私は何かと蟷螂とは縁があるようだ。
昔持っていた熊谷守一の書は
『蟷螂がいよいよまかり出で候』
という
此を書いた最晩年の心境と関係あるらしい、
よく考えると少し不思議な物だったし……
さて。
昨年か一昨年の事。
温泉に向かう山道に一つの色鮮やかな遺骸
何とも言えない静物的な風情と佇まいに
湯に浸かっている間じゅう
頭の中で言葉を弄っていた。
今、手帖を調べるとこう書いてある。
『蟷螂が フワリと死せり 温泉の道
文 読み飽いて 雨後にゆく山 』
00.9.17-18.
未定稿とある。
句らしき物もあった。
『杣道に 子は成したかな 蟷螂や』
そして昨日の事。
二日酔いの躯を清めようと
湯道を辿っていた。
全く同じと思われる場所にまたもや蟷螂の遺骸
不思議な事もあるものよ。
私は既視感とは又違う愉快な感覚に襲われていた。
所で『徒然草』の第六十八段に
難儀にあった人が常日頃から信を置き食していた
土大根の精霊に助けられる噺があり
あり得る事と書き付けた兼好法師の見解に
私も賛成する者だ。
そんな事を湯船の中でボンヤリと考えつつ
『蟷螂が 伏して候 侘び深く
去年詠みし歌 湯への秋山 』
一昨年の作も改訂しておこう。
『杣道に 朱腹みせたる 蟷螂や
子は成したかな 無常の前に 』
以上。
幽艸堂にて雲衣狂生識。