Plain Living and high thinking  are no more :

「質素な生活と高遠な思索」は 

    《 既にない 》。。。

   もう二〇〇年もむかし 

       ワーヅワスはそう哥った  

知悉しつつ

  興味ある本を読み 

    美しいものを購う

 

     先週は

 ヤフオク柳宗悦稀覯本が二冊出現

        私版本『美と模様』昭和十七年

   ぐろりあそさえて『工藝の道』昭和三年

      『美と模様』は限定二〇〇部

      『工藝の道』は一五〇〇部

    どちらも署名入り

        さて

       この二冊の入手難易度を計れるひとは

           古本屋を含めて

        「いま」そう多くはいない

       結論からいうと

    『工藝の道』署名本の方が遥かに貴重

      柳の私版本・限定本・署名本を蒐め

        三〇年余になるが

          (多分)はじめて見た  

         柳私家版はたとえ発行部数は少なくても 

        かなりの割合で署名されている

    『美と模様』もムロン署名入りで架蔵している

 

          柳工藝論の基本書籍ともいえる

       『工藝の道』署名本はいつか欲しいと念じていた

            特別な一冊だった

         おまけに

      長谷川如是閑の旧蔵で 

    扉に「柳宗悦」の署名とともに

         左右並ぶような位置に

      「如是閑洞」の蔵書印がある  

 

  入手した『工藝の道』を詳細にみるうち

    興味ぶかいことを発見

      これまで所有していたものと

        背の題箋サイズが異なっている  

      と言っても

  印刷部分は同一で用紙サイズに違いがあるだけ

     さらに面白いことは扉ページに挟んであった紙片が

       やや大きな方の未使用「題箋用紙」であること

         まさか

       題箋のサイズを選べたとは思えないが

    さすがに

  製本が完全に手仕事で行われていた時代の本だ

 

    ながいあいだの探求書だった

      『工藝の道』署名本を落掌した

   このあとは

  不思議なほど市場に出ない

   『蒐集物語』署名本に留意することになる

 

       まるで兄弟のように

 宝文館から昭和三十三年に出版された『民藝四十年』は

  献呈署名入りが珍しくないのに

    中央公論社から昭和三十一年に出版された

        『蒐集物語』の署名本は

           どのような事情からか

         本当にほんとうにない

       ちなみに

    ぼくの『民藝四十年』は松方三郎への献呈本で

        墨痕淋漓 大きな文字で

     「松方三郎兄  

             宗悦」と署名されている

 

     「兄」ついでに付記すると

  私蔵する『蒐集に就て』には 「梅原兄

                     宗悦」と書かれている

         もちろんあの梅原龍三郎宛だ

  

 

   

    

     

 

 

遠藤賢司もファッツ・ドミノもトム・ペティも死んだ

 三月にはチャック・ベリーが鬼籍に入っている

                  子どもから中年までを

         夢中にさせ

      長くつづいた「人工的な青年期」音楽  

   欲望を装うアーティフィシャルな商業音楽

      甘い騒音としてのもうひとつのミューザック

        ロケンロール

          R&Rの時代が終わった

            パンクやレゲエ リズムンブルーズも含む

               ROCKの時代が完璧におわった 。。。

 

      昨年

   ボブ・ディランは 授賞式にこそ出なかったものの

      「戦争の親玉」そのものからノーベル文学賞

         与えられたことで

           「反抗者」の音楽と歴史 

              矜持と伝統は

                息の根を止められた

 

             もはや

          世界には

       豊かであろうと貧しかろうと

         有名であろうと無名であろうと

            奴隷しか存在しない

 

        天才と狂気を併せ持つ

      我らがミスタ・ロックンロール 

   フィル・スペクターはいまだ医療刑務所に入っているが 。。。

 

         この世は飽き飽きだ

     もう思い残すことなく

         終の棲家のほうへ歩いてゆこう

     「終の棲家」は単なる文飾・レトリックではない

       四〇歳にして厭離穢土の念いよいよ昂ぶり

         濁世から遁走 

           人生のほとんどを林住期に費やす

             その時節を卒え

               最終段階

                遊行期にはいる

 

        遠からずはじまる老軀/眉雪には

          食料調達と病院へのアクセスが最重要

             大隠は市に隠る 

               セオリー通りに

              市街地へ降りていく

            最後になるだろう引越に向け

                ある意味

         ぼく以上に潔癖な家人は

           ものを大量に捨てながら

            「もう地下に潜るしかない」

               そういって「遊行期」への準備を始めている

 

 

 

 

        「人魂で行く気散じや冬野原」   

                    倣 画狂老人卍

 

 

   獄中で伊藤耕が死んだ 。。 

THE FOOLS    ブルースビンボーズ

           Vo.

