「ANTIFRAGILE /反脆弱性」から学んだ 二、三の事柄

ナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性』読みおえる

    著者は

 「脆さ/モロサ」の対極にあるものとして

    ふつう考えられている「丈夫さ」「頑健さ」は

       反対語ではなく

     脆さの真の対極にあるものとして

        新たな概念「反脆さ/ハンモロサ」を提唱し開陳する 

     つまり

   フラジャイルに対するアンタイフラジャイル

      もしくはアンチフラジャイルである 

   さて

  タレブのいう

 脆さとは何か 跳躍的に要約すると 

   毀れ易さというより 騙され易さに近いだろう

《 2種類の知識を考えてみよう。ひとつ目は厳密にいえば “知識” ではない。そのあいまいな性質のせいで、私たちはそれを知識の厳密な定義と結びつけることができない。直接的な言葉ではっきりと表現することはできないが(「アポファティック」とも呼ばれる)、それでも私たちが実際に行っている、しかも上手に行っている物事のやり方である。ふたつ目は、一般にいう “知識” に近い。学校で教わり、成績をつけられ、体系化できる物事だ。もっと言えば、説明、学問化、合理化、形式化、理論化、成文化、ソビエト化、官僚化、ハーバード化、証明などが可能な物事だ。

 浅はかな合理主義では、人間にかかわる物事について、ふたつ目の知識、つまり学術的な知識の役割や必要性を過大評価し、体系化できない複雑で直感的で経験的な知識を軽視してしまう。》 

    上巻 318P 「ソビエトハーバード大学の鳥類学部」より

 

  タレブがアタマの固い既得権益を占有・享受する知識人を揶揄った

    「ソビエトハーバード大学」はホントに笑える!

 

 この本はすでに「ワカッテイル人」には「外部化された記憶」として

 読めばいいだけのことだし 

 わかってないヒトにはホトンド理解できないかもしれない

 

   超単純に本書を要約すれば

     多くの奴隷的市民が頼っている

       権威主義や権力志向によって 

          既得権益護持システム

            ソビエト=ハーバード流のやり方に

   「(得するつもりで)騙されちゃいけないヨ」につきる

 

 「無産階級と大学院」の続きをナシーム・ニコラス・タレブが書いている/笑。

     そこを引用して終わりにしよう

 

《  前回、アリソン・ウルフと会ったとき、私たちはこの忌々しい教育の問題や、学問の役割に関する幻想について話しあった。

 アイビー・リーグに属する名門大学は、アジアやアメリカの新しい上流階級からは一流品のような目で見られている。ハーバード大学は、ルイ・ヴィトンのバッグやカルティエの腕時計と同じなのだ。こういう現象は、中流家庭の親たちの足を大きく引っ張っている。親たちは、貯金のますます大きな部分を大学にそそぎこみ、大学の管理者、不動産開発業者、教授へと流している。アメリカでは、莫大な額の学生ローンが、上前をはねる搾取者たちへと自動的に流れている。ある意味では、たかりとまったく変わらない。人生で成功するためにはまっとうな大学の “名前” が必要だが、全体として見ると、社会は体系的な教育では前進していないように見える。

 私はウルフに、教育の未来についてどう思うかを文章で書いて欲しいと頼まれた。というのも、私は教育の未来を楽観視していると彼女に言ったからだ。私の答えは単純だ。いかさまは脆い。永久に続く詐欺など、今までにひとつでもあっただろうか? 私は時や歴史がやがて脆さを暴いてくれると心の底から信じている。教育は外的なストレスなしに成長しつづけている。だがそんなものはいつか崩壊するに決まっている。》

       下巻 46P 「この先はどうなる?」より

 

  しかし

   大多数の人びとは「騙されたがってる」ようにも見える

    騙されるために学校に行くのだし

     騙されるために新聞を読み テレビを見る

      スポーツにしても

        サッカーでも 甲子園やプロ野球でも

          ロックや他の芸能でも

           人びとは「本当に騙される」ために

            熱狂する

            本質的に

          人びとは日々の奴隷的生存

           および社畜国畜労働に倦み疲れて

        「考えたくない」のだから

       考えてもワカラナイとわかってる怯懦な空無さ

     隷属性は空虚への悲鳴なのだ

   騙されていた方が楽だと(意識深部で察知する原奴隷性)    

     ポスト・トゥルースではなく もともとなかったのでは  、、、

            いまや

         「大衆」は気づいてしまったのだ

      無価値な人生 無意味な自分 安定しない自意識 空無な雑音

            無気味な世界 不気味な自我

                                               われわれは

               すでに

          ポスト・ヒューマンの時空を生きている