私は 山高帽こそ被って いないが
俗物根性は タップリと持ち合わせているから
サティの曲名の 獨得な 面白さ 美しさに 参る。
“Sonneries de la Rose + Croix”
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薔薇十字教会あるいは教団 聖歌隊隊長 の肩書きも 考えようによっては
ナチスの突撃隊隊長なんてのより 危なそうで 格好いいと思う
ヒトがいても不思議ではない(笑。
熱い狂気 から醒めると サティの音楽になるのかもしれない。
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薔薇十字会といえば ドビュッシーも仲間はずれにする訳には行かないだろう。
彼の“オモチャ筺/子供のためのバレエ”の出版楽譜に
バラの花が描いてあって それが薔薇十字会 云々と
青柳いづみこサンの『ドビュッシー/想念のエクトプラズム』に書いてあった。
そして何処かから複写したらしい不鮮明な写真が附いていたのを
何年か前に見たけど 不思議なことに
何故かその古い現物の本が 30年前から我が庵にあって
確かに 小さく子供っぽく描かれた薔薇の花が 石版で刷られている。
いつも思うことだけど 此の世って ホントにフ・シ・ギ(笑。
閑話休題。
さて
エリック・サティの棲んでいた屋根裏部屋は 非道く汚くて
訪れたヒトが
生前には皆無だった という伝説がある。
そして 彼の死後 初めて部屋に入った友人のひとりが
彫刻家ブランクーシだった。
蝙蝠傘が何本もあったとかの 話を読んだような記憶もあるが
定かではない・・
彼は その大変に散らかった室内を
後日 写真に収めている筈である。
1925年初夏の巴里での事。
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映画『突然炎のごとく』の原作者として死後有名になった
アンリ=ピエール・ロシェは1922年の日記にこう書き残しています。
《ブランクーシ宅で夕食。極上。おはこの冷たい豆のピューレにニンニク入りヴィネグレット・ソース、直火で焼いたステーキ……ブランクーシは料理に給仕、ひとりで何役もつとめる……ヴァイオリンが二つあり、サティとブランクーシが重奏し、さかんに相手をからかうのでみな大笑い、とうとう顎が痛くなる。》
カルヴィン・トムキンズ著『DUCHMP』より。
木下哲夫訳
この席にはマルセル・デュシャンも同席していました。
夕食会と言ってもロンサン袋小路にあるブランクーシのアトリエで
料理自慢の彫刻家が友達を招いて開く「宴会」です。
そもそも恥ずかしがり屋の二人を引きあわせたのがロシェとデュシャンで 1919年の秋のことでした。
サティとブランクーシ 6年間の熱い友情の季節と歳月
長かったのか短かったのか・・・
20世紀藝術の巨人/革命家達の親密な宴は誠に微笑ましい・・・
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