いまも続く敗戦と占領 。。 薩長閥の「天皇制度」利用および闇黒支配を沈思 凝望する。

無条件降伏という 文句なしの土下座敗戦 総力戦における全面敗北を

 タメ口のような/笑。 終戦と言い換える

 軍事占領された

国家主権なき 時代と焦土に生まれた 一二〇〇万人もの※ オキュパイドチルドレン

   占領下に誕生した 多くのおおくの ホントに多数の子どもたち を

   有耶無耶にするため 団塊の世代と矮小化して 誤魔化す

   狡猾で暗愚きわまる 国(らしき存在)と国民性 

       薩摩や長州に代表される

        土民の島 土民の国

わたしたちは 敗戦後の六十八年だけでなく 

もっと ずっと長く 明治以来 百五〇年間にわたって 騙され欺かれてきたのだ

    ★   ★   ★ 

怜悧なひとには よく理解できることだが

  天皇

  あるいは

  皇室 にとって 

もっとも重要な国事行為は

  性交 性行為である

それは 万世一系の皇統を誇り 

それを 権力構造と支配権の根幹に据えている以上

どのような 形骸化し怪しげで胡乱な 祭儀より 

   国事行為としてのFUCK

   宮中祭祀としてのCOITUS

虚構を維持する組織に最重要な 交尾および妊娠

 性のしとね 閨房活動こそ もっとも優先する

  それは きわめて 論理的な帰結だ

        最重要な国事行為としての 性行為

  なんと幸せな 媾合 交接 交尾 だろう

          ・  ・  ・

念のため 申し添えると 

明治天皇 睦仁 も 大正天皇 嘉仁 も

 いわゆる 側室の子

俗にいうところの妾腹 

いわば 認知された二号三号の子 である

  ところで

ぼくは 

よくある 天皇制度廃止論者 なんかではない

       ただ 

薩長土肥の攘夷倒幕派軍閥による

武力による権力奪取(明治維新)以来

薩長同盟による

  国家掌握と天皇利用 

つまり 

擬制としての現人神 強制された虚像崇拝

欧州への憬れ 模倣そのものとしての 王室ならびに貴族制度

 権威主義と 

 民の目を眩ます 勿体ぶったこけおどし装置としての 天皇と皇統 皇族の存在

  不在の神秘 非在する天帝 宮中

 明治から

戦前 戦中は「軍国主義的」天皇利用制度

 

