消滅した造本工藝を悼む 。。

 

柳宗悦が戦前1937年に私版本として出した

薄い冊子『美の國と民藝』について先日書いた

1979年に文藝春秋社が刊行した石版画

 奥村土牛の署名入リトグラフ二葉に関しても書いた。。

  これは定価290,000円限定80部の特装版に付けられた

   二種の「リトグラフィ」限定80部 プラスAP.10部 HC.10部 

    総刷枚数 計100部のうちの非売品/HC.である

     

   当然のことながら限定本の本体も手に入れようと思った

   「日本の古本屋」で調べると簡単に見つかった 

     石版画が失われた本だけだと8000円

       かなり入手しやすい値段で名古屋の古書店から

        今日アッサリ届いた。。さすが限定80部だけあり

       扉頁に土牛の毛筆署名と印が落款された総革装

         「造本 原弘」と懐かしい人の名が輝いている

         今では全く見かけなくなった なんとも「豪奢な本」である

        45年前29万円したものが二万円以下で買えたことになる

                   ・

          綺麗に浄めた食卓に置いて 

        一頁一頁「原色図版」を丹念に眺めてから

          谷川徹三奥村土牛 人と芸術」を入念に読んだ

           谷川の文章は目から鱗が飛ぶものだった

         おそらくゴート革の豪奢贅沢な造本で読む谷川徹三

           21世紀の現在では限りなく稀少な体験だ。。

                   ・

         『美の國と民藝』も限定版『奥村土牛』も双方ともに

        昭和期の造本芸術の粋であり高次な内容は今も色褪せない

          読めればいいとの乱暴きわまる言葉を吐くヒト

       本の美に興味を持たないヒトには掛ける言葉もない

                もはや

         消え去った美意識を呼び戻す術はないだろう

          ぼくにはそれらを悼むことしかできない/笑。

 

            

 

 

 

 

『美の國と民藝』。。さゝやかな歓びと複雑な窮愁

 

ほとんど興味を持つ人などいないだろう

 些事ちゅうの些事です。。/笑。

 昭和十二年六月柳宗悦によって出された私版本

 『美の國と民藝』を二冊架蔵していた

 20頁しかない薄い冊子だから

 あまり市場にはでない

 この小冊子には和紙刷りと洋紙刷りの二種類あって

 ぼくが持っているのはどちらも洋紙刷りのものだ

    奥付けの説明を書いておこう

《 特製本 二 百冊 印 行  和紙刷 一冊一圓 郵税共

  普及本 四百五十冊印行 洋紙刷三冊一圓  郵税共 》

 かなり重症の書痴/書狂にしかわかってもらえないだろうが

 ほんとうは長いこと もちろん和紙刷の特製本も欲しかった。。

 それが数ヶ月前 ヤフオクに珍しくも特製本が出た

  しかも毛筆署名入りである 。。

 出品したのは稀覯本にかなり見識のあるピーピーブックスだから

   値段付けが素晴らしかった 。。/笑。

このランクの稀書になるとゴクゴク少数のマニアしか興味を持たないから

 痛いところを絶妙に突いて 消費税を入れるとなんと五万円になる

  ぼくは『美の國と民藝』を普及版とはいえ二冊も持っているのだ

 しかもかなり安く買っている。。挟んである納品書によれば

 一冊は2012年に神戸の古書店から本体600円 送料80円で購入している

 その前2010年に購入したもう一冊は杉並の古書店で3800円だった

 ちなみに送料は180円 

 保存の良い表紙には珍しいことに内務省が押した発行年 検印がある

 さて数日前のこと「日本の古本屋」サイトに『美の國と民藝』が

 4400円で出されていた。。 

 「宗悦私版」には奥付けの文字だけ見ても「確定できない」ものがあって

     全国の古本屋を泣かせている/笑。

 小さな写真だから確信は持てなかったが 

透かしのあることなどからどうも和紙特製本のようだ 

  というわけで日本の古本屋に発注した 。。

  洋紙の三冊目でも良いじゃないかという心境だった

  今日届いたものを慎重に眺めると やはり和紙製の特製本だった

  表紙の『美の國と民藝』文字も並製は黒インクだが 特製は金の箔押し

  洋紙製よりはるかに軽く 本自体の厚みもやや薄い 

 

  さあ さらに柳宗悦の毛筆署名された『美の國と民藝』を

      あと五万円出して買うのかどうか

  さらにややこしいことに

   未架蔵だった30万円もする高価な柳宗悦の稀覯私版本が

       これまでより本の少し安く出ている

          欲しい ほんとうに欲しい/笑。

       幾つになっても病気が治らない 

    書痴であり柳エンスーの爺さんが悩むのはこれからだ。。/笑。

 

