本だった。

 

扉に同じラテン語の言葉が上質な朱泥で押されていた。

あの本は買わなかったが、

その古本屋も間もなく代替わり。

建築。

ラテン語

蔵書印。

畫帖。

文人畫粹編』

中央公論社刊・・・

 

あの人しか居ないかな。

不思議な縁。

聖三木図書館

美しい名前をもった小さな図書館。

上智大学の中

上智会館2階にあります。

デーケン教授がコレクションを公開、創設された。

学内のみならず一般に向けても開かれている。

和27000冊

洋23000冊

開架式の庫内を彷徨うと古い柳宗悦の雑誌『工藝』のナンバーが在ったりして人柄が偲べる。

夜間戦闘機「月光」

神林長平の「戦闘妖精 雪風」にまけないイマジナブルな名称を持つ日本には珍しく美的な航空機。

月光と百式新司偵だけが、世界水準の設計に思えた。

ポスターなど平面デザインは

浮世絵、着物あるいは光琳など、

江戸時代から最高水準にあるが、

この国はいつになったら立体を把握し、

フォルムに魔法を感じる本当のデザイン思想が生まれるのだろう。

イタリアほど日本から遠い国はない。

百式新司偵(百式司令部偵察機)

男の子なら誰でも一時期は航空機とりわけ軍用機や艦船、戦車、銃器にはまる。

ところが日本陸海軍には、美しいと思われる航空機が殆どない。工業力はあっても工業デザインと言う概念自体がないに等しかった。

零戦にある種のカリスマを感じても機体が美しいとは思えなかった。

何とか気むつかしい子どものお眼鏡に適ったのが、 

百式司令部偵察機だった。

もはや薄れ掛かった僕の記憶では「百式新司偵」だが………。