戦後は「民主主義的」天皇利用制度

  薩長閥による傀儡制度開始から まもなく一五〇年になる

  一五〇年といえば 支配がすでに五世代にわたることになる

  具体的には

伊藤博文 大久保利通の時代から 牧野伸顕 吉田茂を経て 麻生太郎 

井上馨から 桂太郎 鮎川義介を介して 岸信介 佐藤栄作 安部晋三に至る

後藤象二郎と結ぶ 政商 三菱 岩崎弥之助 岩崎小弥太 による閨閥化 

安倍晋三は 岩崎小弥太学校 成蹊三菱の直系卑属

  怖ろしく巧妙 狡猾な装置/システムを 

より 詳しく できるかぎり 精確に 

情緒的ではなく 冷静に考えたい だけだ

考えてみるがいい 

官僚制度というのは 天皇を「主権」者とする 国家運営システムである

その「主人/オーナー経営者」が 敗戦 無条件降伏によって 

側近の軍人とともに 退陣した 

見張る者がいない長州官僚を 制御するものは もはや何もない

閨房活動 政略結婚を介して身内となった 財閥 

隷属するかぎり縁戚関係にちかい亜米利加と諜報機関 

    それ以外に

 官僚および財閥を制御する ものはすでに何もない 

もちろん 新聞TV 広告 は直轄の子分であり 大学人も手下である

国民の大多数は 新聞を読み TVを見て 嘘とブラックプロパガンダを鵜呑みする 

    日々コントロールを待っている 救いがたい老若男女 良民と良兵予備軍

小学校以来の 徹底した洗脳教育に 何の疑問ももたず

      日本は公平で 民主的で 平等な 正しい国だと 思い込んでいる

   これほど 権力者 為政者 既得権益の利益を享受する層に 楽なことはない

       成功しすぎるほど 奏功した 戦後の一貫した圧倒的な愚民化政策 

      卓越した高等教育を受けたと 盲信してやまない 蒙昧な学歴愚民の群れ

          愚民と悪人しか いない国が いまの この日本だ

                 ☆   ☆   ☆

 《 プーセ・ニャーセ儀礼は二〇世紀初頭以来、メーヒヤの村びとが組織運営するものとなり、さらに一九三九年以後

  はチェンマイ王家の消滅とともに王室儀礼としての性格を完全に失った。その後一九六〇年代に入り、しだいに近

  隣の村びとや都市住民の参加が多くなり、一九八〇年代にはそれは数百人の見物人を集める巨大な祭礼となるにいた

  った。このような儀礼の変化は明らかに都市住民を含む外部の人びとの参加によるものであり、さらに雨乞い祈願を

  中心とするコミュニティ儀礼であり、かつ王室儀礼であったものが、都市近郊の個人の信仰対象あるいは見物の対象

  に変化したことを示唆している。この変化の一つは儀礼の重要な部分を構成する精霊憑依に関係している。

   すでに儀礼過程の分析で示したように、霊媒の憑依は供儀と同じように、外部の多義的な力を守護的な力に転換す

  る儀礼的行為であり、儀礼の重要な場面を占めている。憑依した霊媒の口をとおして語られる精霊の託宣は、人びとが

  したがうべき道徳的指針、天候や豊凶の占い、病魔・災厄の祓いであり、かつて王が主催者であった時代には彼の政

  治的判断への助言も含まれていた。また霊媒の口から語られる託宣は儀礼の細則事項にかんするものも多く、とくに

  犠牲獣やその他の供物についての細やかな規則はこれまでの代々の霊媒によってあたえられ、また変更されてきた。

  儀礼に登場する精霊の名前や性格さえも、霊媒の託宣によって新たに発明されたり変更されたりすることがみられる。

  たとえば、プーセとニャーセの娘とされるメー・カムキヨは二〇世紀初頭、一人の霊媒によって命名されたといわれる。

   また霊媒のパフォーマンスについてのもっとも大きな変化は、一九五〇年代後半にこの儀礼の霊媒となった一人の

  男性の異性装者によってひきおこされた。スイギュウの血を飲み、生肉を食らう精霊のパフォーマンスは一九六〇年

  代に彼によってはじめて導入され、それ以後この慣行はプーセ・ニャーセ儀礼の最大の呼び物として北タイの人びと