 

 

 

 

 

 

奥村土牛 その他の雑感

 

二十代中頃までドギュウと訓んでいた

  「おくむらとぎゅう」サンだけど

   日本画家には魅力的な文字を書く人がいて

    奥村土牛はその代表的なひとりだった 

  画家とは面識ないけど 駒場の民藝館の帰りに寄って

   民藝館展で大皿を買ったというと手荷物に気づいて

    良かったら見せてもらえますかと云うような

      温厚で性格の良い息子さんがやっていた

    民藝品の渋谷「べにや」には若い頃から度々あしを運んだ

   だから今でもこれはあの人から買ったとか日々思い出す。。

 廃物で造られたブルキナファソ製の純粋手製トラックは

  ジョンレノンのサイケデリック R.R.ファントムⅤ

          ジムクラークのロータス25と同じく

     いつでも見える一等地 選ばれた場所に飾ってある/笑。

                ・  

   ヤフオクで見かけた奥村土牛『蘭 野牡丹』オリジナル石版画の二葉

    AP HCを入れても限定100部 土牛の鉛筆サイン入が落札価格

     なんと8330円!税・送料を入れても一万円とわずか!!

  今日と届いたものを確認すると1079年の発売当時 文藝春秋社が

    販売した価格は290000円であった 44年前29万円である

     今なら消費税だけで3万円近いことになる/笑。

       暴落している現在だからこそ買えたのだが

         なんとも複雑な嘆息がでる。。

               逆にというかなんというのか

       李禹煥 角偉三郎 黒田泰蔵など「人気作家」のものは

         妥当な価格を超えおそろしく高騰している

      これらはファッショナブルな一部家具を含め

    わかりやすいから以上になかば投機対象化しているように見える

       それは辛辣な見方をすれば 

  かつてのハイアートとローアートに代わってロレックスマラソンに似た

マネーアートというべき「にわか」現象が台頭してきたともいえそうだ。。

  もともと美術工芸品は穏やかな投機の対象であったことは事実だ

 詐欺をしてでもホストになってでもジャニタレ現象のように

  売春をしてでも 有名芸能人になってあるいはスポーツ選手になって

   フェラーリやボルシェに乗り今太閤/勝利者ぶりを

      見せびらかしたい。。

    露骨な欲望の急激な発露と発情現象

  それらには男だけではなく 多くの女性政治屋とその周辺も含まれる

    三浦瑠麗 杉田水脈 小池百合子 上野千鶴子 林真理子etc etc

  単純と言えば単純すぎるがこの欲望の発露/発情現象こそヌッポンである/笑。

        要するに男も女も出世したかっただけのヤカラこそ

      日本を吸い尽くし衰弱させ弱体化させた吸血ゾンビたちだった

     昔のことば「成金」はすでに「死語」であり

   インチキ投資でも詐欺でも売春でもマネーを持ては勝者である

 

      余は過去の20世紀とりわけ50年代60年代に亡命している

         現代にはほとほと愛想が尽きた

           本当の本心である/笑。

      

 

 

 

   

   

 

 

「商業主義」が賢い諦観を阻んできた。。

 