    伊藤耕が死んだ

  札幌矯正管区・月形刑務所内での「不審死」

     (検死結果を待っている〕とある 。。

 

    2015年9月から服役中で

      この12月には出所するはずだった

          2017年10月16日死去

            享年62歳

   

  たまたまバーホッピングのように

       きのう

     AirMac

  ツイッターを梯子していて

     山崎春美

   FOOLSの葬儀告知をリツイートしていた 。。。

      

         伊藤耕やフールズのメンバーとは

        下北沢でときどき一緒になった

      思い切りとんがっていたけど

     喧嘩もしないで飲んだ

   まだ松崎博が生きていた頃のネバーランド

  小田急線の踏切を間近に見下ろす

朽ちた木造二階の小さな王国  Never Never Land

 本多信介や渋谷則夫 寮美千子 亀和田武 米澤嘉博 高取英

   伊藤ヨタロウ ライオンメリィ 大谷レイヴン 白井良明

     大月ウルフ 河村要助 松山俊太郎も来ていた時代

       1980年代なかばだろうか

         すでに30年を大きく超えた昔になる

 

   江戸アケミ 西岡恭蔵あたりに始まって 

  チャー坊 桑名正博 どんと 

    成毛滋 加藤和彦 大瀧詠一

  山口冨士夫 青木真一 川田良 。。

     死屍累々だなぁ

  

    友人知己ミュージシャンの死亡原因は

      冨士夫ちゃんのように

        殺されたのは例外として

          自殺・事故死もおおいが

            獄中での変死は初めて

         それにしても

       死んだ知り合いともだちばかりふえる 。。。

   

  国立歴史民俗博物館から届いた図録

  『「1968年」無数の問いの噴出の時代』眺め感懐にふける

 晩年の思索の主要テーマは「ホモ・エコノミクス化した人類とは何か」

  「20世紀とは何だったのか」に決めてある

    「1968年の実験/総叛乱」を不可視の分水嶺

       「虚の萃点」として考えたい

   

  どう考えても前方はドグラマグラ的な闇に覆われているので

         過去を研究する 

  手許から喪われていたヴァルター・ベンヤミン著作集2

    『複製技術時代の芸術』晶文社 1970年8月発行

  ハヤカワ・ポケミス260 レイモンド・チャンドラー 

    清水俊二訳『長いお別れ』1958年 初版

         購入

 

  並行して現在読んでいるのは

 ディヴィッド・トゥープ『フラッター・エコー:音の中に生きる』

   DU BOOKS   2017年6月刊

 『ブルームの歳月:トリエステジェイムズ・ジョイス 1904-1920』

   ジョン・マッコート 宮田恭子訳 水声社 2017年6月刊

 『日本の長い戦後:敗戦の記憶・トラウマはどう語り継がれているか』

   橋本明子著 山岡由美訳 みすず書房 2017年7月刊

 『日本帝国の崩壊:人の移動と地域社会の変動』

   柳沢遊 倉沢愛子編著 慶応義塾大学出版会 2017年7月刊

 

    

   ぼくにとって

     読書行為は酸敗しきった隷属国家・属領・植民地

       「ネオ日本途下帝国」からの霊的な政治亡命である 。。    

 

       

