サギとカラスのあいだに : : 藝術の「脱真実」

   二〇世紀藝術を考えるうえで   

       キーパーソンが四人いる    

オスカー・ワイルド    

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ        

マルセル・デュシャン 

ウォルト・ディズニー 

   1900年11月30日に

        ワイルドが死に

     1901年12月5日に

         ディズニーが生まれている 

   きわめて重要な概念

 「自然が藝術を模倣する」と述べたのはワイルドであり

 「こころで見なくちゃ ものごとはよく見えない

     かんじんなことは目に見えないんだ」

         キツネの口を借りてそういったのはトニオだった

       これらの言葉は

     藝術の枢要部・神髄を衝いており

   いまなお有効である         

       ワイルドとサン=テックスは宮澤賢治の同類 セイントの一種であり  

    デュシャンとディズニーはマーラ・パピーヤスの係累類縁である     

       ディズニーの重要視を意外に思うかもしれない

         しかし

       彼こそ

    二〇世紀と二一世紀藝術を拝金主義に導いた張本人

       俵のねずみが米食ってちゅう ちゅうちゅうむちゅう

             「ラットのミダス王」

       TPP/TTIPネオリベラリズムの背後にいるのは

     巨大製薬会社と国際種苗企業と並んだ

  超人ゾンビ化したウォルト・ディズニーの会社だ

    すでに五〇年も前に死んだおとこの

       ネズミの画が

         いまだに

           年間10兆円以上を稼いでいる

        仕事のない若者が世界には十億人もいるのに 。。。

    ディズニーが弁護士たちと一緒に編み出した

      力技 陰険な荒事ともいえる

        著作権と厳重な監視システムによる錬金術

          絵をお金にかえる

            現代の黒魔術を開拓しつづける超悪漢組織

               ウォルト・ディズニー・カンパニー

       それは

   ピカソやダリ ミロやシャガールとは桁のちがう算術であり

        ベニスの商人以上の非情ぶり

        アンディ・ウォーホル ロイ・リキテンスタインはじめ

      アメリカン・ポップ・アートは

   ディズニーとデュシャンのハイブリッドである

         とにかく

    彼らの怪しげな活躍で

                         美術市場は「詐欺師」が跋扈する場となった

  ( 興味深いことに日本のヤクザ用語で「陰謀を図ったり」「策略を練る」

     ことを「画を描く」とか 「絵図を描く」といいます、、、)

                       絵描きは錬金術師や贋金造りと重なるような

           古来より怪しげな商売です

          疑うものは 村上隆草間彌生を見よ

         さらに付け加えよう

   ジェフ・ベゾス セルゲイ・ブリン マーク・ザッカーバーグ 

      ジャック・マー 孫正義

          ビル・ゲイツらはウォルト・ディズニーの外孫である

      さらにアメリカを中心にした絵画・作品の大型化

       大銀行のホール壁面展示用に巨大化した

         投機対象としての高額化が

           才能ある地面師ならぬ絵図師たちを吸収する

                最大の理由になった

           ここに

       マネやモネ セザンヌの時代と劃然と断絶した

           新興「アート市場」が成立した

    

         「マネーこそ至高」「マネーだけが真実」

 

       愚かな知的大衆は巨額なマネーとそれにまつわるナラティブを

         拝むために拝金の神殿 美術館へいく

           貧しくも熱心な拝金教徒として

        さて 

         言っておくべきことがある

       宗教と芸術はとてもよく似ている

      偽物がおおく 本物はごく少ない

    それは 

  ほとんどの人間には 真偽の区別がつかないからだ

 

      ゾソタウンの前澤友作は

   日本を代表する現代美術のコレクターであるという

          もう

  現代美術は「高価なゴミ」を収集する新興成金たち

    金銭欲と自己顕示欲のIT亡者に任せよう / 笑。

       いうまでもないが

 冒頭の「二〇世紀藝術  キーパーソンが四人」とは

    もちろん「ぼくにとって」であり

     ワイルドもテグジュペリも「趣味」である

             ここでは悪役を振っておいた

      デュシャン

  きわめて高い見識を示しているので紹介しよう

    「藝術には賞味期限がある」

           がそれだ

    魔術のように手品のように 詐欺のように

          ホントウは

        藝術にも寿命がある

       

