読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『氣違ひ部落』が巨大にエヴォリューション した狂気のブラック国家「ジバング/自縛愚」 。。

   

 秋寂び 

    古書肆から

 開高健『声の狩人』届く

1962年11月20日 第1刷発行 刊行後 五〇年を超えた岩波新書

   「表2」つまり表紙裏  扉寄りに 

  《 池内和子 

             様

    伊丹一三 

                   健  》  (縦に)姓を略し親しみを込めた青ペン献呈署名がある

  池内岳彦/義弘が 川喜多和子と結婚していた短い期間に 贈られた 一冊

  二〇歳で岳彦と結婚した和子 二二歳 伊丹一三 二九歳 

     贈った開高健も まだ三一歳     

  みんな若い わかい 

          そして 三人ともに もう この世にはいない 。。

開高が好んで色紙に残した ことば

  「入ってきて人生と叫び  出ていって死と叫ぶ」

             ひとの生死

                慌ただしく 儚きこと まさに そのとおり 

   ぼくは

装幀と造本に惹かれて買った『ロマネ・コンティ・一九三五年 開高健・六つの短編小説』

 しか読んでいないから 開高健の まったく良い読者ではない

でも なんだか

  この伊丹一三夫妻に献呈された新書は  

  『ヨーロッパ退屈日記』と 並べたかった  。。。

開高氏で思い出すのは むしろ きだみのる との絡み

 『洋酒天国』編集部時代 一九五〇年代から交友があったから

ずいぶん永く親炙 飲食と鼓腹談を含め 馬があったようだ

  いわば

   開高健は 数少ない きだを よく理解できた者のひとりだった

              ☆

きだみのる『気違ひ部落周游紀行』は敗戦の翌年一九四六年に 

  岩波書店から創刊されたばかりの雑誌『世界』に掲載され

一九四八年に吾妻書房から きだみのる著『氣違ひ部落周游紀行』として 

一九五〇年には時事通信社から きだ みのる『気違い部落周游紀行 決定版』として

  それぞれ刊行されている

さらに 一九五一年には新潮文庫

一九八一年に富山房百科文庫に 収録されている

 ところが ご存知のように「気違い」も「部落」も 

現在では言葉狩りに遭った「差別的な」なことばとされ

  読まれるどころか この 誇り高くも部落と気違いを冠した一連の名著は

        抹殺同然の扱いを受けて久しい

きだの 着目 洞察 攻究は 

いわば 近未来の日本への遺言を兼ねた 預言だった

  彼の推論は 想像以上に正しかった

 八王子の外れの 恩方村の 小さな部落 辺名で観察した

    ムラ社会の 十四戸の集落の 部落論理が

      現実的ユマニスムを 全面的に喪い 

       どす黒く 無責任に進化して 

東京だけでなく 日本全体 都鄙全体を 圧倒 制圧したのだ

  いわば 部落的ムラ社会が 日本人を召喚し接収した

    この一五〇年間 日本の「近代化」とは 何だったのか

  さて 

醜悪かつ凄惨 酸鼻きわまった この国の現況を鑑みるに

        ここ数年来  とりわけ2011/3/11 フクシマ以降は

  ほんとうに 

       本当にこの国は 巨大でワル賢い 気違い部落になってしまった 。。。

  法治国家としての国家倫理や 憲法・法律 国民の基本的人権より 

  ムラの掟が優先する ムラ社会 

  原発ムラ 霞が関ムラ 永田町ムラ 財閥ムラ 

       売国外交・軍閥ムラ

  薩摩長州ムラ ブラックサッチョー 闇黒ムラ部落

                気違いブラック ムラ国家

タイミングよく あるいは 絶妙絶悪のタイミングで 折悪しく 登場した

  TPP : Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement こそ

巨大企業 グローバル・コングロマリット による 超巨大ムラ社会

   「国家より大きなムラ」を

国家の頭上に作るための「環太平洋戦略的経済連携協定」//TPP

国家に保護される人権のうえに

  特許権 著作権 商標権を 置く 

     ひとりひとりの生存権 人権より 巨大なグローバル法人格の 利益 権益を 最優先する

         絶後の企て 前代未聞の悪巧み

  みなさん ほんとうに もう 自縛愚は だめかも 。。。

 

         ☆  ☆  ☆      

 

     参考文献として 雑誌『世界』一九四六年/創刊号『編輯後記』から一部を

《 「かうなると新しい総合雑誌が必要だな」と私たちが考へはじめたのは、終戦後まだ間もない頃であつた。戦争は終つたが、アメリカ軍の本土進駐はまだ行はれず、国内の一切がまだ戦争遂行の態勢のまゝ、たゞ突然に停止したといふ状態にゐた頃である。だが、恐ろしい崩壊はもう眼前に予想されてゐた。あらゆる方面に根柢的な変革が必至であつた。やがて現実となつて国民を捲きこむべき思想の混乱と生活の窮乏とは私たちの眼にも明らかであつた。私たちは国民の嘗めねばならぬ苦悩の深さを思つた。そして一つの新しい綜合雑誌の生れ出る必要を痛切に感じたのである。国民がこの不幸な状態を切抜けて颯爽たる姿を取戻すために必要な精神的苦痛の公けの機関としての総合雑誌、この――もしくはそれを探し求めるための――、さういふ雑誌が出て来なければならない。 》

 要するに  「未曾有の転換期における指導的思潮の本流を指し示すところの」「権威ある総合雑誌」が

        あっても[ダメだった]のです。新たな権威主義の権化だった『世界』と岩波 朝日新聞 NHK

        わたしたちは 六七年間も すべて間違え しかも 愚劣なほどに 非力で無力だったのだ 。。。

        ★《 わかものよ わかっているのか 諸君には 悲惨な未来しか待っていないことを。》★

                 ※ 10,21 国際反戦デー の思い出とともに