 サギとカラスのあいだに : : 藝術の「脱真実」

   二〇世紀藝術を考えるうえで   

       キーパーソンが四人いる    

オスカー・ワイルド    

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ        

マルセル・デュシャン 

ウォルト・ディズニー 

   1900年11月30日に

        ワイルドが死に

     1901年12月5日に

         ディズニーが生まれている 

   きわめて重要な概念

 「自然が藝術を模倣する」と述べたのはワイルドであり

 「こころで見なくちゃ ものごとはよく見えない

     かんじんなことは目に見えないんだ」

         キツネの口を借りてそういったのはトニオだった

       これらの言葉は

     藝術の枢要部・神髄を衝いており

   いまなお有効である         

       ワイルドとサン=テックスは宮澤賢治の同類 セイントの一種であり  

    デュシャンとディズニーはマーラ・パピーヤスの係累類縁である     

       ディズニーの重要視を意外に思うかもしれない

         しかし

       彼こそ

    二〇世紀と二一世紀藝術を拝金主義に導いた張本人

       俵のねずみが米食ってちゅう ちゅうちゅうむちゅう

             「ラットのミダス王」

       TPP/TTIPネオリベラリズムの背後にいるのは

     巨大製薬会社と国際種苗企業と並んだ

  超人ゾンビ化したウォルト・ディズニーの会社だ

    すでに五〇年も前に死んだおとこの

       ネズミの画が

         いまだに

           年間10兆円以上を稼いでいる

        仕事のない若者が世界には十億人もいるのに 。。。

    ディズニーが弁護士たちと一緒に編み出した

      力技 陰険な荒事ともいえる

        著作権と厳重な監視システムによる錬金術

          絵をお金にかえる

            現代の黒魔術を開拓しつづける超悪漢組織

               ウォルト・ディズニー・カンパニー

       それは

   ピカソやダリ ミロやシャガールとは桁のちがう算術であり

        ベニスの商人以上の非情ぶり

        アンディ・ウォーホル ロイ・リキテンスタインはじめ

      アメリカン・ポップ・アートは

   ディズニーとデュシャンのハイブリッドである

         とにかく

    彼らの怪しげな活躍で

                         美術市場は「詐欺師」が跋扈する場となった

  ( 興味深いことに日本のヤクザ用語で「陰謀を図ったり」「策略を練る」

     ことを「画を描く」とか 「絵図を描く」といいます、、、)

                       絵描きは錬金術師や贋金造りと重なるような

           古来より怪しげな商売です

          疑うものは 村上隆草間彌生を見よ

         さらに付け加えよう

   ジェフ・ベゾス セルゲイ・ブリン マーク・ザッカーバーグ 

      ジャック・マー 孫正義

          ビル・ゲイツらはウォルト・ディズニーの外孫である

      さらにアメリカを中心にした絵画・作品の大型化

       大銀行のホール壁面展示用に巨大化した

         投機対象としての高額化が

           才能ある地面師ならぬ絵図師たちを吸収する

                最大の理由になった

           ここに

       マネやモネ セザンヌの時代と劃然と断絶した

           新興「アート市場」が成立した

    

         「マネーこそ至高」「マネーだけが真実」

 

       愚かな知的大衆は巨額なマネーとそれにまつわるナラティブを

         拝むために拝金の神殿 美術館へいく

           貧しくも熱心な拝金教徒として

        さて 

         言っておくべきことがある

       宗教と芸術はとてもよく似ている

      偽物がおおく 本物はごく少ない

    それは 

  ほとんどの人間には 真偽の区別がつかないからだ

 

      ゾソタウンの前澤友作は

   日本を代表する現代美術のコレクターであるという

          もう

  現代美術は「高価なゴミ」を収集する新興成金たち

    金銭欲と自己顕示欲のIT亡者に任せよう / 笑。

       いうまでもないが

 冒頭の「二〇世紀藝術  キーパーソンが四人」とは

    もちろん「ぼくにとって」であり

     ワイルドもテグジュペリも「趣味」である

             ここでは悪役を振っておいた

      デュシャン

  きわめて高い見識を示しているので紹介しよう

    「藝術には賞味期限がある」

           がそれだ

    魔術のように手品のように 詐欺のように

          ホントウは

        藝術にも寿命がある

       

   われわれは「高価」「有名」という理由によって

       主として西洋の

     廃物あるいは屍骸を拝まされてきたのではないか

    歴史という名の権威主義/覇権主義に騙されて 。。。

      こころあるものはヘイドン・ホワイトにでも倣って

        抑圧的な詐欺装置・美術館と美術史を

          もういちどでも二度でも 

             考え直す必要がある

 

             いつまでも

           エリー・フォールや

        ヴァザーリを読んでいる場合ではない / 笑。  

    

 

 

           

 