  にひろく知れわたることとなった。》

 《 伝統的な霊媒を中心とする親族や村コミュニティの守護霊儀礼が衰退し、新しい職業的霊媒が各地で勃興するなか

  で、プーセ・ニャーセ儀礼は大きな変化をとげる。儀礼に集まる多くの人びと、とくに外部からやってくる人びとに

  とっては、従来の王権と仏教的道徳にかかわる言説はたんなるエピソード以上のものではなく、霊媒たちのパフォー

  マンスと彼らがあたえる託宣のメッセージこそが儀礼の焦点である。憑依された霊媒たちの常軌を逸した行動への関

  心が高まり、個人にあたえられる託宣が参集者にとって重要な意味をもつようになるにつれ、儀礼は村びとの伝統的

  儀礼である以上に外部からの参集者のためのものとなってくる。》

           田辺繁治『精霊の人類学:北タイにおける共同性のポリティクス』 

       [第一部 伝統社会の基層としての精霊 第2章 供儀と佛教 

              4儀礼の変貌 王室儀礼から個人の誓願儀礼へ]より

 タイの精霊と儀礼の関係のほうがよほど健全に思える。宮内庁がなぜ圧倒的な秘密主義を採るかといえば

 誰でも真似できる無内容さこそが皇室儀礼の内実だからだ。明治初期に捏造され 隠蔽され続けた隠微な神秘主義

 権威のための権威主義 秘密主義 現実にある天皇制度の内実は 精液の匂いがするだけの贋造された虚構だ

 様々な軋轢をもたらしたあの宮内庁長官 羽毛田信吾こそ 空疎な権威を強要恫喝する長州官僚のひとつの典型であった

                       ★

無条件降伏したあと 

大日本帝国陸海軍大元帥たる 昭和天皇裕仁には 退位する「義務」があった

   王とは 天皇とは 皇帝とは 酋長とは 霊媒であり シャーマンである

 戦に負けた 不吉な 災厄を招いた 贋のシャーマン 禍殃の憑代は 生きる価値がない 

       それは 古代からの 鉄則 

        人類史的お約束だ

       敗戦 無条件降伏という

   国民と国家にとっての 最大不吉を祓うため

     生け贄として 犠牲獣として  

  屠れ 吊せ 断頭台に送れ とまでは言わないが

 

  退位し 京都に帰り 嘘で固めた国家神道を離れ 仏門に帰依すべきだった

      そして 今

 敗戦時 一九四五年 八月の焦土より ひどい状況に わたしたちは立っている

        フクシマ TPP  狂気の薩長同盟=安倍麻生

             財閥 官閥 CIA  

わたしたちには 明治からの猿芝居 この一五〇年を相対化する 必要がある

 たとえば 

黒沢文貴大戦間期の宮中と政治家』を読むだけでも

宮中某重大事件」を取り巻く薩長を中心とした有象無象の 滑稽なまでに深刻な右往左往。。。

操縦しやすかった 明治天皇没後 

大正天皇 摂政皇太子 どれほど長州と薩摩の軍人・政治家が大きく関与干渉していたか 理解できる

  明治 大正 昭和 平成天皇に いたるまで

 いわば 都合良く神秘化 神格化された 巨大な広告塔なのだ

 逆に やり過ぎて 昭和天皇に疎んじられた

山口県萩に生まれた陸軍大将 男爵 陸軍大臣内務大臣外務大臣 内閣総理大臣 田中義一を見よ

満州某重大事件」(張作霖爆殺事件)のまったく不明朗な推移

田中の「良兵 即 良民」思想は いかにも 安倍晋三 麻生太郎 好みであるから

      復活しても 不思議ではない 「良民による良兵制度」

      晋三太郎の 野面皮 野放図 嵩高さ 無恥 低知能なら 

 それを国民皆兵によるホントのシビリアンコントロール とでも呼びかねない/笑。

   いまも続く 封建領主そのものの 薩長体制を打ち破るために

       明治からの一五〇年だけでなく

慶長八年以降の 四〇〇年間を再検討しなくてはならないだろう

      「薩長封建体制」なんて そんな大袈裟な!!

