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「いい加減な 偏狭さ」というコト。

日本人の特性のひとつに「いい加減でありながら、偏狭であること」があるだろう。

ハリー・ハルトゥーニアン『歴史と記憶の抗争 「戦後日本」の現在』

カツヒコ・マリアノ・エンドウ訳で読みながら 

   ふっと 気がついた。

面白いことに 日本思想史を学んできた ハリー・ハルトゥーニアン も 

この一冊で読む限り かなり狭量な面をかくさない 

どちらかといえば 

抑制の持続しない ややヒステリックな人物のように思われる/笑。

そして それ以上に

考えさせられるのは

新聞とTVが その「いい加減な 偏狭さ」に いまでも磨きをかけつづけている 。。。

 永年にわたり【いい加減な 偏狭さ】の上に 繁殖してきた蘚苔類こそが 

         「嫉妬」する心である。

この国の メディアは 嫉妬を煽る力・感情を 主力商品としてきたし

いまでも そうだ。 

彼ら 新聞記者 週刊誌 TV関係者は 嫉妬心を正義と呼び

嫉妬を煽り「ねたみ、そねみ、ひがみ」に煽動するスキルを 

あのひとたちは報道の道で力だと思っている。

だから彼らはそれを けっして恥じない。

それにしても『金賢姫・元死刑囚』という奇妙な呼び方に朝日新聞はじめ

たとえば言葉にうるさいはずのNHKの内部で 批判や抵抗はないのだろうか。

三浦和義元社長」も曖昧でひどかったが 肩書きらしき「元死刑囚」は いい加減すぎる。

なぜ「金賢姫さん」と 呼ばない。呼べない。

          ・

自分を例外としないよう 自戒の意味もこめて 書いておきたい。