CONSTANTIN BRANCUSI
小声で呟いてみるといい ブランクーシ と。
いい響きだ。
コンスタンチン・ブランクーシは ボクにとって 彫刻家であると同時に 卓越した写真家であり イサム・野口の師であり マルセル・デュシャンの友であり エリック・サティの数少ない友人のひとりである。
そして何よりも 彼のアトリエ。
あれこそが “男の居場所”である。
石を切る 石を刻む 石を磨く 石を吊る 石を据える・・・・
まだほとんど機械化されていない 第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の
巴里のアトリエで 彼は 働いた。
作業と云うより 仕事と云うより 働いたのだ。
彼は その仕事場と 作品を自ら 写真に残している。
視る者を圧倒するような 存在感に満ちた写真群だ。
おかげで
彼の 工房での 眼と魂と腕と腰の在りようを
私たちは 今
心のスクリーンに
刻むことが出来る
石を刻むが如く・・・精神に・・
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彼は ピーマンも ヌードも 渓谷も 戦場も 廃墟も ・・・も
撮らなかった。
ましてや広告屋の手先としての写真も 撮りはしなかった。
ブランクーシは 自分のために
自分の作ったものと 自分の居る場所 自分の立っているところを
写真に残した。
自分の作品を 遠く離れた米国のコレクターに見せるため 写真術を駆使した。
そのコレクター N.Y.の弁護士ジョン・クインとの出逢いが
アルフレッド・スティーグリッツの画廊【291】の個展で
クインが コンスタンチンの彫刻作品を買ったことから
というのも 極めて象徴的な出来事だ。
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ブランクーシの写真こそ ‘写真の神髄’を 衝く。
例えば 1925年に撮った『首長』という写真。
オリジナル・プリントでなくとも
本のさほど良くないグラビア印刷を通しても 怖いような何事かが立ち上がってくる
この写真を見よ。
1930年前後に撮られたとされる『ナンシー・キュナードの肖像』に 亡霊のように映る ブランクーシの姿を 見よ。
彫刻とは 空間とは ヒト型とは 人間とは・・
問いも答えもなく
それらが ただ 在ることを 知るだろう。
言葉で可能なら 彫刻も写真も要らないのだ(笑。
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仮設として。