〈リュミエール叢書〉に収められた『ゴダール全評論・全発言Ⅰ,Ⅱ』の中で1967-1974は“毛沢東時代”とされている。
当時ゴダールは中国国内の四人組と紅衛兵を除けば 最有力 最強の毛派だった。
事実 彼は世界一有名な「西側の“マオイスト/毛沢東主義者”」であった。
そして間違いなく映画『中国女』は 日本を含めた西側社会に於ける毛沢東/紅衛兵(プロレタリア文化大革命)思想の最高のプロパガンダ・フィルムだった。
最良だったかどうかはともかく 最強の宣伝映画/思想映画だった(笑)。
あの映画に登場したサルトルの愛弟子 哲学者フランシス・ジャンソンが ヴェロニク(アンヌ・ヴィアゼムスキー)の所属する[アデン・アラビア細胞]!に 批判的とはいえ話し合う姿勢を見せたことの‘意味’ は大きい。それまで極左冒険主義と見られていた西側自由主義陣営に於けるマオイストを 左翼知識人が容認したのだから。
やや大袈裟に云えば あの場面で『毛主席語録』が雑誌『レ・タン・モデルヌ』によって 認知され 世界認識の体系と何らかの糸で繋がったのだ。
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【宣言】
《 十月革命から五十年後の今日、アメリカ映画が世界中の映画を支配している。この事態に対してつけ加えて言うべきことは大してない。ただし、次のことは言っておかねばならない。それは、われわれもまた、自分たちのささやかなレベルにおいて、ハリウッド=チネチッタ=モスフィルム=パインウッド等々の巨大な帝国のまっただなかに二つないし三つのベトナムをつくり出さなければならない、そして経済的にも美学的にも、つまり二つの戦線に立って闘いながら、国民的で自由で、兄弟であり同志であり友であるような映画をつくり出さなければならないということである。》
67年8月発行『中国女』オフィシャル・プレス・ブック。
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ゲバラの『二つ、三つ、さらに多くのベトナムを作れ。これが合い言葉だ。』
毛沢東の『われわれは、文芸問題における〔政治と芸術、内容と形式という〕二つの戦線の闘争をおこなわなければならない』
から引用した戦闘的な語彙を駆使した バリバリのアジテーションである。
書いたのは 勿論 ジャン=リュック・ゴダール本人であった。
かくしてゴダールから毛沢東 ゲバラ サルトルまでが結びついたのである。このことが世界中の多感な若者たちに影響を与えないはずがなかった。
さらに 彼は【五月革命】後には UJCML(マルクス=レーニン主義的共産主義青年同盟)の闘士だった ジャン=ピエール・ゴランと《ジガ・ヴェルトフ集団》を結成し 新たな映像ラディカリズムを実践していく・・・・
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(67年10月号の《カイエ・デュ・シネマ》誌では 過激になり始めたゴダールを恐れて『ウィークエンド』の出演依頼を断ったフィリップ・ソレルス、『アルファヴイル』への出演を断ったロラン・バルトを F・ジャンソンと比較して罵っている(笑)。)
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