特輯●敗戰 / 東条英機 山本五十六 北一輝

第二の敗戦をめざして「自衛隊軍」の「砂漠の人道支援」作戦が始まった。

(「人道支援」というのは戦略上の作戦名である)

高級奴婢 富裕下僕ゆえに石油利権を守るつもりの“新関東軍”駐留開始である。

・・・・昭和天皇裕仁いうところの「前の大戦」も石油が発端だった・・・

それにしても満州事変、日中戦争、太平洋戦争への序章序曲となんと似ていることか・・・もと陸上自衛隊北部方面総監 志方俊之元陸将によると「この派遣は10年では済まないかもしれない・・だからこそ最初600人という小規模部隊を送った訳です。長期戦には大量の交代要員が必要ですから」今や民間人の志方は正直である。

アルジャジーラは「日本が戦後50数年の掟を破って初めて海外派兵に踏み切った」と報じている。これがアラブ世界の当然の見解だ。

繰り返される歴史とは「癖のようなモノ」であるのかもしれない。

だからこそ、繰り返す。忘却とともに繰り返してしまう・・・・

無条件降伏による敗戦を「終戦」といって羞じない国民性。

自衛隊は軍隊ではなく援助交際は売春ではないとする風土 文化。

劣悪な大衆娯楽と詐術的言辞に満ちた社会。

半端な自意識を持たされ 鵺のように生きる民衆。 

東条英機山本五十六が同じ1884年生まれであり北一輝が1883年生まれであることを最近になって気づいた。彼らは全く同世代なのだ。

東条英機    1884年12月30日~1948年12月23日

山本五十六   1884年4月4日~1943年4月18日

北一輝     1883年4月3日~1937年8月19日

大東亜戦争はまるで総理大臣兼陸軍大臣東条英機一人が起こし すべての戦争責任は処刑されたA級戦犯たちと共に消滅したかのような言説が闊歩している。

或いは 戦争のことなど考えたくもないと云う非論理的な風潮。

敗戦の原因を深く追究しない精神風土が その後の連合赤軍 在北朝鮮よど号赤軍派

土井タカ子旧社会党一派 オウム真理教 etc.を生んだことは間違いない。

「陰謀好きの陰謀下手」が 僕の日本評価である。

それにしても 二二六事件とその決着の仕方は大東亜戦争/第二次世界大戦への分水嶺であり雛形であったと思う。

最近になってNHKアーカイブズとして再放送された「二二六事件の傍聴音盤」のドキュメントでは新たな解説が付けられた。

それは驚くべき内容の「解説」だった。

北一輝の電話による反乱軍将校との会話は 捏造された偽物であったという事実が 始めて明らかにされたのだ。

それは当然 北の死刑が冤罪であったことを意味する。

随分昔、放送された番組を見て「マルは必要ないか マルだよ、マル(資金のことを指している)。」と話す声を聴いて 北一輝が意外なほど下品な人物に思った記憶が今も鮮明にある。

あれがでっちあげの証拠だったのだ。

今の九段会館 当時の軍人会館に反乱鎮圧と電話局への傍聴録音システム敷設の為の本部が置かれ、警視庁と逓信省の技術者も荷担した陰謀が行われた。

犯罪そのものでありながら戦後も全く追究されなかった 北一輝西田税への軍事裁判を利用した謀殺。

東京湾内に集結し砲の照準を都心部に向けていた海軍戦艦。

陛下の陸海二軍で争いたくない一点張りの腰抜けの大将達。

統帥権を発揮して事件の処理にあたった大元帥としての裕仁の実権の掌握と集中の有り様から見て 彼がその頃も軍の傀儡や飾り物であった事実はないだろう。

北一輝が陰謀によって死刑になっていなければ、あの戦争は違った形になっていった可能性すら有る・・・

昭和天皇は 仮に戦勝国に対しては戦争責任が無かったとしても 国民と軍を敗戦に導いた重大な責任が「国内的」にあった筈だ。

戦後の欺瞞は そこに始まった。

私たちは腐った時代を生き続けるだろう。