老荘机@幽艸堂 日乗 『東洋人の思惟方法』『宗教的経験の諸相』 Koto Bolofo その他。

中村元『東洋人の思惟方法:第一部 インド人・シナ人の思惟方法』

      ある種 鬱勃たるパトスを秘めた 力業的 精密なロゴスの発露 

      そうクリシェしたくなる 重く精悍な文章のリズムにも慣れ 

二八九頁にわたった前半部「インド人の思惟方法」を了えた

この読解ミッションにより

  インド人の考え方と世界観の基層 思想/言語の歴史性を形成する深層にふれ得て

  これまで 天竺文明をまったく知らなかったことに愕然とする

手許の『東洋人の思惟方法』は昭和二十三/1948年 みすず書房

   この大著を上梓したとき 先生は三十五歳

  (1912年11月うまれの中村元と 1914年5月うまれの井筒俊彦は一歳半しか違わない)

     とくに印象に残った文言から 一部を記念に引用したい

《 個物を超えた普遍を重視し、變轉動揺する個別相及び特殊相を無視する思惟傾向は、おのづから萬物一體観といふ

 思惟形態を成立せしめる。現象界の變轉する諸相に留意せず、その背後の普遍的なものにより多く實在性を認めると

 すると、最も普遍的にして最も根柢的な原理が最も多く實在性を有し、それがまさに實在そのものであり、他の特殊

 的な普遍、もろもろの本質は、それの限定された特殊者にすぎぬ。もろもろの個物は更にそれらの特殊的なる普遍に

 限定されてゐるものである、と考へるやうになる。かゝる思惟方法に規定されて、インドでは古来種々なる事象をす

 べて唯一の絶對者の顕現であると見倣す思惟傾向が著しい。インドの形而上學の主流は徹底した一元論である。》

   [ インド人の思惟方法  第二章 諸文化現象にあらはれた思惟方法の特徴

               第五節 萬物一體観]より

《 自己と他人とが究極の根柢においては同一のものであり、両者の對立はかりの現象形態にすぎない、といふ思惟方

 

 法は、おのづから自他不二の境地を以て理想とするに至る。ウパニシャッドにおいては『汝はこの全世界たり』と教

 へ、『われは汝なり』といふのが、自他不二の倫理の基礎にある確信となってゐる。バラモン教及びインド教の倫理思

 

 想は結局かゝる基礎的見解に基づいてゐるのである。》

       [ 第八節 個我に對する普遍我の優位  [四] 自他不二の倫理 ] より

《 かういふわけでインドにおいては宗教教團に對する國家の干渉は、比較的に僅少であつた。宗教教團が國家の指揮

 監督を受けることは、比較的に少なかつた。インド及びセイロン島では、今日においてもなほこのやうな事情が存續

 してゐる。インドの宗教教團はキリスト教マホメット教の教團のやうな政治的結成力を有しなかつたけれども、な

 ほそれ自身の権威を保有してゐた。佛教教團における席次は、出家入團後の年数(臘次)がこれを決定するのであつ

 て、何人もこれを動かすことができなかつた。國王といへども、ひとたび出家したならば教團の中では末席に座しな

 ければならなかつた。この点では、日本において古来皇族・貴族の出身者が、教團の内部でつねに上席を占めてゐた

 のとは全然事情を異にしてゐる。》    この部分に 若き中村の瞋恚にも似た憂愁を覚ゆ

     

    [ 第九節 普遍者への随順 [五] 有限なる人倫的組織の超越 (1)國家意識及び民族意識の超越]より

同じくらい長期にわたって繙読している

岩波文庫版 W・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』も

(1969年 上巻 1970年 下巻 刊行 )

全体の四分の三を読みおえ

残るのは「下巻」の後半のみ 

“THE VARIETIES OF RELIGIOUS EXPERIENCE ” 原著刊年は1901-1902

 一〇〇年前に書かれたこの著作は いまも生命を喪わない 鋭くも深い名著

   励まされるように 慈しむように 惜しみつつ読んでいる

 すっかり秋めいた日々 

阿頼耶識をも含むだろう精神と心霊深部 意識深層への 斎戒沐浴的読書は続く

     さらに

 中国印譜全書 齊白石『白石山翁印存』 『齊白石印集』 

     二冊の中国刊行物につづいて

独STEIDL社の美術書/ArtBooks 製作過程を撮影した 

コト・ボロフォの大判写真集

 Koto Bolofo 『I Spy With My Little Eye, Something Beginning With S

     届く 

〈 眺めているとゲルハルト・シュタイデルが「コンピューティング印刷」時代のウィリアム・モリスに想えてくる、、、〉

 いよいよ コト・ボロフォ研究が はじまった / 笑。