ヴァレリーを代表する二冊の詩集を中井久夫が譯し一本に纏めた。これはヴァレリーの本であると同時に 中井久夫の傑出した【著作】でもある。
例えば 『魅惑』の《蛇の企み》。このような言葉に僕は深く頷くだろう。
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「空間」は神の間違ひ! 「時間」は神の廃墟!
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或いは 《海辺の墓地》の一行。この様なフレーズに僕は 魂の底の方から幻惑される。
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穴穿たれた古代ギリシャの軍用マント
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その数行あとに君は こんな言葉を見つけるだろう。
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絶対の水蛇がおのが青い身体に酔ひ、
燦めく尾を噛み続ける
沈黙に似たざわめきの中で、
風起こる……生きる試みをこそ!
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《失はれた酒》の冒頭を引こう。
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ある日 大海原に
(どの空の下であったか)
「無」への供へにいささかの
惜しい酒を注いだ‥‥
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中井は この本では 旧仮名遣いで書いている。
戦中に少年期を送った彼の詩的感興には 似合っているのだろう。
本の後半 約五分の二を占める「ノート」が素晴らしい。
この様な文章を彼は生き生きと綴っている。
「一九一六年二月、西部戦線の膠着状態を一挙に打開するべく、ドイツ皇太子軍はパリに進撃する作戦を発動した。世にいふヴェルダン戦である。以後四ヵ月間、戦闘の主導権はドイツ軍にあった。」
(中略)
「しかし、ヴェルダン戦がフランス最大の危機であって、この克服は、平行して“彼のヴェルダン戦”である『パルク』制作を続けてゐた詩人にとっても、大きな転回であったのであらう。」
(略)
「しかし、この詩人には若い日から[危機感受性]とでもいふべきものがあり(それと表裏をなすものとして「進歩」や「発展」への信仰がない)、内的個人的危機と外的超個人的危機とが呼応し響き合ふことを伝記の上で確かめることができる。」
呼応し響き合うコレスポンデンスその物を詩人に見る非常に面白い説だ。
(精神科医ならではの卓説を随所に見る。)
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それにしても『ポオとヴァレリー』を読まなければ これほど深く『若きパルク/魅惑』を 読み返すこともなかっただろう事を考えると 「読書体験」は極めて「神秘的」な部分を併せ持つとも云えそうだ・・・
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