「ANTIFRAGILE /反脆弱性」から学んだ 二、三の事柄

ナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性』読みおえる

    著者は

 「脆さ/モロサ」の対極にあるものとして

    ふつう考えられている「丈夫さ」「頑健さ」は

       反対語ではなく

     脆さの真の対極にあるものとして

        新たな概念「反脆さ/ハンモロサ」を提唱し開陳する 

     つまり

   フラジャイルに対するアンタイフラジャイル

      もしくはアンチフラジャイルである 

   さて

  タレブのいう

 脆さとは何か 跳躍的に要約すると 

   毀れ易さというより 騙され易さに近いだろう

《 2種類の知識を考えてみよう。ひとつ目は厳密にいえば “知識” ではない。そのあいまいな性質のせいで、私たちはそれを知識の厳密な定義と結びつけることができない。直接的な言葉ではっきりと表現することはできないが(「アポファティック」とも呼ばれる)、それでも私たちが実際に行っている、しかも上手に行っている物事のやり方である。ふたつ目は、一般にいう “知識” に近い。学校で教わり、成績をつけられ、体系化できる物事だ。もっと言えば、説明、学問化、合理化、形式化、理論化、成文化、ソビエト化、官僚化、ハーバード化、証明などが可能な物事だ。

 浅はかな合理主義では、人間にかかわる物事について、ふたつ目の知識、つまり学術的な知識の役割や必要性を過大評価し、体系化できない複雑で直感的で経験的な知識を軽視してしまう。》 

    上巻 318P 「ソビエトハーバード大学の鳥類学部」より

 

  タレブがアタマの固い既得権益を占有・享受する知識人を揶揄った

    「ソビエトハーバード大学」はホントに笑える!

 

 この本はすでに「ワカッテイル人」には「外部化された記憶」として

 読めばいいだけのことだし 

 わかってないヒトにはホトンド理解できないかもしれない

 

   超単純に本書を要約すれば

     多くの奴隷的市民が頼っている

       権威主義や権力志向によって 

          既得権益護持システム

            ソビエト=ハーバード流のやり方に

   「(得するつもりで)騙されちゃいけないヨ」につきる

 

 「無産階級と大学院」の続きをナシーム・ニコラス・タレブが書いている/笑。

     そこを引用して終わりにしよう

 

《  前回、アリソン・ウルフと会ったとき、私たちはこの忌々しい教育の問題や、学問の役割に関する幻想について話しあった。

 アイビー・リーグに属する名門大学は、アジアやアメリカの新しい上流階級からは一流品のような目で見られている。ハーバード大学は、ルイ・ヴィトンのバッグやカルティエの腕時計と同じなのだ。こういう現象は、中流家庭の親たちの足を大きく引っ張っている。親たちは、貯金のますます大きな部分を大学にそそぎこみ、大学の管理者、不動産開発業者、教授へと流している。アメリカでは、莫大な額の学生ローンが、上前をはねる搾取者たちへと自動的に流れている。ある意味では、たかりとまったく変わらない。人生で成功するためにはまっとうな大学の “名前” が必要だが、全体として見ると、社会は体系的な教育では前進していないように見える。

 私はウルフに、教育の未来についてどう思うかを文章で書いて欲しいと頼まれた。というのも、私は教育の未来を楽観視していると彼女に言ったからだ。私の答えは単純だ。いかさまは脆い。永久に続く詐欺など、今までにひとつでもあっただろうか? 私は時や歴史がやがて脆さを暴いてくれると心の底から信じている。教育は外的なストレスなしに成長しつづけている。だがそんなものはいつか崩壊するに決まっている。》

       下巻 46P 「この先はどうなる?」より

 

  しかし

   大多数の人びとは「騙されたがってる」ようにも見える

    騙されるために学校に行くのだし

     騙されるために新聞を読み テレビを見る

      スポーツにしても

        サッカーでも 甲子園やプロ野球でも

          ロックや他の芸能でも

           人びとは「本当に騙される」ために

            熱狂する

            本質的に

          人びとは日々の奴隷的生存

           および社畜国畜労働に倦み疲れて

        「考えたくない」のだから

       考えてもワカラナイとわかってる怯懦な空無さ

     隷属性は空虚への悲鳴なのだ

   騙されていた方が楽だと(意識深部で察知する原奴隷性)    

     ポスト・トゥルースではなく もともとなかったのでは  、、、

            いまや

         「大衆」は気づいてしまったのだ

      無価値な人生 無意味な自分 安定しない自意識 空無な雑音

            無気味な世界 不気味な自我

                                               われわれは

               すでに

          ポスト・ヒューマンの時空を生きている

                                

 

    

 

 

 

