OAXACA MEXICO : オアハカの赤いライオン

   丁寧な梱包で

二本のメスカルが届いた

「MEZCAL REAL MINERO / TOBALA」

       と

「WAHAKA MEZCAL / TEPEZTATE」

       かつて

     関心空間の雲衣。日記に

 『「MEZCAL」への旅』と題して 

     長文を書いて

        最後の方に

《 ぼくのこころは稀少野生高山種アガベによるメスカル

「トバラ」や「テペスタテ」などに占領されている          

  特に貴重なこの二種類を中心に

 一〇本あるいは二〇本ほどのコレクションをつくりたい 》

     こう書いたのは2015年10月

         それから

       二年間で

      ゆるやかにコレクトはすすみ

   トバラとタペスタテ中心に

          貴重なメスカルを

        二〇本ちかく蒐集した

     その多くは

    メキシコ民芸雑貨とタコス

    大阪TOMBOLA店主 S氏が

      オアハカで購入して

       「手運び」で持ち込み

         国内発送してくれたものだ

       本当に感謝にたえない

    

    ところで

 「オアハカの赤いライオン」とは

    サパティスタ民族解放軍/EZLN

         あるいは

                マルコス副指令官のことではなく

         ふるい玩具

   もう三五年もむかし

    渋谷にあった頃の

      奥村土牛のご子息がやっていた

         べにや民藝店で

       購入した赤い木彫のライオン

         メキシコ製ウッドカーヴィングのことである

         L 35cm   H 14.5cm  W 8.5cm

      七〇年代に作られたそれは

         もうすっかりヴィンテージの風格を持つ

      メキシコ製だということは当初から知っていたが

    この独特な木彫玩具が

      オアハカ州で産したものとは

        最近まで気がつかなかった

     数ヶ月前

   暑い盛りだっただろうか

     いまは老舗になったセレクトショップHPに

       ヴィンテージ品として驚くような高額で

           扱われていた

 

      時代ももっと若いし 

        フォルムの魅力も

          所有するものより

            ずっと劣ったそれが

         20万とかで売られていた /笑 。。

 

     あまりよく覚えていないが

       べにや民藝店で買ったときは

          3000円とか4000円だったと

             おもう

 

        その霊力ある赤いライオンが

       貴重なメスカルを呼び寄せてくれているノダ

         そう思うことにした  

 

   ジークムント・フロイト

    ギリシアやエジプトの骨董蒐集家で

      古いフィギュアを

     まるで近衛兵ででもあるかのように

        机上に並べている

          有名な写真がある

 

     あれを老生は

         メスカルとりわけ

       霊性を感じさせるトバラ タペスタテ

           のボトルで

          やるつもりだ / 笑。

 

        一緒に赤ライオンもおこうか 。。

 

 

     

 

 

 

 1949+68=2017

 「もはや 余生である。」

           生意気というより

       驕傲を超えて

      そう宣言したのは

         二〇歳になったころだった           

            それから

          約半世紀が経ち

        先月

      六十八歳になった 。。

            随分

      ながい余生をおくったことになる / 笑。

 

        幻燈でみた

    オスカー・ワイルド幸福の王子

         独特な厭世観

     深甚かつ霊的な衝撃をうけたのは

          五歳だった

  

       厭離穢土

          同時に

           幼稚園にはじまる

            椅子とり競争とも

             呼ばれる

           「ラットレース」から降り

 

      不可視の私立「脱走兵」として

        隠棲 隠遁者として

          マージナルな「余白としての人生」

            生きてきた  

         協力者とともに

  

         最近になって  

      フランコ・ベラルディも

    ディヴィッド・トゥープも

       読みながら

        1949年生まれであることに

          気づいた

      スラヴォイ・ジジェクも同じ年だ

 

    13歳でビートルズにショックを受け

       同じ年

 リンカーン・プレジデンシャル・コンチネンタルに乗った

    JFK 暗殺を国際中継によるテレビで見る

        さらに 

   1968年パリ五月革命

      文化大革命

         ヒッピー ラブ&ピース

          ライクアローリングストーン

       先進国トンガリ青年総叛乱

       ジジェクもトゥープ ベラルディも 

      騒然たる十代をすごしたはずだ

        

          やがてテロルと内ゲバ

       血生くさい70年代80年代が始る

        バーダーマインホフ・グルッペ

          赤い旅団

            連合赤軍 

              ウェザーマン etc.