   われわれは「高価」「有名」という理由によって

       主として西洋の

     廃物あるいは屍骸を拝まされてきたのではないか

    歴史という名の権威主義/覇権主義に騙されて 。。。

      こころあるものはヘイドン・ホワイトにでも倣って

        抑圧的な詐欺装置・美術館と美術史を

          もういちどでも二度でも 

             考え直す必要がある

 

             いつまでも

           エリー・フォールや

        ヴァザーリを読んでいる場合ではない / 笑。  

    

 

 

           

 

「ANTIFRAGILE /反脆弱性」から学んだ 二、三の事柄

ナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性』読みおえる

    著者は

 「脆さ/モロサ」の対極にあるものとして

    ふつう考えられている「丈夫さ」「頑健さ」は

       反対語ではなく

     脆さの真の対極にあるものとして

        新たな概念「反脆さ/ハンモロサ」を提唱し開陳する 

     つまり

   フラジャイルに対するアンタイフラジャイル

      もしくはアンチフラジャイルである 

   さて

  タレブのいう

 脆さとは何か 跳躍的に要約すると 

   毀れ易さというより 騙され易さに近いだろう

《 2種類の知識を考えてみよう。ひとつ目は厳密にいえば “知識” ではない。そのあいまいな性質のせいで、私たちはそれを知識の厳密な定義と結びつけることができない。直接的な言葉ではっきりと表現することはできないが(「アポファティック」とも呼ばれる)、それでも私たちが実際に行っている、しかも上手に行っている物事のやり方である。ふたつ目は、一般にいう “知識” に近い。学校で教わり、成績をつけられ、体系化できる物事だ。もっと言えば、説明、学問化、合理化、形式化、理論化、成文化、ソビエト化、官僚化、ハーバード化、証明などが可能な物事だ。

 浅はかな合理主義では、人間にかかわる物事について、ふたつ目の知識、つまり学術的な知識の役割や必要性を過大評価し、体系化できない複雑で直感的で経験的な知識を軽視してしまう。》 

    上巻 318P 「ソビエトハーバード大学の鳥類学部」より

 

  タレブがアタマの固い既得権益を占有・享受する知識人を揶揄った

    「ソビエトハーバード大学」はホントに笑える!

 

 この本はすでに「ワカッテイル人」には「外部化された記憶」として

 読めばいいだけのことだし 

 わかってないヒトにはホトンド理解できないかもしれない

 

   超単純に本書を要約すれば

     多くの奴隷的市民が頼っている

       権威主義や権力志向によって 

          既得権益護持システム

            ソビエト=ハーバード流のやり方に

   「(得するつもりで)騙されちゃいけないヨ」につきる

 

 「無産階級と大学院」の続きをナシーム・ニコラス・タレブが書いている/笑。

     そこを引用して終わりにしよう

 

《  前回、アリソン・ウルフと会ったとき、私たちはこの忌々しい教育の問題や、学問の役割に関する幻想について話しあった。

 アイビー・リーグに属する名門大学は、アジアやアメリカの新しい上流階級からは一流品のような目で見られている。ハーバード大学は、ルイ・ヴィトンのバッグやカルティエの腕時計と同じなのだ。こういう現象は、中流家庭の親たちの足を大きく引っ張っている。親たちは、貯金のますます大きな部分を大学にそそぎこみ、大学の管理者、不動産開発業者、教授へと流している。アメリカでは、莫大な額の学生ローンが、上前をはねる搾取者たちへと自動的に流れている。ある意味では、たかりとまったく変わらない。人生で成功するためにはまっとうな大学の “名前” が必要だが、全体として見ると、社会は体系的な教育では前進していないように見える。

 私はウルフに、教育の未来についてどう思うかを文章で書いて欲しいと頼まれた。というのも、私は教育の未来を楽観視していると彼女に言ったからだ。私の答えは単純だ。いかさまは脆い。永久に続く詐欺など、今までにひとつでもあっただろうか? 私は時や歴史がやがて脆さを暴いてくれると心の底から信じている。教育は外的なストレスなしに成長しつづけている。だがそんなものはいつか崩壊するに決まっている。》

       下巻 46P 「この先はどうなる?」より

 

  しかし

   大多数の人びとは「騙されたがってる」ようにも見える

    騙されるために学校に行くのだし

     騙されるために新聞を読み テレビを見る

      スポーツにしても

        サッカーでも 甲子園やプロ野球でも

          ロックや他の芸能でも

           人びとは「本当に騙される」ために

            熱狂する

            本質的に

          人びとは日々の奴隷的生存

           および社畜国畜労働に倦み疲れて

        「考えたくない」のだから

       考えてもワカラナイとわかってる怯懦な空無さ

     隷属性は空虚への悲鳴なのだ

   騙されていた方が楽だと(意識深部で察知する原奴隷性)    