遠慮せず大胆に言うことにしました/笑。 

 あえて挑発的な言辞から始めましょう。。

  もう70年いじょう呼吸していますが

    野球や他のスポーツが大好きで しかも賢いというひとに

      逢ったことがありません/笑。

        さらに挑発を重ねると 映画好きはもちろん

         いわゆる音楽好きにも本質的には莫迦が多いと思う。。

      それはジャニタレのミーハーファンであっても

    クラシック音楽愛好者であってもほとんど一緒と考えるに至りました

      かれらは自分の頭で考えることが苦痛で嫌だから 

        なにか「それらしい権威」に身を委ねたいだけです

         熱狂に必要な権威を音楽も映画もライヴも与えてくれます

           おそらく政権に逆らわない熱狂こそ権力が好む

         民主主義の常態なのでしょう/笑。

      権威にはポピュリズムも集団発狂としての祝祭的な破壊力も

    含まれています。。

     古くから宗教がそうであったと同じく

      近代スポーツもスポーツ愛好も「阿片吸引」そのものです 

        集団スポーツは戦闘と戦争行為のシンボル

         いわば「聖火」として機能してきました

          プロトタイプと表現しても原点と言ってもいいでしょう。。

        あらゆる商業スポーツは人間を「原理主義者」に変えます 

      内省の反対側にあるものこそ原理原則を金科玉条とする原理主義です 

                  ・

                  ・

     ヒトはルールを守って戦場でも市街地でもヒトを殺します

    ルールを守って醜い蛮行を繰り返す軍団から脱出しません

   いまは ルールを守らないこと 脱走こそが重要なことです。。

     人間は集団/マスとしても あるいは個々人であっても 

 メディアや学校教育が煽ったり喧伝したり

  その影響を受け みなさんが漠然と考えているほどには賢くありません

    むしろ本質的に愚かであると考えたほうが正しいでしょう。。

      愚かだからこそ何千年にわたり宗教が繁栄したのです

  さらに「産業革命」以降人間たちは単なる愚かさを通り越し

   狂気の域でさらなる発狂を重ね繰り返し続けてきました

 

   欲望と虚偽だけが人類を一時的に熱狂させ 破滅に導きました

      もうそろそろ 破滅に向かう芝居も終了間近です

 

    この世こそ地獄そのものだとぼくは子どものころから考えています

 

                   ・  

    本当は囲碁将棋も「一種の莫迦」だから子供の頃から続けられるのだと

      誰にも云わず密かに考えています

       囲碁将棋チェスなどの遊戯とゴルフやサーフィン ヨットなどを

        高尚なものだと信じたがっているひとが一杯いますが

      野球や大衆芸能をはじめとする娯楽はすべて低俗なもの

        だって人間そのものが低俗ですから。。/笑。

 

       複雑な拝金主義と商業主義こそ諸悪を統べる原理主義です。。

贅沢もしくは反吝嗇としての浪費。。

 

世界のことを語りたくないから

 とりわけ政治や経済を直接的にあまり語りたくないから

  椅子を買ったり蒸留酒を買ったり陶磁器を買って

    ぼんやりした時間を過ごし

     でき得る限りは憂世を離れ

       閑かにサケを飲んでいたい 。。

     世界の政治経済なんて醜いから直接喋りたくない

   でも北欧の椅子に座って沈思黙考していると

  それなりに「世界史」がお尻のほうから見えてくる

   あるいは過去に触れた工業生産物をボンヤリと思惟するだけで

     工業とその生産物の生態系が具体的な存在

       または「人類史」として浮かんでくる 

        それがぼくにとっての具体的な「世界」だ

          老人には無意味な蓄積がたくさんある/笑。

           ところで  

      パンデミック以前には考えられない勢いで

       サマザマなものを購入している。。

         去年くらいは

       島岡達三を中心に幾つか買ったけど

     ことし後半になって濱田庄司のどちらかといえば

    大きなものを買い始めている 。。

   ぼくにとって濱田庄司と芹澤銈介 河井寛次郎etc.は

    柳宗悦を考える上で最重要なひとびとだ

     それにしても濱田庄司の共箱付作品を

       老人とは言え ボクでも慎重に選べばかなりな名品を購入できる

         時代になっている。。

       (「なってしまった」というべきか/笑。)

 

       ほんとうはヱビスビールが作った新製品

    「クリエイティブブリュー」シリーズ二作について書くつもりだった

      現在 和ビールはクラフト系を筆頭に奇妙で凄い乱世に入っている

        世界を覆う騒音に背をむけてひたすらビールに耽溺する

             できれば 現代の世界には背を向けた

           ゆるい老人あるいは趣味人として

         残る余生を静かに穏やかに過ごすつもりだ 。。

 

  

 

   

 

 

 

濱田庄司と濱田門窯のことなど。。

 

今日は「濱田庄司」のものが時間差20分で二点届いた

最初の大きな段ボール箱には角皿が入っていた

ヤフオクの呼称では『鉄絵四方皿』となっている

幅300mm 高さ70mm だから角皿としてはほとんど最大級にちかい

この角形状皿はもう一回り小型のものを濱田の高弟 島岡達三が

得意として良品を多数つくっている

これは大ぶりの尺皿などで濱田が見せた見事な流し掛けを

柿釉を底にその上から 独特な緑釉を施したもので 

この大きく見事な角皿は ぼくの目には逸品に映る

意外な意見に聞こえるかもしれないが濱田庄司の作物は繊細である

偶然をかなり自在に操れる闊達な繊細さというべきかもしれない

私見ではむしろ島岡達三の方が奇妙な大胆さをもっている/笑。

濱田の角皿は箱無しだったからとんでもなく廉価だった。。

共箱があれば今でも骨董商は30万円以上をつけるし

バブル期だったら間違いなく100万円を超えて取引されていた

 