               これら「極左組織」に関して

                 語ることはしないけれど 

     それでも 

       今よりはましな時代だったと

         はっきり言っておこう

                   。。。

                    

             そういえば       

     『図書館 愛書家の楽園』を書いた

       アルベルト・マングェルは 

         1948年の生まれだ    

 

            

     

 

            

 

 

 

増殖する砂漠を超えて 野営地へ 。。。

『バビロンの流れのほとりにて』

  『旅の空の下で』

    『木々は光を浴びて』

      『砂漠に向かって』

        『経験と思想』など

      森有正を重点的に読んでいたころから

         四〇年以上が経つ

           それどころか

             すでに

          彼より年齢がウエになった

              自分に気がつく

 

      ぼくが言うまでもなく

         この半世紀で

           世界の砂漠化は

             ほぼ完成の域に達した 。。

 

 「新自由主義」「暗黒グローバリゼーション」「怪物的ホモエコノミクス」

      「人間用」蟻地獄と化した

  現代グローバル社会を表象する

     これら鍵語に共通するのは

                          合理性を装った一種の狂気である

         そう

           私たちは

             狂った砂漠に棲んでいる 。。

  

 

フランコ・ベラルディ『大量殺人の“ダークヒーロー”』を読みおえ

ジェームズ・C・スコット『実践 日々のアナキズム』読みはじめる

 

  同時に読んでいるのは

フランク・W・パトナム 中井久夫訳『解離』

シルヴィアーヌ・パシェス 北原まり子・宮川麻理子訳『欲望と誤解の舞踏』

中尾拓哉『マルセル・デュシャンとチェス』

  

     それぞれの副題を書き添えておこう

 「なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?」

 「世界に抗う土着の秩序の作り方」

 「若年期における病理と治療」

 「フランスが熱狂した日本のアヴァンギャルド

 

     もう一〇年ほど前になるだろうか

       スラヴォイ・ジジェクを集中的に読んだ時期を思い出す

          

         ジジェクよりフランコ・ベラルディのほうが「効く」/笑。

           それは

    ビフォことベラルディのほうがより深くペシミスティックだから 。。

      もはや

       ジジェクですら楽観的すぎるように見える

 

  ビフォは「最終章」第11章

【何もなせることがないときに、何をなすべきか?】でこう述べている

《 私はアイロニーの自立が、その答えだと思う。つまり参加の反対、責任の反対、信仰の反対である。政治家は彼らの政治に参加するように催促する。経済学者は、責任をもってもっと働くように、消費し市場を刺激するように催促する。聖職者は、信じるように催促する。もしあなたが、こうした参加や責任への催促に従うなら、罠にはまることになる。ゲームをやらないこと、政治からいかなる解決も期待しないこと、ものごとに執着しないこと、希望を持たないこと。

 ディストピアアイロニー(ディストーアイロニー)は自立の言語である。

  懐疑的であろう。あなたの仮説やあなたの予測を(また私の予測をも)信じないようにしよう。

  そして変革をあきらめないようにしよう。たとえ、どうやったら勝利できるかわからないにしても、権力への反抗は必要である。》

 

《 あなたが死か奴隷かの選択を迫られたら、奴隷にならないようにしよう。奴隷になったら、遅かれ早かれ死が待っている。しかも奴隷として死ぬ。

あなたはいずれにしても死ぬ。いつ死ぬかは重要ではない。重要なのは、あなたがあなたの生き方をすることだ。》

                 『ディストピアアイロニー』より

  

  「大量殺人」と「自殺」について

     思いつく重要なテクストがふたつある

 ひとつはアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム第二宣言』

 《 もっとも単純なシュルレアリスム的行為は、両手にピストルを握って、通りに出て

  群衆のなかで、できるだけでたらめに撃つことである。》

    「第二宣言」は三〇代になったばかりのブルトン

       1929年に発表した一節だ

     

         ぼくの知る限りでは

      この藝術的エッセイが「無差別殺人教唆」の嚆矢である

 

    自殺については

      川端康成ノーベル賞受賞記念講演

         禅の精神を表面に用いながらも

           「虚無と死」を主要なテーマとした

        『美しい日本の私 その序説』

 

