伊丹一三の「ヨーロッパ退屈日記」
伊丹の本名である池内の姓と万作の名を持つ俳優を「関心空間」のKeywordで見掛け 調べたら やはり伊丹十三と宮本信子の長男だった。
検索した際に 伊丹万作の「顔の美について」というエッセイを発見した。http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/...面白いから 冒頭を引用する。
《人間が死ぬる前、与えられた寿命が終わりに近づいたときは、その人間の分相応に完全な相貌に到達するのであろうと思う。》
晩年の十三が書いた言葉
「年取ったらいい顔になるはずだったんだが」
の源流がここにあった。
更に興味深い文章を終わり近くから引用したい。
《せめて自分の子は今少し立派な顔であれと願つたが、せつかくながら私の子は私の悪いところをことごとく模倣しているようである。
だから私は子に対していささかすまぬような気持ちを抱いている。》
伊丹万作はこの文章で 人の「内面性」の重要性を述べているのだ。
活字で読みたいなら 筑摩書房『伊丹万作全集』か
作品社版『日本の名随筆40 顔』
2003530
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昨、12月20日は彼の命日だった。教えてくれる人がいて気がついた。去る者は日々に疎し・・あれからもう五年が過ぎていったのだ・・・。20021221
彼が消えてから当時の版で手元に置きたくて探したポケット文春550の奥付には1965年3月20日初版発行と記されている。
定価は280円。文藝春秋新社刊。
表4に書かれた【伊丹一三について】で山口瞳の言う「厳格主義の負うべき避けがたい受難」によって死んだこのひとは マイナスをプラスにするという 曰ば冗談の様な理由で十三に改名したのだった。
新しい(戦後型)日本の大人のプロトタイプと呼ぶべきこの人物は最晩年に出す「中年を悟るとき」(飛鳥新社)のあとがきにこう書き残している。
「人生に正解はない。この世に絶対の正義も存在しない。
年を取ったらいい顔になるはずだったんだが。
楽しいうちに死にたい。 一九九六年夏 」
どこかこの人の全集でもコレクションでも、呼び方は何でも良いから著作集を出す気の利いた出版社はないだろうか。
その際は是非「伊丹一三/十三 ナントカ」にして下さいな。
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