     ポスト・トゥルースではなく もともとなかったのでは  、、、

            いまや

         「大衆」は気づいてしまったのだ

      無価値な人生 無意味な自分 安定しない自意識 空無な雑音

            無気味な世界 不気味な自我

                                               われわれは

               すでに

          ポスト・ヒューマンの時空を生きている

                                

 

    

 

 

 

 反•巧言的:諫言として  「無産階級と大学院」

    敗戦後

  とりわけ ここ四〇年間

この国の混乱と無力化の基底部には

   「学歴問題」と「ステルスな階層階級」が潜んでいる

 もともと無産階級だった大多数の民草・庶民・大衆・蒼氓

     凡夫匹夫・熊八・善男善女

        呼び方はどうあろうとも

          彼ら我らに降ってわいた

            擬似平等としての新製品

          ポツダム民主主義

       (実態は儒教ムラ社会擬制民主主義立憲君主政/改)

                          無条件降伏から

       (敗戦を直視・反省・批判・総括するいとまもなく〕

     主権在民 自由平等が無料で喧伝される / 笑。

  その中で

 とくに勤勉かつ素朴で純情 強欲なひとびとが

  「無理をして」まるで保険商品のように

    「高学歴」を得ようとした

      それぞれ努力しつつ経済的にも「背伸びした」ために 

       階級脱出ないし階級変更ができたと

         単純素朴に

          思い込んでしまった

            多少は階層セルフ意識に変化はあったものの

              当然ながら

               本質としての階級変更はなかった

            また

         高度経済成長期と呼ばれた時代

    一億総成り上り気分を糊塗して 欺瞞的に一億総中流と呼んだ

        テレビと新聞 メディアを異常に信じるニッポン人は

           それを間に受け 本気にした    

            「苦学百景」

          その幻想・幻覚・幻影としての

   階層級成り上りが脳裡・背景にあるから

     新聞の社畜ジャーナリスト

      NHKを含む政府・広告屋としてのテレビ局員

        二世代前は小作水呑百姓だった官僚

         親を小商人に持つ大学教師

             彼らは

         自己実現という名のイス取り競争

          私利私欲を最優先で追求する

           品性下劣を恥じないし

            上昇志向も露わに

              権力に媚び

             阿諛追従し忖度する

 

     富士と桜には媚びへつらいがよく似合う 。。        

       大学院とタワーマンションはよく似ているし

         高学歴には高山病がよく似合う

             現在

    全国に少なくとも二〇万人はいる大学非常勤講師/兼務教員たち 

       少なからぬ割合で博士号を持つ

         彼らこそ

     現代の典型的なルンペンプロレタリアートである

       不思議なことに

          いや意図的に

      ルンプロはもちろんプロレタリアートも死語化されている

         大学非常勤講師はまったきルンプロであり

       全国で二〇〇〇万人を超えた非正規労働者はもちろん

     生粋の非正規無産階級・ルンプロそのものである

   ところが 高学歴を得た人々を中心に

     かれらは自分が無産階級だとも 

        ましてやルンプロだとも思っていない

         理由は 自認するのが「嫌だ」からだ    

            確かに

               LGBTのように

            階級自認を拒否する

     トランスジェンダーならぬ「トランスクラス」も理論的には可能だ

            ところで 

   タワーマンションをローンで購入しているひとたちは

        客観的には

     借金を抱えている分 単なる無産階級以下なんだけど

        わかっているのかしら 。。。

 

     さて

  渡辺拓也飯場へ:暮らしと仕事を記録する』洛北出版

   釜ヶ崎 西成公園などに付随した

      寄せ場飯場のフィールドワーク

   実際に数次にわたって長期間 飯場に住み 現場に行く実践的労作

  博士論文『飯場社会学ーー下層労働者の排除の構造とメカニズム』を

   下敷きにした一般書籍だが      

      かなり興味ぶかく読んだ 

         渡辺氏は現在37歳 

 

     一般紙誌の総花書評では絶対に書けないだろうことを書きます

 