 《 一九二七年、芥川は三十五歳で自殺しました。私は『末期の眼』

  のなかにも「いかに現世を厭離するとも、自殺はさとりの姿ではな

  い。いかに徳行高くとも、自殺者は大聖の域に遠い」と書いてゐま

  して、、、》

 《 「もの思ふ人、誰か自殺を思はざる。」でせうが、、、》

 

    このストックホルム講演で自殺に対し批判的に述べた川端自身が

        受賞の四年後1972年には自殺しています 。。

 

     さて

   ジェームズ・C.スコット

『実践 日々のアナキズム』からも過激で役に立つところを引用しておこう 

 

《 それゆえ、暴動、財産への攻撃、野放図なデモ、窃盗、放火、公然たる反逆などといった、大規模で組織化されていない反乱が既存の制度を脅かす時にのみ、構造的変化は起こりうる。左派組織でさえも、既存の制度的枠組みのなかにたいてい取り込めるような秩序立った要求、デモ、ストライキを構造的に好む傾向をもつ。そのため左派組織は、組織化されていない反乱を促進したり、ましてや、開始して先導したりすることは決してできない。名称、役職、憲章、横断幕、そして内部の統治慣行を持つ反対勢力は、しごく当然のことながら、制度化された闘争を好む。彼らはその専門家なのだ。》

              「はじめに:組織の逆説」より

 

《 一九世紀、二〇世紀に行われた偉大な政治改革は、ほとんどの場合、非常に多くの市民的不服従、暴動、違法行為、公的秩序の崩壊、そして極端な場合には内戦といった出来事の後に生じた。こうした騒動は劇的な政治変動を伴っただけでなく、しばしば政治変動を引き起こす決定的な役割を果たした。残念ながら、経済不況や国家間の戦争などによってもたらされた不可抗力がなくては、代表制の諸制度とそれを通じた選挙だけで重要な変革を引き起こすことはほとんどないようだ。自由民主主義諸国では、財産と富が集中し、最も裕福な層が、その優位な地位を使って、メディア、文化、政治的影響力への特権的アクセスを享受している。その結果、かつてグラムシが述べたように、労働者階級に投票権が付与されても急進的な政治変動が生じなかったのは、まったく不思議ではない。通常、議会政治の特徴は重要な変革を促進することよりも、現状を固定化することにある。》

          「第1章:断章3 さらに不服従について」より

 

ポストモダンの時代は、一九七二年三月一六日の午後三時ちょうどに始まったと言われる。この時、受賞歴もあるセントルイスのプルーイット・アイゴー高層公共住宅が、とうとうダイナマイトによって公式に破壊され、瓦礫の山となったのだ。住民たちはすでに退居していて、この住宅は文字どおりもぬけの殻になっていた。単一の使用目的のために周囲から分離されて建設された高層公共住宅街は、多くの住民にとって自尊心を傷つける倉庫のように感じられ、今やほとんどが解体されている。プルーイット・アイゴー住宅は、そうした高層公共住宅街という艦隊全体の旗艦のようなものに過ぎなかった。》

          「第2章:断章8 無秩序な都市の魅力」より

 

    日本では無知と無明の二重等閑にあるが

     スラム街を取り壊して建てられた

   セントルイス・プルーイット・アイゴー住宅の設計者は

         あの

          20世紀 21世紀を通して

        間違いなく

     もっとも劇的な建築物

  NY 世界貿易センタービル/WTCを設計したミノル・ヤマサキである

          奇しくも

      「モダニズム建築終焉の日」と同じ

       1972年にはノースタワーが完成 

       翌1973年にサウスタワーが落成している

 

  ジェームズ・スコットに倣っていえば2001年9月11日に

    「脱真実の時代」

        「ポストトルースの時代」が始まったともいえる 。。

 

     ミノル・ヤマサキ「プルーイット・アイゴー」

            「WTC」とくれば

 

       初期には

    一枚の絵葉書として成立

        没後の「実現」まで27年間を必要とした

     Joseph Beuys 畢生の「超」コンセプチュアル・アート

        「コスマスとダミアン」1974年

          に触れないわけにはいかない

         しかし

      この魔術的な「巨大作品」を

          理解できる

     観念藝術と魔術と政治に通じた超越的に聡明なひとが

         日本に何人もいるだろうか

 

