Days of BOOKS and BOOZE Ⅱ.

 中井久夫集 1『働く患者』

     残してあった最終章「精神科医としての神谷美恵子さんについて」

     読み終え

   幾つか思わぬ発見がある

            ながいあいだ

    神谷美恵子中井久夫は親しい関係だとばかり考えてきたから

      この文章はインパクトがあった

《 精神医学界の習慣からすれば「神谷美恵子先生」と書くべきである。しかし違和感がそれを妨げる。おそらくその感覚の強さの分だけこの方はふつうの精神科医でないのだろう。さりとて「小林秀雄」「加藤周一」というようにはーーーこれは「呼び捨て」ではなく「言い切り」という形の敬称であるがーーー「神谷美恵子」でもない。私の中では「神谷(美恵子)さん」がもっともおさまりがよい。

 ついに未見の方であり、数えてみれば二〇年近い先輩である方をこう呼ぶのははんはだ礼を失しているだろう。

 しかし、言い切りにできないのは、未見の方でありながら、どこかに近しさの感覚を起こさせるものがあるからだと思う。「先生」という言い方がわざとらしくよそよそしく思わせるのも、このぬくもりのようなもののためだろう。そして、精神医学の先輩という目でみられないのも、結局、その教養と見識によって広い意味での同時代人と感じさせるものがあるからだろう。それらはふつうの精神科医のものではない。》

     あるいは

  否定的なもの言いをあまりしない中井がフーコーに関してこう書いている

《 あえていうなら彼女には精神医学の世界に関する限り、出会ってよいものに出会っていないという意味で不遇の影がないでもないと私は感じる。生身の交際でなくともである。たとえば、刊行されている翻訳はいずれも彼女が著者にかなりのめり込んでいて、決して才能まかせのものではないと私は思うけれども、最後まで彼女が失望しなかった対象はマルクス・アウレリウスとジルボーグでなかったかと憶測する。フーコーあるいは構造主義への傾斜は私からみれば自己否定の方向のものであって、しかもフーコーは、神谷さんがあれだけ真剣にとりくむほどの相手でなかったように思えて惜しい。フーコーが神谷さんの役された著作について彼女の問いに「若気のいたり」と軽く受け流したことは、いつも真剣で全力投球をする彼女にとっては意外中の意外だったのではあるまいか。ウルフについても私には神谷さんに近い人のように実は思えない。軽々には言えないけれども、かなり強く、そう感じる。》

  

 『井筒俊彦英文翻訳コレクション』全7巻8冊

   につづいて

 『中井久夫著作集』全11巻も

    来るべき晩年用書架に並べることを決定

  

 ウェンディ・ブラウン『いかにして民主主義は失われていくのか』   

 遠藤正敬『「日本人」の輪郭:戸籍と無戸籍』  

 藤田尊潮『サン=テグジュペリ:イメージの連鎖の中で』       

   など読んでいる      

  藤田のサンテックスは学術書であり横書きである点や構成上  

   取っ付きは良くないが内容は極めて高度だ   

    魂をもった人間が戦時をいかに生きるか

   シモーヌ・ヴェイユとトニオが 

      あるいはマルクス・アウレリウス

        霊的に重なっていることを改めて認識できた

      繊細さを喪わない瑞々しいしい研究に敬意を表す

 

 『いかにして民主主義は失われていくのか/新自由主義の見えざる攻撃』で

    かなり力をいれて語られている

      フーコー『生政治の誕生』などを読む気になっていたから

        中井の言葉に微妙に揺れる /笑 。。

      しかし 

    それにしても

   実感として

【 民主主義の崩壊は止まるところをしらない 】。

  跳躍するがヴェブレンの「見栄と世間体が文明社会をつくった」(帯より)

    『有閑階級の理論』を補助線に用いると 

       新自由主義の攻撃性とその闇が

         クッキリと浮かび上がる

      『有閑階級の理論』は

    見栄と虚妄虚栄体面に翻弄されて生きる

       悲しくも滑稽な現代人を読み解くうえでの 

         名著中の名著 

          21世紀読書人 必読の名著である 

    きわめて乱暴に要約すれば

  無産階級が有閑階級と同じような生き方を強要され

       衒示的消費として長期Fランク教育を購入

    高学歴なルンプロがなすすべもなく「名誉・新有閑階級」として

       空腹感を抱えて生きるのが

    『デモスを解体するーーー新自由主義のステルス革命』

          時代なのだ 

   闘士 ウェンディ・ブラウンのキツイ論文を読んで 

       (可哀想だが) 上野俊哉

    『〔増補新版〕アーバン・トライバル・スタディーズ』

        副題は「パーティ、クラブ文化の社会学

     能天気すぎる(どうしようもない)甘さを痛感した

       2005年の旧版も刊行時に読んでいるが

    この一〇年の大変化に対して善良な上野は鈍感すぎるように見える 

     まだ カルスタがチヤホヤされた時代

   2005年当時だったら上野センセーは面白い人だったのに 。。。

 

  ああ そういえばウエノといえば ビッグ上野センセイ 

       カルスタを流行商品として販売し

     フェミニズム解同や総連のように脅迫に用い

         爺さんアカデミアを鎮圧した

    『婦人公論』イデオローグの偽フェミ上野千鶴子サン

      チャラチャラ高い和服着て「平等に貧しくなろう」

        なんて 金儲け用大ボラ吹いてる場合じゃないでしょう

        

   ここ一〇年 とりわけ

       2011年フクシマ以降 

         国会から村議会まで乗っ取ったあらゆる政治屋 

       高級官僚から村役場まで寄生するあらゆる公僕

           国家権力と広告屋に指図された

      テレビ屋・新聞屋 弁護士・裁判官・検事など

        権威と信頼を著しく失墜し

      化けの皮が剥がれ 汚穢鄙猥が露呈した職業は多いが

    元職を含む大学教師たちの多くも

 「無力感」あるいは逆に「出世金銭願望」による

腐臭を放っており零落した職業の例外ではないだろう

 

     精神的にも物理的にも

   第二の敗戦を迎えている

 この国から揮発蒸発 喪われてしまったありとあらゆる信頼関係

   その修復は二〇年や三〇年ではすまないだろう