    渡辺氏は

  いとも簡単・単純に研究者たる自分と「下層労働者」とを分けているが

  松原岩五郎『最暗黒の東京』や横山源之助『日本の下層社会』の時代では

  あるまいし 現代の寄せ場労働者と博士号を持つ無給研究員とのあいだに

  それほど本質的な違いがあるのだろうか 

  それは寄せ場飯場労働者の待遇や地位が向上したという意味ではなく

  博士号を含む学歴の価値と大学・大学院の地位が暴落したという事実

  現在の大学院はポスドクたちの むしろ「寄せ場」と呼ぶべき場所では

  ないのか 

  まだ学歴を誇ったり利用する人も多数いるためロンダリングの装置として

  あるいは高額な幼稚園・託児所として大学院は機能している

  ここ二〇年ほど 

  学歴ロンダリングの目覚ましい例では各種専門学校から公立系地方大学

  へ三年次編入する  その後 旧国立一期クラスの大学院に入学(簡単) 

  修士取得後 東大や京大など旧帝大系トップの博士課程に進む 

  資金さえ潤沢にあれば専門学校生徒が東大博士号取得も夢ではない時代

  大学も大学院もサービス産業ですから能力と関係なく買い物のように簡便

  問題は自由になる時間があるかどうかと入学金・授業料の工面だけ

  研究者と飯場労働者の差異はなくもはや無産階級 ルンプロとして同格で

  ちがいは家族など「バックアップ」体制の有無だけのように思われる

  さらに傷口に塩を

  法科大学院を卒業して司法試験に通らなかった者の総数は

  これまでの累計で3万人では収まらないはず

  医師の国家試験でも毎年約一割が不合格になっている

  医学部入学者数はここ四〇年間八千人から九千人で推移しているから

  年間九百人ちかくが医師になれない計算になる

  歯科医師試験はもっと厳しくここ数年30%以上が落ちるという

  薬剤師も六年制になってからの国試合格率は72%しかない

  「末は博士か廃人か」と云われるようになってすでに久しいが

  高等教育機関はいまや確実に高学歴プアー製造装置になっている

  夢見る無産階級 夢見るプロレタリアートたちの 夢の終焉

        

  いまの日本はむごいほど辛辣・冷酷に観察しないと

  この国の近未来を含んだ本当の姿は見えないだろう 。。

   

   『飯場へ』と同時期

  川村伸秀斎藤昌三:書痴の肖像』晶文社

  紀田順一郎『蔵書一代:なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』松籟社

    読み終え

  斎藤昌三や紀田氏たちを旧態依然たる蔵書家としてやや遠ざけ

  ある意味で反面教師のように捉えてきたことの正当さを確認する 。。

      「すべてはゴミなのだ」から

 

  ナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性』上下 読み始め

   いよいよ

    「脱真実」「真実以降」 

      ポストトゥルース新自由主義

         来るべき無限悪夢のような時代を

            身近に考える 

 

  家人にプレゼントしたマーク・ボイルの新著『無銭経済宣言』も読まねば

  アナーコ・パンクを自称したバンド『CRASS』のことなどふと想う

  中世ロビン・フッド以来 イギリスは各種アウトローの故郷である

  

 

 

 

Days of BOOKS and BOOZE Ⅱ.

 中井久夫集 1『働く患者』

     残してあった最終章「精神科医としての神谷美恵子さんについて」

     読み終え

   幾つか思わぬ発見がある

            ながいあいだ

    神谷美恵子中井久夫は親しい関係だとばかり考えてきたから

      この文章はインパクトがあった

《 精神医学界の習慣からすれば「神谷美恵子先生」と書くべきである。しかし違和感がそれを妨げる。おそらくその感覚の強さの分だけこの方はふつうの精神科医でないのだろう。さりとて「小林秀雄」「加藤周一」というようにはーーーこれは「呼び捨て」ではなく「言い切り」という形の敬称であるがーーー「神谷美恵子」でもない。私の中では「神谷(美恵子)さん」がもっともおさまりがよい。

 ついに未見の方であり、数えてみれば二〇年近い先輩である方をこう呼ぶのははんはだ礼を失しているだろう。

 しかし、言い切りにできないのは、未見の方でありながら、どこかに近しさの感覚を起こさせるものがあるからだと思う。「先生」という言い方がわざとらしくよそよそしく思わせるのも、このぬくもりのようなもののためだろう。そして、精神医学の先輩という目でみられないのも、結局、その教養と見識によって広い意味での同時代人と感じさせるものがあるからだろう。それらはふつうの精神科医のものではない。》