       ちなみに

         BEUYS の作品名になった

      外科医と医師の守護神である双子の兄弟

            ノマド医師 

        アラブ人の「聖ダミアンと聖コスマス」が

           斬首刑に処せられた様子はフラ・アンジェリコ

              一五世紀になって描いている

 

          

     

      

 

 

 

  Plain Living and high thinking  are no more :

「質素な生活と高遠な思索」は 

    《 既にない 》。。。

   もう二〇〇年もむかし 

       ワーヅワスはそう哥った  

知悉しつつ

  興味ある本を読み 

    美しいものを購う

 

     先週は

 ヤフオク柳宗悦稀覯本が二冊出現

        私版本『美と模様』昭和十七年

   ぐろりあそさえて『工藝の道』昭和三年

      『美と模様』は限定二〇〇部

      『工藝の道』は一五〇〇部

    どちらも署名入り

        さて

       この二冊の入手難易度を計れるひとは

           古本屋を含めて

        「いま」そう多くはいない

       結論からいうと

    『工藝の道』署名本の方が遥かに貴重

      柳の私版本・限定本・署名本を蒐め

        三〇年余になるが

          (多分)はじめて見た  

         柳私家版はたとえ発行部数は少なくても 

        かなりの割合で署名されている

    『美と模様』もムロン署名入りで架蔵している

 

          柳工藝論の基本書籍ともいえる

       『工藝の道』署名本はいつか欲しいと念じていた

            特別な一冊だった

         おまけに

      長谷川如是閑の旧蔵で 

    扉に「柳宗悦」の署名とともに

         左右並ぶような位置に

      「如是閑洞」の蔵書印がある  

 

  入手した『工藝の道』を詳細にみるうち

    興味ぶかいことを発見

      これまで所有していたものと

        背の題箋サイズが異なっている  

      と言っても

  印刷部分は同一で用紙サイズに違いがあるだけ

     さらに面白いことは扉ページに挟んであった紙片が

       やや大きな方の未使用「題箋用紙」であること

         まさか

       題箋のサイズを選べたとは思えないが

    さすがに

  製本が完全に手仕事で行われていた時代の本だ

 

    ながいあいだの探求書だった

      『工藝の道』署名本を落掌した

   このあとは

  不思議なほど市場に出ない

   『蒐集物語』署名本に留意することになる

 

       まるで兄弟のように

 宝文館から昭和三十三年に出版された『民藝四十年』は

  献呈署名入りが珍しくないのに

    中央公論社から昭和三十一年に出版された

        『蒐集物語』の署名本は

           どのような事情からか

         本当にほんとうにない

       ちなみに

    ぼくの『民藝四十年』は松方三郎への献呈本で

        墨痕淋漓 大きな文字で

     「松方三郎兄  

             宗悦」と署名されている

 

     「兄」ついでに付記すると

  私蔵する『蒐集に就て』には 「梅原兄

                     宗悦」と書かれている

         もちろんあの梅原龍三郎宛だ

  

 

   

    

     

 

 

遠藤賢司もファッツ・ドミノもトム・ペティも死んだ

 三月にはチャック・ベリーが鬼籍に入っている

                  子どもから中年までを

         夢中にさせ

      長くつづいた「人工的な青年期」音楽  

   欲望を装うアーティフィシャルな商業音楽

      甘い騒音としてのもうひとつのミューザック

        ロケンロール

          R&Rの時代が終わった

            パンクやレゲエ リズムンブルーズも含む

               ROCKの時代が完璧におわった 。。。

 

      昨年

   ボブ・ディランは 授賞式にこそ出なかったものの

      「戦争の親玉」そのものからノーベル文学賞

         与えられたことで

           「反抗者」の音楽と歴史 

              矜持と伝統は

                息の根を止められた

 

             もはや

          世界には

       豊かであろうと貧しかろうと

         有名であろうと無名であろうと

            奴隷しか存在しない

 

        天才と狂気を併せ持つ

      我らがミスタ・ロックンロール 

   フィル・スペクターはいまだ医療刑務所に入っているが 。。。

 

         この世は飽き飽きだ

     もう思い残すことなく

         終の棲家のほうへ歩いてゆこう

     「終の棲家」は単なる文飾・レトリックではない

       四〇歳にして厭離穢土の念いよいよ昂ぶり

         濁世から遁走 

           人生のほとんどを林住期に費やす

             その時節を卒え

               最終段階

                遊行期にはいる

 

