『詩の者籍國重二』/著郎次米口野
詩人 ヨネ・野口と云っても多くの人は知らないだろう。
イサム・ノグチの父。
といっても父親としての義務は全く果たさなかった
不実で卑劣な助平親爺である。
この人物のことが 頭を掠めるたびにボクは ある種典型的な日本人の醜い姿
倫理性も論理性も何処か欠如した日本人の姿 を見る想いがして
いささか 憂鬱になる。
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イサム・ノグチ研究のためにと いつ何処で買ったのかも思い出せないが
手元に一冊の詩集がある。天金 総革装 函入り。
大正十年 1921年に 玄文社詩歌部から出た。
發行者は 知る人ぞ知る 名伯楽 長谷川已之吉。
長谷川の手掛けた物だけあって この『二重國籍者の詩』は
確かに綺麗な本だ。
ただ どうしてもボクはこの本が好きになれない。
前述のように この 野口米次郎という男が好きじゃないからだ。
慣れないアメリカで けして得意とは云えない英語で 怪しげな東洋趣味を著述し 東西文化に橋を架けた詩人 という肩書きを手に入れるに際し 只ならぬ恩恵を受けた 米国女性 レオニー・ギルモアを身籠もらせながら
出産前に 「米国での成功」という錦の御旗を手に 故国にひとり「凱旋」する。
それは 実に身勝手な 母子からの「逃亡」だった。
米次郎が帰国した二ヶ月ほど後の
1904年11月17日 イサムはロサンゼルスに産まれる。
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やがて慶應義塾大学 英文学教授となる
男の詩集『二重国籍者の詩』の中にこんな 「詩」がある。
第三十と題されている。
『缺點だらけ』と君はいふ?
後悔の何たる美!
涙と歌、かくて生は流れる。
これは 本当に詩だろうか。
低廻趣味というか 卑俗低俗俗悪 まるで演歌だ。
次の 第三十一には
《 風が僕にかへして呉れた歌を聞け。 》
なんて言葉があって 何だか 笑える。
まさかとは思うが ほとんど借り物 頂き物で題名を附ける
あの先生のことだから・・・・
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「洋行帰り」或いは「外国通」が 幅を利かすこの国の文化とその構造は
米次郎の帰国から ほぼ100年を経た今も
さほど変わってはいないように ボクには見える。
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やがてイサムを連れて日本に来たレオニー・ギルモア母子を
破廉恥漢・野口米次郎がどのように扱ったか 到底書く気になれない・・
「二重国籍者の詩」ではなく「二重結婚者の臀」である。
自分の立身出世 眷属の栄誉しか 考えない
ひとりの浅ましく 卑しい 日本人の典型のひとつが 其処にあるだろう。
なにが詩人か 何が大学教授か なにが英米文学か。
この日の丸金玉野郎が!(笑)
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これに類似したことは 今も タイ・ベトナムやフィリピン等を舞台に もしかすると 世界の至るところで
現代の日本人 睾丸を円と日の丸で包んだ男たちによって
繰り返されているはずだ・・・。
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かくして
不実な父の名は消えても 健気な子の名は残った。