 反•巧言的:諫言として  「無産階級と大学院」

    敗戦後

  とりわけ ここ四〇年間

この国の混乱と無力化の基底部には

   「学歴問題」と「ステルスな階層階級」が潜んでいる

 もともと無産階級だった大多数の民草・庶民・大衆・蒼氓

     凡夫匹夫・熊八・善男善女

        呼び方はどうあろうとも

          彼ら我らに降ってわいた

            擬似平等としての新製品

          ポツダム民主主義

       (実態は儒教ムラ社会擬制民主主義立憲君主政/改)

                          無条件降伏から

       (敗戦を直視・反省・批判・総括するいとまもなく〕

     主権在民 自由平等が無料で喧伝される / 笑。

  その中で

 とくに勤勉かつ素朴で純情 強欲なひとびとが

  「無理をして」まるで保険商品のように

    「高学歴」を得ようとした

      それぞれ努力しつつ経済的にも「背伸びした」ために 

       階級脱出ないし階級変更ができたと

         単純素朴に

          思い込んでしまった

            多少は階層セルフ意識に変化はあったものの

              当然ながら

               本質としての階級変更はなかった

            また

         高度経済成長期と呼ばれた時代

    一億総成り上り気分を糊塗して 欺瞞的に一億総中流と呼んだ

        テレビと新聞 メディアを異常に信じるニッポン人は

           それを間に受け 本気にした    

            「苦学百景」

          その幻想・幻覚・幻影としての

   階層級成り上りが脳裡・背景にあるから

     新聞の社畜ジャーナリスト

      NHKを含む政府・広告屋としてのテレビ局員

        二世代前は小作水呑百姓だった官僚

         親を小商人に持つ大学教師

             彼らは

         自己実現という名のイス取り競争

          私利私欲を最優先で追求する

           品性下劣を恥じないし

            上昇志向も露わに

              権力に媚び

             阿諛追従し忖度する

 

     富士と桜には媚びへつらいがよく似合う 。。        

       大学院とタワーマンションはよく似ているし

         高学歴には高山病がよく似合う

             現在

    全国に少なくとも二〇万人はいる大学非常勤講師/兼務教員たち 

       少なからぬ割合で博士号を持つ

         彼らこそ

     現代の典型的なルンペンプロレタリアートである

       不思議なことに

          いや意図的に

      ルンプロはもちろんプロレタリアートも死語化されている

         大学非常勤講師はまったきルンプロであり

       全国で二〇〇〇万人を超えた非正規労働者はもちろん

     生粋の非正規無産階級・ルンプロそのものである

   ところが 高学歴を得た人々を中心に

     かれらは自分が無産階級だとも 

        ましてやルンプロだとも思っていない

         理由は 自認するのが「嫌だ」からだ    

            確かに

               LGBTのように

            階級自認を拒否する

     トランスジェンダーならぬ「トランスクラス」も理論的には可能だ

            ところで 

   タワーマンションをローンで購入しているひとたちは

        客観的には

     借金を抱えている分 単なる無産階級以下なんだけど

        わかっているのかしら 。。。

 

     さて

  渡辺拓也飯場へ:暮らしと仕事を記録する』洛北出版

   釜ヶ崎 西成公園などに付随した

      寄せ場飯場のフィールドワーク

   実際に数次にわたって長期間 飯場に住み 現場に行く実践的労作

  博士論文『飯場社会学ーー下層労働者の排除の構造とメカニズム』を

   下敷きにした一般書籍だが      

      かなり興味ぶかく読んだ 

         渡辺氏は現在37歳 

 

     一般紙誌の総花書評では絶対に書けないだろうことを書きます

 

    渡辺氏は

  いとも簡単・単純に研究者たる自分と「下層労働者」とを分けているが

  松原岩五郎『最暗黒の東京』や横山源之助『日本の下層社会』の時代では

  あるまいし 現代の寄せ場労働者と博士号を持つ無給研究員とのあいだに

  それほど本質的な違いがあるのだろうか 

  それは寄せ場飯場労働者の待遇や地位が向上したという意味ではなく

  博士号を含む学歴の価値と大学・大学院の地位が暴落したという事実

  現在の大学院はポスドクたちの むしろ「寄せ場」と呼ぶべき場所では

  ないのか 

  まだ学歴を誇ったり利用する人も多数いるためロンダリングの装置として

  あるいは高額な幼稚園・託児所として大学院は機能している

  ここ二〇年ほど 

  学歴ロンダリングの目覚ましい例では各種専門学校から公立系地方大学

  へ三年次編入する  その後 旧国立一期クラスの大学院に入学(簡単) 

