FUJIO YAMAGUCHI : ひとりの「占領下の子ども / Occupied children」の死 。

山口富士夫が死んだ 

   冨士夫ちゃん が

       殺されたも同然に 横死した 。。。

先月下旬 古本屋系ブログを巡回していて

『赤ドリルの夢は夜ひらく』で

   一週間いじょう遅れて そのことを 知った。

《 もうひとつの死。奇しくも藤圭子と同様に「暗い青春」を送ったであろう山口冨士夫の死。これもなんの因果だろうか、基地の町でアメリカ人に突飛ばされて死ぬとは。妻がむかし山口富士夫の追っかけだったこともあったり、大学時代にはそんな縁でティアドロップスを2回ほど学園祭でブッキングしたり。「おさらば」という曲を自分のバンドでカバーしたこともあったり、ぼく自身はまったくもってファンではなかったけれど「縁」はあった。孤児院で育った山口冨士夫も、ウチの妻風に云えば「冨士夫ちゃん」もきっと暗い青春を送ったことだろう。藤圭子も冨士夫ちゃんも昭和20年代生まれだ。冨士夫ちゃんにどんな「夢」があったかは知らないがはたしてその「夢」はひらくことはあったのだろうか。》

            ☆

 冨士夫ちゃんは 一九四九年の八月生まれだから 

   ぼくより 二ヶ月早くこの世に生を受けた 

     さらに二ヶ月はやい 六月生まれには 永山則夫がいる 

       藤圭子は 一九五一年七月  冨司純子は一九四五年十二月に生まれた

         みんなみんな 

   外国の軍隊 連合国軍による軍事占領のもと

国家主権なき 非独立状態の場所 に生を受けた子どもたちの ひとり だ

占領下(1945年9月2日から 52年4月28日までの6年7ヶ月間)

    に生まれた子どもの 総数は 一五〇〇万人!!を超える

    国民全体の 一割以上をも占める アンファンテリブルの群れ

    国家による支配を 撥ねつけんとする 生誕時に祖国のなかった 根源的アプレゲール

    たとえ母語は日本語であろうと 独立した祖国なしに生まれた 一五〇〇万人の子ども

             彼らが やがて

  

       まつろわない一五〇〇万人の民になるとしたら 。。。

       国家を喪失した巨大な「不服従」者たちの集団を懼れ

 堺屋太一はじめ 国家とその権力に追随する「怯える」管理者たち

      敗れた為政者 責任逃れした卑怯者たち 

           と その末裔は

  意味も根拠もないまま 巨大な一五〇〇万人のマスを 三分割し

 中心部だけを 団塊の世代など 矮小 侏儒化 しようと企んだ

 

   ダンカイノセダイ などという 虚言妄語 差別的世迷い言 分断策謀の言辞を

            遣ってはならない

  わたしたちは 誇り高き 国家なき子ども オキュパイドチルドレン 

一九五一年四月生まれの 忌野清志郎も 歴然たる 「まつろわぬ」占領下の子どもだった

《「オレたちは、あのくだらない戦争の、まさに傷あとそのものなんだ。わかるか? 

こんな話を聞いているあんただって、実はそうなのかもしれないぜ」》

       山口冨士夫・大野祥之『SO WHAT』より

 その誇り高き一五〇〇万人の ひとり 山口冨士夫が 殺された

            ★ ★ ★

村八分 デビュー以来の 

四〇年を超える 水のように淡い 少し変わった友情があったから

   ハッキリと 

かなり強いショックを受けた 

戸井十月が 七月に死んだばかりだったし 

寺崎央 テラさんの死も ごく最近 知ったばかり

去年は 桑名正博が死んでしまった(桑名クンと最初に会ったとき 彼はまだ一七歳だった)

        ☆ 

冨士夫ちゃんに

 

  最期に会ったのは 代々木練兵場跡地/旧ワシントンハイツ 代々木公園B地区

一九九一年 二月の 湾岸戦争反対集会だった

ステージを終えてからだったか 前だったか

 《 まさきサンだよね  読んでるよ 》 

そう言って あの独特な貌でニヤッと笑ってから 

《 チャー坊に いちど説教してやってくんないかなぁ 

   

