ROBERT RAUSCHENBERG    MARK  1964

  

   理趣と命数的な宿縁あって

          そういいたくなるような 単純にして複雑な経緯で 

                         

      ラウシェンバーグの石版画『MARK』を手に入れた

 タチアナ・グロスマン率いる 20世紀後半アメリカ美術界をリードした伝説の版画工房 

      ULAE / Universal Limited Art Editions に置かれた石灰岩の盤上で刷られてから 五〇年 。

          ちょうど半世紀を経た現代美術の古典

             一九二五年生まれのラウシェンバーグは まだ三〇歳代

           携帯電話もパソコンもなく

        「チューブ」が文字通りブラウン管と真空管だった時代

    1963年11月に 四十六歳の大統領 J. F. K. が暗殺され

         L. B. J. こと リンドン・ベインズ・ジョンソンが 合衆国四軍の指揮統帥権を襲い

             ベトナム戦争をエスカレーションさせていった 重く暗く熱い時節

      今よりはマシだったように思える

         時代の空気を存分に 吸い込んだ

             ラウシェンバーグ特有の混沌とした黒い画面が

                 喧噪と静寂を併呑し 瞋恚と死の律動を昇華でもした気配で

          錆びたモノクローム 侘び寂びた玄い光を発しながら

               光る骸のように

    いま 眼を挙げた壁に鎮まっている 。。。

  老荘机 / Laozi & Zhuangzi Deskと名付けたパソコンデスクから

     ロダンの彫像『地獄の門』で地獄を覗き込む男のように

         世界を無情冷淡に凝視する 電子仕掛けの窓 / Mac

           サンチョ・パンサのように連れ

               ぼくは 一九六〇年代に亡命する 

                                遁走する 脱出する

            ひとりの老いはじめた 道教ニヒリスト アナルコ・ヒップ

                 意識革命を信じ 夢見の深いアナキスト神秘家 として

             光り輝く悪夢のような一〇代を過ごした あの疾風怒濤とカオスの六〇年代             

        ブライアン・ジョーンズ ジミ・ヘンドリクスジ ジャニス・ジョプリン ジム・モリソン ジム・クラーク エルネスト・チェ・ゲバラ

       

            あのアナーキーでヒップな六〇年代へ エクソダスしよう !!!

         それでも 

     乾ききって衰微酸敗をつづける現在のこの国 この世界より ずっと「マシ」だ

                 

          にしても 何かを得るためには代償が必要だ

       六〇年代への帰還切符『Mark』を手に入れるため 

          大型すぎて書庫空間でも持てあまし気味だった

     柳宗悦の『木喰上人木彫佛』製本版と『芹澤銈介装幀集』二筺一〇帙を

            手放した 。。  熟慮はしたが

                悔いは勿論ない!!

            Mark を眺めているとその彼方に

    ブラックマウンテンカレッジで教える柳や濱田リーチたちまでも透けて見えてくるようだ 。。。

                       ☆

                  二〇一四年 十二月のいま

       六〇年代を表象するイコン「ザ・ロネッツ」不世出の名曲 Be my babyをお贈りしよう 。。

                       そして

    あの フィル・スペクターが 

       第二級殺人の罪でカリフォルニア州立刑務所精神科病棟の狭い独房に収監されていることは

            チェ・ゲバラの戦死  ジム・クラークの事故死とともに

       「六〇年代」を考えるうえでの《 聖痕の腐爛 》として 象徴的に思われる 。。。

                  

                『[The making of Be my baby

  

                 A Christmas Gift For You