競売にかけた歳の大部な函入目録 (2003年刊)
《 42, rue Fontaine 》全8巻 と
ティルマンスの初期刊行物『KUNSTHALLE ZÙRICH』1995年
別々だったが同じ日に届いた 。。
『チューリッヒ美術館』は 2008年にリプリントが出版され
その時 どうせならオリジナル版を買おうと決意したから
14年ほど待ったことになるが 甲斐あって状態も素晴らしい
これで20世紀のティルマンス本はほとんど揃ったことになる
残すはかなり難物の
『Totale Sonnenfinsternis. Cologne: Galerie Daniel Buchholz』
1999年刊行のみ 。。『皆既日食』はわずか48頁の薄冊だが
ここまで蒐めるとやはり欲しい/笑。
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『フォンテーヌ街42番地』はこれから晩年の玩具として
「シュルレアリスム」全体をふたたび眺め考えていくための資料だ
これまで誰も指摘しないので 記録として発言しておくと
ブルトンたちの「超現実主義」運動にきわめて似ているのが
雑貨運動の先駆者のようにしか考えられない阿呆ばかりだが
既存の惰性的な既存教団を超えることを目指した「宗教思想家」だった
江戸以前と江戸からの仏教はキリスト教を含む
露骨に駆逐されていたはずだ 。。
間違いなく昭和仏教中興の祖である
彼らがいなければ仏教は 単なる前例踏襲の
金儲けの「葬式仏教」に堕していた
こころある佛教者も基督者も今回の「統一協会」事件を
本心で愧じる必要があるだろう
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中井久夫さんが亡くなった
2022年 8月8日 享年88歳
ぼくにとっては小津安二郎が
満六十歳の誕生日
1963年12月12日 亡くなったことに匹敵する
ささやかであるが親密な神秘だ
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あまり口外しないまでも
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さてここから「言わずもがな」のことを云おう
ルネ加藤になった
吉田茂も臨終洗礼という名の没後洗礼で
「ヨゼフトーマスモア吉田茂」という怪しげな名前になっている
さらに驚くべきことに この大狸は「叡光院殿徹誉明徳素匯大居士」
という正式な戒名まで持っている/笑。
これは
熱心なキリスト教徒だった牧野信顕の娘 茂の妻 吉田雪子
と その三女であった旧姓吉田和子
麻生太郎の母でもあるこれまた熱心なクリスチャン麻生和子らの意向と
結果かもしれない 。。。。
ぼくの中ではすでに加藤周一は「知識人」ではない
彼はおそらく仏教もキリスト教も「理会」できなかった
なんだかブランドと流行だけが好きな「大衆向け知識人」
だったのか 昭和的なあまりにも昭和的な
あの『羊の歌』も『続 羊の歌』も『夕陽妄語』も
残念ながら
その程度のものだったのだな 。。
日本のキリスト教信者の浅薄な胡乱さを代表する具体例として
最晩年はほぼほぼ「狂乱状態」だったといえる 。。
彼・彼女たちは信仰を私的なものだと思い込んでいる
あるいは理性知性の領域で受け止められる
ように考えているのではないか 。。
信仰心以前の「信」「不信」すら理会していないように見える
云ってみれば
その覚醒が ルネ加藤にもパウロ高田にも感じられない
務めていたことを誇っていた代々木二世ではなかったのか
その簡便さと 犯罪集団「統一自民鶴子家庭党」問題は
明らかに重なっているだろう
土下座敗戦後 多くのヌッポン人は甲子園もプロ野球も
政治も企業も何もかも単なる儲かる「おまつり」と
して考えてきた そのツケが二度目の大敗戦となって
いま呵責なく押し寄せている 。。
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ひとりの「無教会派佛教徒」
佛教ニヒリスム 老荘アナキスムの徒としてこれを書いた