今から33年前1970年の彌生三月に「エル・ジャポン・アンアン」が発刊されたことは 紛れもなく文化的な事件だった。
あるいは 長いながい革命の始まりだったのかもしれない。
創刊前に「平凡パンチ・女性版」という助走の時期があったから 男の子でも手に取りやすい お洒落な「ファッション誌」だった。
のちの「POPEYE」が 余り男臭くなかったように 先駆型たるこの雑誌からも ‘過剰な女性性’は丁寧に 脱色・脱臭されていた。
この雑誌によって“アート・ディレクション”の可能性と領域を拡大した天才AD 堀内誠一サンには 『アンアン』と『血と薔薇』と童話/絵本の世界が 無理なく矛盾無く 同居していた。
彼は「女子供の世界」とされてきたファッションや 暮し/ライフスタイルに 透明な空気感や独立した明るい空間 そして何よりも「センスに具体的なフォルムを与えた」ように思える。
そして素人っぽさを本当のプロの仕事と同様に重視した。
それらは花森安治の仕事や感覚にも何処か共通するモノだ。
それは要約すると「旧い男社会は既に行き詰まっている」ということに尽きるだろう。
敗戦から 産業と社会が復興するまでの期間に『暮しの手帖』が 大きな働きをしたように 『an・an』は その後に出た 多くのフォロワー/模倣誌を含め 日本の女性と日本人 社会と生き方を
結果的に 大きく変えていった・・・・・
変化した女性と家庭 そこで彼女たちに育てられた子ども達・・・
良いことだけではなかったにしろ・・
その後 大きく変化した日本社会が今ここにある。
その当時はまだ 事の重要性に気づいた人たちは 「おんなこども」を除けば ごく僅かだった・・・
今につづく「ヲンナコドモの革命」はここから始まった・・・
・創刊を憶えている人は 45ポイント以上だろうなぁ(笑)