        遠からずはじまる老軀/眉雪には

          食料調達と病院へのアクセスが最重要

             大隠は市に隠る 

               セオリー通りに

              市街地へ降りていく

            最後になるだろう引越に向け

                ある意味

         ぼく以上に潔癖な家人は

           ものを大量に捨てながら

            「もう地下に潜るしかない」

               そういって「遊行期」への準備を始めている

 

 

 

 

        「人魂で行く気散じや冬野原」   

                    倣 画狂老人卍

 

 

   獄中で伊藤耕が死んだ 。。 

THE FOOLS    ブルースビンボーズ

           Vo.

    伊藤耕が死んだ

  札幌矯正管区・月形刑務所内での「不審死」

     (検死結果を待っている〕とある 。。

 

    2015年9月から服役中で

      この12月には出所するはずだった

          2017年10月16日死去

            享年62歳

   

  たまたまバーホッピングのように

       きのう

     AirMac

  ツイッターを梯子していて

     山崎春美

   FOOLSの葬儀告知をリツイートしていた 。。。

      

         伊藤耕やフールズのメンバーとは

        下北沢でときどき一緒になった

      思い切りとんがっていたけど

     喧嘩もしないで飲んだ

   まだ松崎博が生きていた頃のネバーランド

  小田急線の踏切を間近に見下ろす

朽ちた木造二階の小さな王国  Never Never Land

 本多信介や渋谷則夫 寮美千子 亀和田武 米澤嘉博 高取英

   伊藤ヨタロウ ライオンメリィ 大谷レイヴン 白井良明

     大月ウルフ 河村要助 松山俊太郎も来ていた時代

       1980年代なかばだろうか

         すでに30年を大きく超えた昔になる

 

   江戸アケミ 西岡恭蔵あたりに始まって 

  チャー坊 桑名正博 どんと 

    成毛滋 加藤和彦 大瀧詠一

  山口冨士夫 青木真一 川田良 。。

     死屍累々だなぁ

  

    友人知己ミュージシャンの死亡原因は

      冨士夫ちゃんのように

        殺されたのは例外として

          自殺・事故死もおおいが

            獄中での変死は初めて

         それにしても

       死んだ知り合いともだちばかりふえる 。。。

   

  国立歴史民俗博物館から届いた図録

  『「1968年」無数の問いの噴出の時代』眺め感懐にふける

 晩年の思索の主要テーマは「ホモ・エコノミクス化した人類とは何か」

  「20世紀とは何だったのか」に決めてある

    「1968年の実験/総叛乱」を不可視の分水嶺

       「虚の萃点」として考えたい

   

  どう考えても前方はドグラマグラ的な闇に覆われているので

         過去を研究する 

  手許から喪われていたヴァルター・ベンヤミン著作集2

    『複製技術時代の芸術』晶文社 1970年8月発行

  ハヤカワ・ポケミス260 レイモンド・チャンドラー 

    清水俊二訳『長いお別れ』1958年 初版

         購入

 

  並行して現在読んでいるのは

 ディヴィッド・トゥープ『フラッター・エコー:音の中に生きる』

   DU BOOKS   2017年6月刊

 『ブルームの歳月:トリエステジェイムズ・ジョイス 1904-1920』

   ジョン・マッコート 宮田恭子訳 水声社 2017年6月刊

 『日本の長い戦後:敗戦の記憶・トラウマはどう語り継がれているか』

   橋本明子著 山岡由美訳 みすず書房 2017年7月刊

 『日本帝国の崩壊:人の移動と地域社会の変動』

   柳沢遊 倉沢愛子編著 慶応義塾大学出版会 2017年7月刊

 

    

   ぼくにとって

     読書行為は酸敗しきった隷属国家・属領・植民地

       「ネオ日本途下帝国」からの霊的な政治亡命である 。。    

 

       

