『カフカ/夜の時間』 高橋悠治
ほんとうに久し振りに高橋悠治の新刊が同時に幾冊か書店の棚に列び始めた。
“あの真摯で早熟で老成した思索者”が還ってきた/笑。
これはやっぱり朗報でしょう。
「21世紀の世界」を考えていく上で貴重なヒントを与えてくれるとても重要な思想を紡いでいる人だと思います。
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[以下↓は2002年のオリジナルでつ]。
高橋悠治さんが感染性心内膜症を発病されて 10月から入院・・
これは「お・み・ま・い」です。
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1989年5月30日に出版された『カフカ・夜の時間』は
自分で施したグラシン紙のカバーが 手擦れするほど
持主によって 時々取り出され 眺められてきた。
この本は 悠治さんの 印刷された形の著作としてはおそらく最期のものだ。
その前の本 81年11月にだした『水牛楽団のできるまで』の文章最後尾に
「ピアニスト/作曲家/思索者」はこう書き付けている。
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この本を書いてしまえば、借りはかえしたのだ。
本をつくるのは、もうごめんだ。『水牛通信』をだして、水牛楽団をやっていければ、それでよい。やっていけない分は、ピアノをひくとか、アルバイトで、何とかなるだろう。
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『カフカ/夜の時間』の
あとがき
ことばをかきはじめた時、それによって世界がもっとよくみえるとおもったが、
ことばはただ光であるだけではなかった。
それは曇り空のように、ひとつひとつをあざやかにみせながら、
その全体に影をなげかけるものでもあった。
自分のかいたことばにさまようこともある。
それが別な発見のはじまりとなることもある。
ことばのとどかないあちら側に真実があるとはかぎらない。
かかれてしまえば、ことばは真実ではつくせない意味をもつこともありうるだろう。・・
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『カフカ・・』は津野海太郎によって提案され 平野甲賀をはじめ友人達の手によって作られた。
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パソコンとインターネットの可能性/不可能性
パソコンと音楽の 可能性/不可能性
日本語と音楽の 可能性/不可能性
魂と身体の 可能性/不可能性
生と死の 可能性/不可能性
を考える時
この人の存在を いま私たちは失う訳に行かないのだ。
ゆ・う・じ・さ・ん。
お・み・ま・い・申・し・上・げ・ま・す。
は・や・く・よ・く・な・っ・て・く・だ・さ・い。
「作品はノートの仮の姿」とも言っている。
高橋悠治 の 『可不可 Ⅲ』の
一日も早い 再開を待つ。
『水牛』はここ。↓
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