     あるいは

  否定的なもの言いをあまりしない中井がフーコーに関してこう書いている

《 あえていうなら彼女には精神医学の世界に関する限り、出会ってよいものに出会っていないという意味で不遇の影がないでもないと私は感じる。生身の交際でなくともである。たとえば、刊行されている翻訳はいずれも彼女が著者にかなりのめり込んでいて、決して才能まかせのものではないと私は思うけれども、最後まで彼女が失望しなかった対象はマルクス・アウレリウスとジルボーグでなかったかと憶測する。フーコーあるいは構造主義への傾斜は私からみれば自己否定の方向のものであって、しかもフーコーは、神谷さんがあれだけ真剣にとりくむほどの相手でなかったように思えて惜しい。フーコーが神谷さんの役された著作について彼女の問いに「若気のいたり」と軽く受け流したことは、いつも真剣で全力投球をする彼女にとっては意外中の意外だったのではあるまいか。ウルフについても私には神谷さんに近い人のように実は思えない。軽々には言えないけれども、かなり強く、そう感じる。》

  

 『井筒俊彦英文翻訳コレクション』全7巻8冊

   につづいて

 『中井久夫著作集』全11巻も

    来るべき晩年用書架に並べることを決定

  

 ウェンディ・ブラウン『いかにして民主主義は失われていくのか』   

 遠藤正敬『「日本人」の輪郭:戸籍と無戸籍』  

 藤田尊潮『サン=テグジュペリ:イメージの連鎖の中で』       

   など読んでいる      

  藤田のサンテックスは学術書であり横書きである点や構成上  

   取っ付きは良くないが内容は極めて高度だ   

    魂をもった人間が戦時をいかに生きるか

   シモーヌ・ヴェイユとトニオが 

      あるいはマルクス・アウレリウス

        霊的に重なっていることを改めて認識できた

      繊細さを喪わない瑞々しいしい研究に敬意を表す

 

 『いかにして民主主義は失われていくのか/新自由主義の見えざる攻撃』で

    かなり力をいれて語られている

      フーコー『生政治の誕生』などを読む気になっていたから

        中井の言葉に微妙に揺れる /笑 。。

      しかし 

    それにしても

   実感として

【 民主主義の崩壊は止まるところをしらない 】。

  跳躍するがヴェブレンの「見栄と世間体が文明社会をつくった」(帯より)

    『有閑階級の理論』を補助線に用いると 

       新自由主義の攻撃性とその闇が

         クッキリと浮かび上がる

      『有閑階級の理論』は

    見栄と虚妄虚栄体面に翻弄されて生きる

       悲しくも滑稽な現代人を読み解くうえでの 

         名著中の名著 

          21世紀読書人 必読の名著である 

    きわめて乱暴に要約すれば

  無産階級が有閑階級と同じような生き方を強要され

       衒示的消費として長期Fランク教育を購入

    高学歴なルンプロがなすすべもなく「名誉・新有閑階級」として

       空腹感を抱えて生きるのが

    『デモスを解体するーーー新自由主義のステルス革命』

          時代なのだ 

   闘士 ウェンディ・ブラウンのキツイ論文を読んで 

       (可哀想だが) 上野俊哉

    『〔増補新版〕アーバン・トライバル・スタディーズ』

        副題は「パーティ、クラブ文化の社会学

     能天気すぎる(どうしようもない)甘さを痛感した

       2005年の旧版も刊行時に読んでいるが

    この一〇年の大変化に対して善良な上野は鈍感すぎるように見える 

     まだ カルスタがチヤホヤされた時代

   2005年当時だったら上野センセーは面白い人だったのに 。。。

 

  ああ そういえばウエノといえば ビッグ上野センセイ 

       カルスタを流行商品として販売し

     フェミニズム解同や総連のように脅迫に用い

         爺さんアカデミアを鎮圧した

    『婦人公論』イデオローグの偽フェミ上野千鶴子サン

      チャラチャラ高い和服着て「平等に貧しくなろう」

        なんて 金儲け用大ボラ吹いてる場合じゃないでしょう

        

   ここ一〇年 とりわけ

       2011年フクシマ以降 

         国会から村議会まで乗っ取ったあらゆる政治屋 

       高級官僚から村役場まで寄生するあらゆる公僕

           国家権力と広告屋に指図された

      テレビ屋・新聞屋 弁護士・裁判官・検事など

        権威と信頼を著しく失墜し

      化けの皮が剥がれ 汚穢鄙猥が露呈した職業は多いが

    元職を含む大学教師たちの多くも

 「無力感」あるいは逆に「出世金銭願望」による

腐臭を放っており零落した職業の例外ではないだろう

 