  修士取得後 東大や京大など旧帝大系トップの博士課程に進む 

  資金さえ潤沢にあれば専門学校生徒が東大博士号取得も夢ではない時代

  大学も大学院もサービス産業ですから能力と関係なく買い物のように簡便

  問題は自由になる時間があるかどうかと入学金・授業料の工面だけ

  研究者と飯場労働者の差異はなくもはや無産階級 ルンプロとして同格で

  ちがいは家族など「バックアップ」体制の有無だけのように思われる

  さらに傷口に塩を

  法科大学院を卒業して司法試験に通らなかった者の総数は

  これまでの累計で3万人では収まらないはず

  医師の国家試験でも毎年約一割が不合格になっている

  医学部入学者数はここ四〇年間八千人から九千人で推移しているから

  年間九百人ちかくが医師になれない計算になる

  歯科医師試験はもっと厳しくここ数年30%以上が落ちるという

  薬剤師も六年制になってからの国試合格率は72%しかない

  「末は博士か廃人か」と云われるようになってすでに久しいが

  高等教育機関はいまや確実に高学歴プアー製造装置になっている

  夢見る無産階級 夢見るプロレタリアートたちの 夢の終焉

        

  いまの日本はむごいほど辛辣・冷酷に観察しないと

  この国の近未来を含んだ本当の姿は見えないだろう 。。

   

   『飯場へ』と同時期

  川村伸秀斎藤昌三:書痴の肖像』晶文社

  紀田順一郎『蔵書一代:なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』松籟社

    読み終え

  斎藤昌三や紀田氏たちを旧態依然たる蔵書家としてやや遠ざけ

  ある意味で反面教師のように捉えてきたことの正当さを確認する 。。

      「すべてはゴミなのだ」から

 

  ナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性』上下 読み始め

   いよいよ

    「脱真実」「真実以降」 

      ポストトゥルース新自由主義

         来るべき無限悪夢のような時代を

            身近に考える 

 

  家人にプレゼントしたマーク・ボイルの新著『無銭経済宣言』も読まねば

  アナーコ・パンクを自称したバンド『CRASS』のことなどふと想う

  中世ロビン・フッド以来 イギリスは各種アウトローの故郷である

  

 

 

 

Days of BOOKS and BOOZE Ⅱ.

 中井久夫集 1『働く患者』

     残してあった最終章「精神科医としての神谷美恵子さんについて」

     読み終え

   幾つか思わぬ発見がある

            ながいあいだ

    神谷美恵子中井久夫は親しい関係だとばかり考えてきたから

      この文章はインパクトがあった

《 精神医学界の習慣からすれば「神谷美恵子先生」と書くべきである。しかし違和感がそれを妨げる。おそらくその感覚の強さの分だけこの方はふつうの精神科医でないのだろう。さりとて「小林秀雄」「加藤周一」というようにはーーーこれは「呼び捨て」ではなく「言い切り」という形の敬称であるがーーー「神谷美恵子」でもない。私の中では「神谷(美恵子)さん」がもっともおさまりがよい。

 ついに未見の方であり、数えてみれば二〇年近い先輩である方をこう呼ぶのははんはだ礼を失しているだろう。

 しかし、言い切りにできないのは、未見の方でありながら、どこかに近しさの感覚を起こさせるものがあるからだと思う。「先生」という言い方がわざとらしくよそよそしく思わせるのも、このぬくもりのようなもののためだろう。そして、精神医学の先輩という目でみられないのも、結局、その教養と見識によって広い意味での同時代人と感じさせるものがあるからだろう。それらはふつうの精神科医のものではない。》