もうひとつの逸品が工政會出版部から昭和八年に出された

濱田庄司陶器集』である 著者は青山二郎となっており

限定三百部の紬で装幀されたきわめて美しい本だ。。

造本設計はもちろん著者の青山二郎だろう

これも箱無しだったから買える値段になっていたが

濱田の署名入りだから本来はとんでもなく高価のはずだ

(装幀に持ちいた紬の製作者は昭和十五年に出されている

 『富本憲吉 河井寛次郎 浜田庄司 作品録』

の表紙布 製作者が外村吉之介であるように この手織り紬も

初期 外村作の可能性もあるが明記されてはいない。。)

  ところで 

もう10年以上前から頻繁に使っている中皿がある

今もメルカリなどで安く手に入る「辻嘉一特選和食器揃 用の美」

濱田門窯「鉄釉独楽筋紋皿」だ 僕に言わせると

これは昭和期のふたりの天才 辻嘉一濱田庄司が組んだ

きわめてよくできた実用食器の傑作だ

最近になり縁あって濱田門窯の深めの中皿(径155mm 高45mm)を

入手した とても使いやすく独酌の相手として気に入っている

世界はますます混迷をふかめ騒音のみ喧しく流されるが

こんな時代だからこそ日々の暮しを大切にして

できる限り「工藝とその道」を愉しく探究したい 。。

 

  それにしても さまざまに立派な人物を見倣うことで

わかい頃から考え描いてきた

「理想のオトナ」にかなり近い人格になったと

   自分では勝手に考えている/笑。  

 

 

富本憲吉と岩波茂雄の湯呑。。

 

けさ荷物がふたつ一緒に届いた

 ひとつはずっしりした重さの書籍小包 

  もう一つはそれよりずっと軽く小さな段ボール

   本は盛岡市古書店からの『自選 富本憲吉作品集』

 1962年に朝日新聞社から「千貮百部」出され朱筆で 

  「貮百拾参」番とある限定版のパラフィン紙も折り目ひとつない

      完全完璧なデッドストック/ミント状態

     しかも昭和37年9月の定価五千五百円が

   無競合落札価格910円で税込1001円 送料1060円だ

    つまり消費税送料込み2061円でしかない。。

      日本の出版文化/印刷/製本技術が最高度に達していた

                 時代の重厚な美書だ 

  それが誰も価値を認めず知る人もなく投げ売りされている/笑。

      さて さらに重要なのは小さな小包だ

     大阪市の古美術商から送られてきたものは 

  富本憲吉造と桐の共箱蓋に書かれた『染附 湯呑』である

  直径75mm 高さ71mmの小体な湯呑横に

   「低 處 高 思」と書かれている 

      この格言はワーズワースの詩の一節

    「Plain living and high thinking 」から取られ

      岩波茂雄の生涯にわたる座右の銘だったという。。

   蓋裏には「感謝記念 壬午 明治節 岩波茂雄」と

     細筆で丹念に筆書きされている

     これはてっきり敗戦直後の文化勲章受賞記念かと

   簡単に考えていたが 岩波茂雄が受賞した1946年は戌年だから

     じんご/みずのえうま「壬午」は1942年とすると

 多額納税者として貴族院議員になった記念でも文化勲章受賞記念でもない

   「壬午 明治節」問題はじっくりと探究することにして

          それにしても

     どうしても欲しかったので「即決」で落としたけど 

    これほどの奇貨でも競合者なしには少し驚く/笑。

       この湯呑は初めて買った富本憲吉である

吉田五十八に別荘建築を依頼する趣味人としての岩波茂雄はもともと印象的だったが

   この湯呑および共箱は昭和期文化の良いスーブニールになった気がする/笑

      美意識と高度な趣味を持った出版人としては 岩波茂雄以外にも

        ぼくの管見でも小林勇と栗本和夫が浮かんでくる 。。

      出版が教育制度を超えて文化の核だった時代 

    書籍美が工芸と美意識の精髄/華でもあった社会

  それらが善悪と好き嫌いを超え「終了」した時代を私たちは生きている

   生涯にわたって書籍愛を生きたぼくには 

     文化だけでなく人類そのものが終了したように思えてならない。。  

 

 

         要するに 

  岩波茂雄も富本憲吉もいまの大衆文化には縁がないのだ 。。

    大衆諸君はコスパとかワールドカップとかウクライナとか

        一生騙されて騒いでいなさい/笑。