     精神的にも物理的にも

   第二の敗戦を迎えている

 この国から揮発蒸発 喪われてしまったありとあらゆる信頼関係

   その修復は二〇年や三〇年ではすまないだろう

     

  

 

  『死んだムラの 毀れた学校』 。。  

入退院の前後に読んだ

   『中井久夫集 1  働く患者』から

     引用したい

《 日本に大量に大学が生まれたのは戦後まもなく、高度成長以前の時期であるが、アメリカでも大不況後に大衆大学が出現している。ヨーロッパでも最近新大学が生まれつつあるが、ヨーロッパは十年来慢性不況にある。

 このプールはかなり効果的な弾力性がある。不況のために、今、就職すればあまりよい展望がもてそうになければ、その代わりに一段階上の学校に進学して、次のチャンスに賭けるという選択に傾く。しかもその間は父兄負担である。失業手当の支払いを政府はする必要がない。  

 また、教育は階級制度にかわる一つの階層組織を提供してくれる。階級制度は明白な攻撃の的となり、その維持にはかなりむき出しの権力を必要とする。むき出しの権力は社会の不安定要因であり、しばしば社会体制の脆弱性の暴露であり、まかりまちがえば体制そのものが動揺する。しかし、教育というフィルターを通った階層組織はーーー教育への機会が必ずしも十分平等でなくともーーー真正面からの攻撃を受けにくい。とくに社会の過半数がこの階層組織に関与している場合はそうである。》

 

《 教育についても事情は同じではないだろうか。戦前の大学生は一年約五万人✳︎であったらしい。戦後それは数十倍となったが、大学卒にふさわしい仕事に従事している者の数は戦前に比してそれほどふえていないといわれる。学歴も当然インフレーション的価値低下を起こす。この場合も、貨幣価値の低下を見込みながらも貯蓄せざるを得ないのと同じ事情が働く。それは、単純な損得では答えの出ない強烈な動機ーーー恐怖ーーーにもとづく「死回避行動」である。低学歴者が少数となった時、この恐怖はにわかに増大する。配偶者を得られないのではないかという恐怖すら地平線上にほの見える。

 高度成長は終わったのかも知れないが、そのバランスシートはまだ書かれていない。しかし、その中に損失として自然破壊とともに、青春期あるいは児童期の破壊を記してほしいものである。われわれは大量の緑とともに大量の青春を失ったと言えなくもない。

 なぜなら、それは第一に教育を「死回避行動」に変えてしまったから。戦後の新教育が何であろうとも、それは少なくとも「死回避行動」をめざしたものではなかった。戦前の教育でさえ同じことが言えるだろう。これは教育の内実を貧しいものにすることである。教育が「一元化」したのは、原因でなくて結果である。今日の商船大学卒業生が陸上の企業に就職するように、もし多様な教育機関が存在したとしても、単色化はさけがたいだろう。医学部のような特殊な学部でさえ、単に難関であるために挑戦する対象になりつつあり、医師になろうとする心構えの乏しい学生の存在に医学部は困惑しつつある。

 最大の問題は、学生生徒はもとより父兄も教師も教育の元来の価値を信じなくなっていることである。

 発達期は、現在の課題に応答しながら別に成長のための分をとっておかねばならない時期である。その分まで食い込むとは、それは成人になる資本/もとで をつぶしていることになる。》

 

《 高度成長の終焉とともに、潜在失業者プールをはじめ、さまざまにそれなりの社会的機能を果たしていた膨大な中・高等教育機関は、そのような意味でも「無意味化」を起こすかもしれない。惰性はなお受験競争激化、高学歴化の方向へ進むであろうが、これらの教育機関が次第に一種のサナトリウムと化してくる可能性がある。学校にカウンセラーを配置しようとする案の現実性はさておき、それはすでに現実の問題となりつつあることを示唆している。》

 

《 今日の子どもたちがいちばん恐怖を覚えているのは何だろうか。お化けでも、戦争でもないだろう。落ちこぼれだろうか。そんな程度ではあるまい。ひょっとすると精神科医計見一雄氏(『インスティテューショナリズムを超えて』星和書店)の言われるように「生きつづけてゆけない」恐怖かも知れない。精神病恐怖かもしれない。級友の一人二人が休学したことを果たして彼らは他人事と聞いているのだろうか。彼らにとっていちばん身近な安全保障感喪失の危険は、そういうことではないのか。そのために彼らは無理をする。それは時に悪循環を生む。優等生の微細非行も、それにどこかでつながっているかも知れない。》

