いわゆる「御料車」の歴史は大正元年に輸入された英車ディムラー 二台にはじまる
同年1912年製造の 一台はリムジン もう一方は後部にオープントップを持つランドレーだった
近現代において鹵簿とは近衛騎兵の儀仗をともなう行幸または行幸啓をさす
「天皇略式自動車鹵簿」という鄭重なのか雑駁なのか判断に苦しむほど
粗鹵迂遠なタームがある
鹵簿の鹵は音では「ロ」だが 「シオ」と訓み 塩の出る土地や岩塩 大きな盾
転じて 鹵獲のように 軍事的な略奪 劫掠をも意味した
(粗鹵あるいは疎鹵「麁鹵」ソロは今では国語教師でも読めないかも/笑。)
略式鹵簿は車両七台と護衛武官の軍用オートバイからなる簡易車列を意味する
要するに鹵簿とは
いかにも新興帝国主義者 大正を襲う軍国昭和の薩摩 佐賀と長州 土佐の三菱および田布施システムが
いまも蜿蜒聯綿とつづく
無教養で単純な善男善女と蔑称または僭称される一億人の蒼氓を威圧し騙すために
( 無論この億千万の愚民たる蒼氓には 理系院卒などの高学歴大衆も含まれる )
傴僂ならぬ山背の国・1000年続いたという平安京の黴の生えた権威を
明治に始まる虚偽の天皇制度を大きく見せるため塵芥と埃を払って持ち出した滑稽な代物である 。。。
ディムラーから それぞれ複数のロールズロイスシルバーゴースト 溜色のグロッサーメルセデスを経て
占領下の地味な色のキャディラック 占領解除後はRR シルバーレイスおよびファントムⅤ
いまはトヨタ製造のセンチュリーロイヤル
天皇略式自動車鹵簿にいまだに日の丸を振る愚かな愚かな全国の善男善女たち
惨めで醜く軍官民ともに卑劣で汚辱に塗れた不名誉な敗戦から七〇年
屈辱にみち敵の靴底を舐めた無条件降伏も都合よく忘れ去っている
「敗戦」を「終戦」といいかえ
大東亜戦争に敗けた のではなく まるで 自ら仕掛けた戦争が自動的に終わった
一億総ヒト事としての シ ュ ウ セ ン
ヒロヒトよ 地獄を味わっているか 未来永劫 無間地獄で過ごせ!!!
お前にだけは悪人正機はない
戦争を直接戦った兵より 戦争犯罪者より醜い
この国のジャーナリストは 敗戦から七〇年を経て 依然として卑劣だ
憂国の老耄 蘇峰徳富猪一郎ならば なんと悲憤したか 。。。
さて
解体される家屋から岳翁遺愛の古い鐔を一〇枚ほど手許に持ち帰った
家人によれば空襲で麻布龍土町の家を焼かれたあと
いちばん不如意の時期を古鐔を購うことで紛らわしていたのではないか と
刀剣による陸のいくさ 焼夷弾による空からのいくさを偲びつつ
ダイソーでミシン油を購入して無心で磨く 。。。
いわゆる鐡味はもともと嫌いじゃないので 次々とみがく 磨く ミガク
オトナというより老人になった気分(すでに充分老人なのだが 。。。)
最晩年の趣味としてさらに「古鐔」を加えるかどうか 慎重に考慮している 、、、/笑。
その鐔の一枚が 文鎮としてヨーガン・レール二冊の上に載っている
Jurgen Lehl『On the Beach 1 』HeHe
『On the Beach 2』HeHe
寂滅のヨーガンに古鐔の文鎮はよく似合う 。。
「オンザビーチ1」も石垣島に流れ着いた椰子の実ならぬプラスチックの「寄せ物」とそれからつくられた
半透明の幽霊を思わせるアクセサリーを主題とする
グレープフルーツのような苦味を持つ良い写真集なのだが
ぼくの好みは果然断然 「オンザビーチ2」であった
流れ着き あるいは捨て去られたビーチサンダル
波に幾月 、、、
潮と陽光に焼かれたビーサンが 多くは裏返っている
『椰子の實』ではなく
砂の中に裏返って直立する透きとほった人間たちを幻視するのだ
ぼくは幻視する 宮沢賢治のように E.A. ポーのように
ぼくも無言で かれらも無言
もはや話すことなど なにもない
・
27歳の写真家 ダニラ・トカチェンコ/Danila Tkachenko 写真集『Restricted Areas』届く
旧ソビエト連邦軍事テクノロジーの墓場 閑寂な無音の世界
アンドレイ・タルコフスキーの作品世界を思わせるトータルな喪失感
寂寥を超えた 現前する予兆としての終焉
撮影行に出たとき 1989年生まれのダニラはまだ二十四歳だった 早熟な隠者 。。。
ヨーガン・レール『On the Beach 』と単なる死生を超え
悲しいほど深いところで共振する「意識」
死滅し生成する新たな廃墟 。。。
わたしたちの暮らすこの星は
ひとびとの内面とともに すでに廃墟である