武装なき高速偵察機/Antoine de Saint-Exupery
フランス文化省は同国の潜水チームがサン・テグジュペリの乗機を仏南部マルセイユ沖地中海の海底で発見。墜落地点を特定したと発表した。高速でほぼ垂直に「墜落」した模様で、機体には大きな損傷や敵の攻撃を示す弾痕もなくプロペラ部にも異常は認められなかったという。 2004407 YOMIURI ON-LINE/AFP
1998年にマルセイユ沖で漁師が獲った魚の腹から名前が刻まれたブレスレットが見つかったという「奇跡」の様な報道から5年余を経て漸く幻のような「外報」に決着が付きそうだ。 しかし、何故地中海に突っ込んだかは永遠の謎となるだろう。
が、彼の長編や手記、書簡集を真摯に読んだ者なら理解可能の筈だ……(あの小さな新聞記事を読んだのは夢ではなかったかと何度も思いそうになっていたからホッとした‥‥)
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1943年4月13日スターリング・キャッスル号はニューヨークの岸壁を離れた。
映画監督のジャン・ルノワールと一緒の船で合衆国に渡ってから1000日以上がたっていた。
その間に『戦う操縦士』と『ある人質への手紙』を書いている。
『星の王子様』は、つい先日脱稿し編集者に渡した。
友人たちが大勢死んでいる。連合軍がロンメルを追い払った北アフリカで原隊に復帰しなくては。
この日NYの女友だちシルヴィア・ラインハルトは
パーク・アベニューのマンションでの愉しい想い出とともに
金のブレスレットをプレゼントした。
そこには彼の名前と血液型が刻まれている。
一人になって彼女は
「ピアノの上のふたつのオレンジ」を想い出すだろう。
みんなに受けた彼の冗談あるいは本気の遊び。
オレンジを二つ。
ひとつは黒鍵の端から端へ、もひとつも白鍵の上を優しく転がす・・・・・
ほとんどの耳にはドビュッシーが聴こえた。
1944年7月サルディニア島北西海岸アルゲーロから偵察飛行集団所属第33飛行連隊第2大隊はコルシカ島へ移動。
彼のそのころの写真が沢山残っている。
アメリカ製のゆったりしたバトル・ドレス(戦闘機用操縦服)を着て色褪せたフランス空軍の帽子をかぶった少佐が育ちすぎた天使のように笑っている・・・・。
彼の日常。
《ドレス・ダウン6号よりコルゲートに。滑走・離陸してよろしいか。》
フランス訛のたどたどしい米語で語りかける。
写真にも一杯写っている酸素マスクの付いた飛行帽のなかの受信噐にはこう応えるのが聞こえているだろう。
《OK。6号機滑走離陸してよろしい。》
ロッキードF-5B は、最期の滑走を始める・・・
☆ 世の中には凄い人がいます、サンテックスの乗機が一般に流布している戦闘機 P-38 改 の誤解をとき、正確には写真撮影用に特化された高速偵察機のF-4 / F-5 だとの事実を広めるため 高度な啓蒙ページを作った方がいます 《外形がどんなに似ていようと、P38 は戦闘機であって、サンテックスが乗った偵察機 F4/F5 とは別物です【同じ戦闘機であっても、二式水戦を零戦一一型改と呼ぶ人はいません。まして、F は写真偵察機 (Photoreconnaissance aircraft) を、P は追撃機 (Pursuit aircraft) を表す略号です。写真偵察専用の F5B を P38 と称するのは、航空母艦信濃を指して大和型の巨大戦艦と言い募るようなもの。艦体・船殻の基盤構造は同じでも、両者はまったく異なる艦種に属します(蛇足ながら、赤城は巡洋戦艦,加賀は戦艦として起工され、軍縮条約のため航空母艦に転換・設計変更)】。ふたつを混同するようでは、前線におけるサンテックスの役割や参戦の客観的意味を、理解できているとは言えません。せめてサンテックスファンの方々には正確なことを知っていただきたいと思い、新たにページを起こしました。 》 壮大な内容をもつため まだ F-4 F-5 頁しか読めていませんが、素晴らしいサンテックス研究者である 氏に 深甚なる敬意と感謝を贈ります。