     「ある教育の帰結」(一九七九)より

 

 

 中井久夫がこれを書いたとき 彼は四十五歳だった

 それからほぼ四〇年が経とうとしている 

 この国の惨状はさらにさらに非道くなって

 もう取り返しがつかない状態と判断した方が正直だろう

 教育のみならず社会構造そのものが臨界・過飽和点に達している

 四年制の大学総数は2015年段階で777校を超えたという

 「仕方なく高等教育制度で時間をつぶす」それが醜悪なリアルだ

 貴重な青年期の時間だけではなく 予め失敗を約束された教育投資

 病院が疾病工場であるように 学校は一層巨大な消費工場群である

 受益者負担による有料託児系保育システムによる幼稚園付属大学院

 それをソフトな監獄 有償懲役システムとよんでも間違いではない

 いまや 囚人や兵士やルンプロにもなれない純情消費投機者にすぎない

 

 

✳︎「五万人」は当時の医学部を除いた在学年数三年間の総数であると思われる

 大学生になったのは一年間に一万六千人強でしかなかった

 あの中井久夫ですら間違いを犯すことにホッとするとともに みすず書房

 校閲校正システムがすでに事実上 無機能化している事実に暗澹とする 。。。

  

 

 

 

  「不思議な工場」 。。

 

はるか昔に読んだ

 自動ドーナツ製造機械の『ゆかいなホーマーくん』

   あるいは

     二〇歳を過ぎたころ読んだ『チョコレート工場の秘密

             「工場」童話を

     ふと 連想しつつ

       巨大産業になった「廃兵院」のこと考える 。。

           ごく軽い脳梗塞

              緊急入院した脳外科病棟

            血圧220mmHg

    複数の自動点滴をうけつつ

      「ワレ直感ス!」

       急患を載せたヘリコプターが離着陸する

        現代の巨大な最新病院は

          国内から大工場が逃げ出した跡を襲った

             労働集約型と資本集約型を兼ねた

             新世紀の「大工場」である

            ラインに変わってベッドがならぶ

          なにも生産しない工場

             修理工場というよりは

               消費専用工場

            時間を 経済を 人員を 生命を

              消費あるいは濫費する

                有機的であると同時に虚無的なファクトリー

                  「アンヴァリッド

 

         脳外ER病棟もリハビリ専門病棟も

           ほとんど老人ばかり 。。

           「産業廃棄物の動態保存」

         現代の廃兵院

     疾病工場は「生製品」としての患者を除くと

   軍隊同様の徹底した階級社会である 

      それは経営幹部や理事会を別として

         医師を頂点とする闘病組織だが

           ユニフォーム等によって階級階層が厳密に区別される 

  看護師 准看護師 薬剤師 MRI/CT技師 栄養士 理学/作業療法士

                                                    etc. etc.

        給食の配膳からリハビリの実習生に至るまで 

          二〇種類ほどのさまざまなユニフォームを見た 

              もちろん

      受付や案内 掃除やベッドメイクの人も

         緻密なピラミッド/ヒエラルキーに含まれている

           たしかに

             「病院工場」はかつての大工場に匹敵する

               多くの雇用を生んでいる

              理学療法士作業療法士はもちろん

            薬剤師や管理栄養士がベッド脇まで説明に来る  

          きめ細かい「労働集約型」産業ぶり

        大量の余剰若年労働力があってこその「過度の充実」といえる

               あえて言う

         医療産業と教育産業 葬式産業は

    形あるもの はなにも生まないけれど

      「医療法人」「教育法人」「宗教法人」は 

         税法上 手厚く保護されている

       旧来の第三次産業から分離して第四次産業と呼びたいホド

             この既得権益と過度の保護により発達した 

                高度「消費蕩尽システム」

           公文式から大学院まで 病院と介護施設 葬儀埋葬関連は

                いまや日本国内の中核産業である

              巨大な泥の病院船 ニッポン丸

           「ニッポン丸 みんなで沈めば怖くない」

  

