『死んだムラの 毀れた学校』 。。  

入退院の前後に読んだ

   『中井久夫集 1  働く患者』から

     引用したい

《 日本に大量に大学が生まれたのは戦後まもなく、高度成長以前の時期であるが、アメリカでも大不況後に大衆大学が出現している。ヨーロッパでも最近新大学が生まれつつあるが、ヨーロッパは十年来慢性不況にある。

 このプールはかなり効果的な弾力性がある。不況のために、今、就職すればあまりよい展望がもてそうになければ、その代わりに一段階上の学校に進学して、次のチャンスに賭けるという選択に傾く。しかもその間は父兄負担である。失業手当の支払いを政府はする必要がない。  

 また、教育は階級制度にかわる一つの階層組織を提供してくれる。階級制度は明白な攻撃の的となり、その維持にはかなりむき出しの権力を必要とする。むき出しの権力は社会の不安定要因であり、しばしば社会体制の脆弱性の暴露であり、まかりまちがえば体制そのものが動揺する。しかし、教育というフィルターを通った階層組織はーーー教育への機会が必ずしも十分平等でなくともーーー真正面からの攻撃を受けにくい。とくに社会の過半数がこの階層組織に関与している場合はそうである。》

 

《 教育についても事情は同じではないだろうか。戦前の大学生は一年約五万人✳︎であったらしい。戦後それは数十倍となったが、大学卒にふさわしい仕事に従事している者の数は戦前に比してそれほどふえていないといわれる。学歴も当然インフレーション的価値低下を起こす。この場合も、貨幣価値の低下を見込みながらも貯蓄せざるを得ないのと同じ事情が働く。それは、単純な損得では答えの出ない強烈な動機ーーー恐怖ーーーにもとづく「死回避行動」である。低学歴者が少数となった時、この恐怖はにわかに増大する。配偶者を得られないのではないかという恐怖すら地平線上にほの見える。

 高度成長は終わったのかも知れないが、そのバランスシートはまだ書かれていない。しかし、その中に損失として自然破壊とともに、青春期あるいは児童期の破壊を記してほしいものである。われわれは大量の緑とともに大量の青春を失ったと言えなくもない。

 なぜなら、それは第一に教育を「死回避行動」に変えてしまったから。戦後の新教育が何であろうとも、それは少なくとも「死回避行動」をめざしたものではなかった。戦前の教育でさえ同じことが言えるだろう。これは教育の内実を貧しいものにすることである。教育が「一元化」したのは、原因でなくて結果である。今日の商船大学卒業生が陸上の企業に就職するように、もし多様な教育機関が存在したとしても、単色化はさけがたいだろう。医学部のような特殊な学部でさえ、単に難関であるために挑戦する対象になりつつあり、医師になろうとする心構えの乏しい学生の存在に医学部は困惑しつつある。

 最大の問題は、学生生徒はもとより父兄も教師も教育の元来の価値を信じなくなっていることである。

 発達期は、現在の課題に応答しながら別に成長のための分をとっておかねばならない時期である。その分まで食い込むとは、それは成人になる資本/もとで をつぶしていることになる。》

 

《 高度成長の終焉とともに、潜在失業者プールをはじめ、さまざまにそれなりの社会的機能を果たしていた膨大な中・高等教育機関は、そのような意味でも「無意味化」を起こすかもしれない。惰性はなお受験競争激化、高学歴化の方向へ進むであろうが、これらの教育機関が次第に一種のサナトリウムと化してくる可能性がある。学校にカウンセラーを配置しようとする案の現実性はさておき、それはすでに現実の問題となりつつあることを示唆している。》

 

《 今日の子どもたちがいちばん恐怖を覚えているのは何だろうか。お化けでも、戦争でもないだろう。落ちこぼれだろうか。そんな程度ではあるまい。ひょっとすると精神科医計見一雄氏(『インスティテューショナリズムを超えて』星和書店)の言われるように「生きつづけてゆけない」恐怖かも知れない。精神病恐怖かもしれない。級友の一人二人が休学したことを果たして彼らは他人事と聞いているのだろうか。彼らにとっていちばん身近な安全保障感喪失の危険は、そういうことではないのか。そのために彼らは無理をする。それは時に悪循環を生む。優等生の微細非行も、それにどこかでつながっているかも知れない。》

     「ある教育の帰結」(一九七九)より

 

 

 中井久夫がこれを書いたとき 彼は四十五歳だった

 それからほぼ四〇年が経とうとしている 

 この国の惨状はさらにさらに非道くなって

 もう取り返しがつかない状態と判断した方が正直だろう

 教育のみならず社会構造そのものが臨界・過飽和点に達している

 四年制の大学総数は2015年段階で777校を超えたという

 「仕方なく高等教育制度で時間をつぶす」それが醜悪なリアルだ

 貴重な青年期の時間だけではなく 予め失敗を約束された教育投資

 病院が疾病工場であるように 学校は一層巨大な消費工場群である

 受益者負担による有料託児系保育システムによる幼稚園付属大学院

 それをソフトな監獄 有償懲役システムとよんでも間違いではない

 いまや 囚人や兵士やルンプロにもなれない純情消費投機者にすぎない

 

 

✳︎「五万人」は当時の医学部を除いた在学年数三年間の総数であると思われる

 大学生になったのは一年間に一万六千人強でしかなかった

 あの中井久夫ですら間違いを犯すことにホッとするとともに みすず書房

 校閲校正システムがすでに事実上 無機能化している事実に暗澹とする 。。。