     オレの話も 誰の意見も 聞かなくなっちゃって 。。。 

  あいつ 最近 いい気になって ・・・・ るんだ 、、、》

     いい気というのには

オーバードーズ/ドラッグの過剰摂取と 懶惰すぎる生活ぶりが 含まれていた

    それは

冨士夫ちゃん流の 友情表現 配慮のしかた だった。。。

あの頃は 

まだ 柴田和志/チャー坊 も 生きていたし

ぼくも冨士夫ちゃんも 四〇代になったばかりで 若々しかった

  。。。。。。

一五〇〇万人のひとり 

 成毛滋も二〇〇七年に死んでしまった

むかしむかし 彼から聞いた「10円コンサート」時代のはなしを記録しておこう

《 富士夫ちゃんは 凄いんだよ 

 リハーサルに 遅れてきたから どうしたの  って訊いたら

 「いやぁ 電車賃がなかったから コーラの空瓶を拾ったり 酒屋に持ってったり してて※

  遅くなっちゃった ご免な 」 

  それで コンサートがおわって ギャラを 渡そうとしたら

 「要らないよ」って そのまま帰っちゃった

 富士夫ちゃんは ホントに凄いよ  格好いいよ。。。。》

  これは 成毛から 直接に 聞いたこと

成毛滋だけでなく ぼくにとっても 山口富士夫は ある種の聖人であった

チャー坊も含めて 真逆の聖人だった

  堕天使という言葉があるのだから 逆転した「さかしま聖人」も成りたつ はず

  なお 米空軍 横田基地の町 福生で事件があったのは七月十四日だったが 

        病院で死去したのは 八月十四日

        奇しくもポツダム宣言受諾の日が命日となった

  山口富士夫の一生は まるで前世で 「十字路」でのロバート・ジョンソンのように 悪魔と取引して

        Bluesギターと真性のロック/ブルーズ魂を 身につけたかのような 

          最後の最期まで 神秘に彩られた 数奇な生涯だった 。。。

 聖なるギタリストに献げる言葉として W・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』から 引用したい

《 私たちの心のなかに生まれた洪水が、そのようなものをことごとくさっと流し去ってしまった

 ので、いまではそれを感ずることさえできない。そのような一切の抑制から解放されて、私たち

 は漂い、飛翔し、歌うのである。曙光をあびたときのようなかかる解放と高揚の感じは、すべて

 の創造的な理想に対して、鳥のさえずりのような明るい性質をあたえる。これが最もはっきりと

 現れるのは、宗教的感情に支配されたときである。「真の修道僧は、」とあるイタリアの神秘家

 が書いている、「彼の竪琴/リーラしかたずさえない。」》

    桝田啓三郎訳 『宗教的経験の諸相 下』一一人間性の研究一一 

        [第十一・十二・十三講  聖 徳]より

 

※ 少し 注釈が必要だろう 当時 コークには瓶代10円が含まれていたから

  酒屋に持って行くと 10円が支払われた

  さらに「10円コンサート」は成毛個人のポケットマネーで賄われていたから

  富士夫ちゃんは 要らないと云ったの だろう

  あの時代の「ロックシーン」には いまはない 素晴らしいスピリッツが充満していた

  過剰な商業主義がすべてを腐らせている 苗場スキー場の農閑期的廃物利用 フジロックとか

  いま行われている「ロックフェス」は 若者センスの劣悪化 集団志向の頓馬化に付け入った

  単なるショービズ 氷川きよしやAKB TVタレントが出ないだけの 洋風味の芸能歌謡ショー 

  日劇ウェスタンカーニバル以下の大政翼賛的代物 馬鹿を集める巨大駄菓子屋商売にすぎない

    《 勘違いしないでくれ ROCKとは生き方のことなんだ。》 by  Fujio Yamaguchi