             九日間の入院中

        ヘイドン・ホワイト『歴史の喩法』

         空海コレクション3『秘密曼荼羅十住心論』上

            読み終わる

       『歴史の喩法』で学んだのは「歴史が科学と芸術の間にある」

         と19世紀以来 歴史学者は考えてきたト

           「科学のふりをしてきた文学あるいは文芸」

             その時代遅れな中途半端さが

               現在の歴史学の不評を招いていると 。。

         空海『十住心論』の面白さは別格

            直接引用される老子荘子はもちろん 

             マルクス・アウレリウス『自省録』とも共通する

               透徹した智性

             けして読みやすい文章・文体・文字ではないが

               生きてる間に全体を三回は読んで

                 ワガモノとしたい

                   そう願っている

      

 

       

      

   

   ワ・ガ・コ・ト・ニ・ア・ラ・ズ 

《 世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ 之ヲ注セズ 

  紅旗征戎吾ガ事二非ズ 》  

           おそらく

 堀田善衛の『定家明月記私抄』などを介して

   よく知られる

 藤原定家『明月記』の一節だが

 本歌は白楽天 白詩文集にある

   「紅旗破賊非吾事」

 コウキセイジュウでも 

   コウキハゾクでも

                 もはや

      隠棲 隠遁 遁世 幽居 疎開した 

        暢気な世捨て人 わがことにあらず 。。

         そーいえば

     紅旗といって脳裡に浮かぶのは

         やはり中国

       五星紅旗であり   

         党幹部や指導者を乗せる

      中華人民共和国製の最高級車両を指す

        調べると

         今や紅旗もパレード用オープントップまであり

            ロシアに空輸したりしているとか

              閑話休題

                それはそうと

         なんだかこの国が

           奇妙に「ハードボイルド」が似合う場所になった

             そう思われてならない

               それは

              村上春樹の活躍によるものではない

             日本が本当に

           汚れた卑しい国になったからだ

         悪党と馬鹿 

      狂人と白痴に満ちた国 ニッポン

         ぼくは

           この 辛辣すぎる「罵詈雑言」を

             本気で発語する

          一九六〇年代までの敗戦日本は

        それでも まだ 

     素朴と純情さを回復しつつ残した社会だった

    歌謡曲は似合っても

  ハードボイルドの背景としては無理があった

   当時のニッポンでは 

      裕次郎や小林アキラ 宍戸ジョーが精一杯  /笑。

         大藪春彦

      きわめて反俗 高等な絵空事だった

              

   しかし 今や

     AKB48の傾城

       いや宿場女郎級の白痴音楽こそ

         馬鹿のための現代吉原装置 

           下水道悪党による愚民製造音楽だ

          まるでソフビになった固茹で玉子

             シリコン製のラブドールミュージック

               充てがわれる

                卑猥で愚劣な大衆娯楽

             それに耽溺する老人を含む子どもたち

                愚昧老人 白痴青年 痴愚少年 魯鈍少女 

                  セルフイメージでは    

               善男善女の熊八グーミン朝三暮四ザル

           持て余した自意識と我欲 利己心に発狂した

             「高等御土人」による

               「一億総悪党社会」

 

       フィリップ・マーロウのような

    卑しい街をゆく高潔の騎士など

       どこを探してもいない

         いない  

           どこにもいない        

       穢れた真空とか 卑しい宇宙というものが

          もしあれば

      それは 現在のこの国であり 

         「脱真実」なこの惑星だろう

 

 

 

  「中井久夫著作集 1」『働く患者』を読んでいる

   表題作まではいかないが「現代社会に生きること」

              「現代における生きがい」

              「サラリーマン労働」の

  三編を読んだ

  とりわけ前の二本は中井が精神科医になる前 1964年の著作

  論理的で感受性に満ちた端正な文章はいまとほとんど変わらない

  が 大藪春彦の名を「中井久夫」の文中に見るとは思わなかったから

  とても新鮮 年代順に半世紀以上前の文章から読める編集は正解だ

  中井のコアな読者は「全体像」をつかむためにも読むしかない 

   それにしても半世紀でこの国の社会と蒼氓がさらに喪ったものは

  もはや言葉にできないほど巨大で深刻なものだ 

 

  中井とは直接関係ないが十代の死因のダントツ第1位は自殺であり

  「あんなオトナになんてなりたくない」が自死の最大理由だという 。。。

  卑しい街 穢れた社会が 子どもたちを殺しつづける 

  調べると十代だけでなく二十代 三十代の死亡原因トップも自殺 。。

  四十代 五十代になって自殺はようやく二位に後退する

      この国に未来があるとは考えられない