 サギとカラスのあいだに : : 藝術の「脱真実」

   二〇世紀藝術を考えるうえで   

       キーパーソンが四人いる    

オスカー・ワイルド    

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ        

マルセル・デュシャン 

ウォルト・ディズニー 

   1900年11月30日に

        ワイルドが死に

     1901年12月5日に

         ディズニーが生まれている 

   きわめて重要な概念

 「自然が藝術を模倣する」と述べたのはワイルドであり

 「こころで見なくちゃ ものごとはよく見えない

     かんじんなことは目に見えないんだ」

         キツネの口を借りてそういったのはトニオだった

       これらの言葉は

     藝術の枢要部・神髄を衝いており

   いまなお有効である         

       ワイルドとサン=テックスは宮澤賢治の同類 セイントの一種であり  

    デュシャンとディズニーはマーラ・パピーヤスの係累類縁である     

       ディズニーの重要視を意外に思うかもしれない

         しかし

       彼こそ

    二〇世紀と二一世紀藝術を拝金主義に導いた張本人

       俵のねずみが米食ってちゅう ちゅうちゅうむちゅう

             「ラットのミダス王」

       TPP/TTIPネオリベラリズムの背後にいるのは

     巨大製薬会社と国際種苗企業と並んだ

  超人ゾンビ化したウォルト・ディズニーの会社だ

    すでに五〇年も前に死んだおとこの

       ネズミの画が

         いまだに

           年間10兆円以上を稼いでいる

        仕事のない若者が世界には十億人もいるのに 。。。

    ディズニーが弁護士たちと一緒に編み出した

      力技 陰険な荒事ともいえる

        著作権と厳重な監視システムによる錬金術

          絵をお金にかえる

            現代の黒魔術を開拓しつづける超悪漢組織

               ウォルト・ディズニー・カンパニー

       それは

   ピカソやダリ ミロやシャガールとは桁のちがう算術であり

        ベニスの商人以上の非情ぶり

        アンディ・ウォーホル ロイ・リキテンスタインはじめ

      アメリカン・ポップ・アートは

   ディズニーとデュシャンのハイブリッドである

         とにかく

    彼らの怪しげな活躍で

                         美術市場は「詐欺師」が跋扈する場となった

  ( 興味深いことに日本のヤクザ用語で「陰謀を図ったり」「策略を練る」

     ことを「画を描く」とか 「絵図を描く」といいます、、、)

                       絵描きは錬金術師や贋金造りと重なるような

           古来より怪しげな商売です

          疑うものは 村上隆草間彌生を見よ

         さらに付け加えよう

   ジェフ・ベゾス セルゲイ・ブリン マーク・ザッカーバーグ 

      ジャック・マー 孫正義

          ビル・ゲイツらはウォルト・ディズニーの外孫である

      さらにアメリカを中心にした絵画・作品の大型化

       大銀行のホール壁面展示用に巨大化した

         投機対象としての高額化が

           才能ある地面師ならぬ絵図師たちを吸収する

                最大の理由になった

           ここに

       マネやモネ セザンヌの時代と劃然と断絶した

           新興「アート市場」が成立した

    

         「マネーこそ至高」「マネーだけが真実」

 

       愚かな知的大衆は巨額なマネーとそれにまつわるナラティブを

         拝むために拝金の神殿 美術館へいく

           貧しくも熱心な拝金教徒として

        さて 

         言っておくべきことがある

       宗教と芸術はとてもよく似ている

      偽物がおおく 本物はごく少ない

    それは 

  ほとんどの人間には 真偽の区別がつかないからだ

 

      ゾソタウンの前澤友作は

   日本を代表する現代美術のコレクターであるという

          もう

  現代美術は「高価なゴミ」を収集する新興成金たち

    金銭欲と自己顕示欲のIT亡者に任せよう / 笑。

       いうまでもないが

 冒頭の「二〇世紀藝術  キーパーソンが四人」とは

    もちろん「ぼくにとって」であり

     ワイルドもテグジュペリも「趣味」である

             ここでは悪役を振っておいた

      デュシャン

  きわめて高い見識を示しているので紹介しよう

    「藝術には賞味期限がある」

           がそれだ

    魔術のように手品のように 詐欺のように

          ホントウは

        藝術にも寿命がある

       

   われわれは「高価」「有名」という理由によって

       主として西洋の

     廃物あるいは屍骸を拝まされてきたのではないか

    歴史という名の権威主義/覇権主義に騙されて 。。。

      こころあるものはヘイドン・ホワイトにでも倣って

        抑圧的な詐欺装置・美術館と美術史を

          もういちどでも二度でも 

             考え直す必要がある

 

             いつまでも

           エリー・フォールや

        ヴァザーリを読んでいる場合ではない / 笑。