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津村 喬さんからの『混元太極三字経』 あるいは 私家版への頌歌 。

いまはフィンランドに滞在する津村 喬さんから

鹿島立ちとほぼ同時に届いた 

薄い 私家版冊子『混元太極三字経』は

こんな言葉から成っている

《 太極の理は万物の理であって、万物が生きるのはみなその理に従

 う。太極を組み立てた時その理に基づいたし、太極を練習する時も

 又その理に従うべきである。》

太極拳は気功である。精が気に転化したら小周天は通じ、気が神

 に転化したら大周天は通じ、神が虚に還ったら虚霊となり空になる。》

太極拳心意拳である。太極を練習するには先ず心意を用いる。

 真法を得ようとするなら心を用い、心意を合わせたら全体に繫がる。》

《 心をリラックスさせ、緩んで練習する。緩んだら通じ、通じたら

 変わり、変わったら転化し、転化したら虚になり、虚になったら空

 

 になり、空になったら玄になる。》   作者 潘厚成  訳者 許運堂

   空も玄も とても好きな「言葉」である

      わが意は 空と玄とに 満ちたり 。。。。

居室の机上に置いて ことあるごとに 参照しよう

発行人として署名してくれた 津村喬さんに感謝します

         ・   ・   ・

柳宗悦の蒐集 民藝館とならぶ作品といえる 

柳宗悦が発行した 簡素な美を有す私家版を蒐集しはじめたのは ずいぶん前のことだが

   何年か まえから 

   ぼくは

いわゆる老舗や名門 岩波書店みすず書房も含め 二一世紀になってから 

名実 質 量ともに衰えゆく大手出版社による「商業的刊行物」に 

   かなり 

  疑義 懐疑 飽き足らないものを感じている

 (例外は『定本 久生十蘭全集』などを出して 独り 気を吐いている国書刊行会くらいか)

昨今 ぼくの手許には

直接 郵送されてきた 幾つかの私家版 少部数刊行物が 封筒とともにある

二〇〇八年刊 限定100部の八巻美恵さんによる自家製本『高橋悠治ソングブック』

あるいは 非商業出版物 編集グループSUREによる「シリーズ この人に会いたかった③ 」

二〇一〇年 高橋悠治『ピアノは、ここにいらない 祖父と父とぼくの時代』

二〇一二年 反抗社出版 藤井貞和『東歌篇一一異なる声 独吟千句』

二〇一一年 立花文穂プロ『風下』 や

二〇一二年『木のなかに森がみえる Ⅱ 』などなど 幾つもの立花文穂さんの少部数印刷物

(立花さんの『木のなかに森がみえる Ⅱ』は紙となる樹木の 文化への「貢献/犠牲」を扱う 傑出した作品!!

 津村さんの「樹林気功」の思想と併せて考えると深く玄妙で 興趣は尽きない、、、、。    )

これらは ぼくの 強い好み 嗜好嗜癖のため

いずれも署名されている 

   いわば「紙の宝石」 ぼくの宝物だ

はしなくも 紙の宝物のはなしになったので 

はしたなく その他の宝物譚をさらに開陳すると

書架の一角に いわゆる新書版が三冊並んでいる

伊丹一三『ヨーロッパ退屈日記』 扉には《 池 田 潔 様   伊丹一三 》の献呈署名

埴谷雄高『闇のなかの思想 形而上学的映画論』 扉に《 土方巽様 元藤燁子様 埴谷雄高

金子光晴《絶望の精神史 体験した「明治百年」の悲惨と残酷」 扉頁に達筆な毛筆署名

この三冊はどれも 1960年代前半の発行であり それにも意味があるだろう

  要するに 時代 時間感覚も含んだ 宝物

         ・   ・   ・

    本があったから 生きてこられた  本があるから これからも生きる

これは 偽らざる 

       文字どおりの 本意 本音 本心です / 笑。  

だから 先の文言は こう改めた方が良いかもしれない

         わが意は 空と玄と本に 充ちたり 。。。。