     あるいは

  否定的なもの言いをあまりしない中井がフーコーに関してこう書いている

《 あえていうなら彼女には精神医学の世界に関する限り、出会ってよいものに出会っていないという意味で不遇の影がないでもないと私は感じる。生身の交際でなくともである。たとえば、刊行されている翻訳はいずれも彼女が著者にかなりのめり込んでいて、決して才能まかせのものではないと私は思うけれども、最後まで彼女が失望しなかった対象はマルクス・アウレリウスとジルボーグでなかったかと憶測する。フーコーあるいは構造主義への傾斜は私からみれば自己否定の方向のものであって、しかもフーコーは、神谷さんがあれだけ真剣にとりくむほどの相手でなかったように思えて惜しい。フーコーが神谷さんの役された著作について彼女の問いに「若気のいたり」と軽く受け流したことは、いつも真剣で全力投球をする彼女にとっては意外中の意外だったのではあるまいか。ウルフについても私には神谷さんに近い人のように実は思えない。軽々には言えないけれども、かなり強く、そう感じる。》

  

 『井筒俊彦英文翻訳コレクション』全7巻8冊

   につづいて

 『中井久夫著作集』全11巻も

    来るべき晩年用書架に並べることを決定

  

 ウェンディ・ブラウン『いかにして民主主義は失われていくのか』   

 遠藤正敬『「日本人」の輪郭:戸籍と無戸籍』  

 藤田尊潮『サン=テグジュペリ:イメージの連鎖の中で』       

   など読んでいる      

  藤田のサンテックスは学術書であり横書きである点や構成上  

   取っ付きは良くないが内容は極めて高度だ   

    魂をもった人間が戦時をいかに生きるか

   シモーヌ・ヴェイユとトニオが 

      あるいはマルクス・アウレリウス

        霊的に重なっていることを改めて認識できた

      繊細さを喪わない瑞々しいしい研究に敬意を表す

 

 『いかにして民主主義は失われていくのか/新自由主義の見えざる攻撃』で

    かなり力をいれて語られている

      フーコー『生政治の誕生』などを読む気になっていたから

        中井の言葉に微妙に揺れる /笑 。。

      しかし 

    それにしても

   実感として

【 民主主義の崩壊は止まるところをしらない 】。

  跳躍するがヴェブレンの「見栄と世間体が文明社会をつくった」(帯より)

    『有閑階級の理論』を補助線に用いると 

       新自由主義の攻撃性とその闇が

         クッキリと浮かび上がる

      『有閑階級の理論』は

    見栄と虚妄虚栄体面に翻弄されて生きる

       悲しくも滑稽な現代人を読み解くうえでの 

         名著中の名著 

          21世紀読書人 必読の名著である 

    きわめて乱暴に要約すれば

  無産階級が有閑階級と同じような生き方を強要され

       衒示的消費として長期Fランク教育を購入

    高学歴なルンプロがなすすべもなく「名誉・新有閑階級」として

       空腹感を抱えて生きるのが

    『デモスを解体するーーー新自由主義のステルス革命』

          時代なのだ 

   闘士 ウェンディ・ブラウンのキツイ論文を読んで 

       (可哀想だが) 上野俊哉

    『〔増補新版〕アーバン・トライバル・スタディーズ』

        副題は「パーティ、クラブ文化の社会学

     能天気すぎる(どうしようもない)甘さを痛感した

       2005年の旧版も刊行時に読んでいるが

    この一〇年の大変化に対して善良な上野は鈍感すぎるように見える 

     まだ カルスタがチヤホヤされた時代

   2005年当時だったら上野センセーは面白い人だったのに 。。。

 

  ああ そういえばウエノといえば ビッグ上野センセイ 

       カルスタを流行商品として販売し

     フェミニズム解同や総連のように脅迫に用い

         爺さんアカデミアを鎮圧した

    『婦人公論』イデオローグの偽フェミ上野千鶴子サン

      チャラチャラ高い和服着て「平等に貧しくなろう」

        なんて 金儲け用大ボラ吹いてる場合じゃないでしょう

        

   ここ一〇年 とりわけ

       2011年フクシマ以降 

         国会から村議会まで乗っ取ったあらゆる政治屋 

       高級官僚から村役場まで寄生するあらゆる公僕

           国家権力と広告屋に指図された

      テレビ屋・新聞屋 弁護士・裁判官・検事など

        権威と信頼を著しく失墜し

      化けの皮が剥がれ 汚穢鄙猥が露呈した職業は多いが

    元職を含む大学教師たちの多くも

 「無力感」あるいは逆に「出世金銭願望」による

腐臭を放っており零落した職業の例外ではないだろう

 

     精神的にも物理的にも

   第二の敗戦を迎えている

 この国から揮発蒸発 喪われてしまったありとあらゆる信頼関係

   その修復は二〇年や三〇年ではすまないだろう