そういう人もいるだろうから 具体例をあげよう 

     戊辰戦争で薩摩長州藩側に敗れた 「朝敵」側と 原発立地の共通性 

 これは薩長による報復措置として敗戦を挟んで一〇〇年以上も冷や飯を食わされた結果

 さしたる産業も興せず 過疎化 困窮地帯として 取り残され

       揚げ句の果て

 原発/原爆発電設置を受け入れざるをえなかった ことの証左でしかない

会津藩の フクシマ第一第二は その典型であり

もう一つの 典型は 核再処理施設が集中する 下北半島 六ヶ所村

下北半島は旧 南部藩であり 

六ヶ所村会津から移封された旧 斗南藩の地である

 一五〇年後も続けられている 朝敵への陰湿きわまる差別 

 それでも

いまも続く 「二一世紀薩長封建体制」が 幻想だと云うのか 。。。。

             ★   ★   ★

山本武利 編訳 高杉忠明 訳『延安リポート:アメリカ戦時情報局の対日軍事工作』から引用したい

 「延安リポート 第一〇号 日本共産党の計画一一岡野進の見解 

                           一九四四年九月八日の岡野進の説明」

《 4 しかし当面の間、天皇制の廃止は行わない。

  我々は、日本人民が天皇制を完全に廃止する覚悟ができ

 ているとは考えない。時節の到来を待ち、その時が着たと

 確信したとき、我々は決定的な行動を提案することで当面

 は満足している。我々は、むしろ宣伝工作のなかで天皇

 性格とそのあり方を議論してゆく。我々は天皇制のあり方 

 を説明し、問題提起を行うが直接的な攻撃はいかなるもの

 でも行わない。我々は「天皇制打倒」のようなスローガン

 は使用しない。

  我々や連合国天皇を利用することは、どのような試み

 であれ、危険なことだと考える。我々の利益に反する活動

 を行う団体に利用されかねないケースもありうるだろう。

 天皇をイギリス国王と同じやり方で扱うことは容易ではな

 いと銘記しておくことは重要である。天皇制の将来に関す

 る全体的問題は、当面の間、そっとしておいた方が賢明で

 ある。》

 「延安リポート 第一九号 日本の天皇に対する連合国の政策

                   一一岡野進へのインタビュー 」 

《 中国、延安にて 日本共産党代表、岡野進とのインタビュー

  日本共産党は結党時から天皇制反対を宣言していた。一

 九三二年、コミンテルンにて発行された「テーゼ」におい

 て共産党の目的の一つが天皇制の廃止であることが宣言さ

 れた。岡野氏はこのテーゼに署名しているが、天皇を攻撃

 する声明は現在出すべきではないと考えている。また、日

 本降伏時に現天皇を廃止する行動を急いでとることは必要

 ではない。しかしながら、戦後、天皇家が存続したとして

 も、裕仁の政治参加を許すべきではないと考えている。

  岡野氏は、天皇に関する論議では、天皇制と日本の皇室

 とは区別すべきであり、また、皇室と現天皇裕仁とは区

 別すべきであると考えている。

  今日のような天皇制が存続する限り、民主主義は日本で

 は発達しない。権力は人民の代表機関である国会になけれ

 ばならないのに、天皇にある。そのため天皇は権力集団に

 よる支配を許している。緊急かつ根本的にこれを変化させ

 ることが必要である。

  岡野氏によれば、日本にとって理想的な政府は原則的に 

 はアメリカ合衆国政府の仕組みに似たものであり、皇室を

 なくしたものである。しかしながら、日本人が皇室に対し

 て持っている宗教的崇拝は考慮されるべきであり、もし国

 民の大部分が天皇家の存続を望むのであれば、儀式的なロ

 ボットのような機関として存続してもいいかもしれない。

  しかしながら、現天皇は皇室とは異なった観点で見なけ

 ればならないと岡野氏は指摘する。天皇の勅語によって、

 彼はイギリス、アメリカとの戦争を許可した。それゆえ、

 彼の責任はまぬがれない。日本にとって状況が危険になる

 につれて、軍部は詔勅に頻繁に頼るようになった。最近、

 県知事会議に天皇が臨席したことは前代未聞のできごとで

 ある。軍部は戦争支持にむけて国民を団結するには、天皇

 という君主に対して権威と威光を持たせる必要があると認

 識している。

  岡野氏の意見としては、戦争機関と天皇とが常に一体で

 あるような最近の動きは、戦後の裕仁の君主としての地位

 の存続をきわめて難しくしている。もし必要であれば、息

 子に譲って現皇帝が退位するというイタリアの例に倣うの

 がよいかもしれない。

  負け戦が続くにつれ、天皇に責任があるとの確信が日本

 人の心の中に育ってゆくかもしれない。国民を更に戦争に

 駆り立てるための宣伝の道具としての彼の役割はすでに失

 墜したといってよいだろう。

  敗戦必至という状況のもと、日本国民の気持ちの変化を、

 細心の注意と関心をもって注視することが我々の責任であ

 る。天皇に対する我々の方針を決定する際、国民感情を十

 分に利用する必要があるかもしれない。降伏の際に最大の

 利益を敏速に獲得し、また同時に戦後の悲惨な政治的結末

 を避けるためには、方策を考える必要がある。

               ジョン・K・エマーソン

    延安

    一九四四年一二月四日      》

 一九四四年の段階で日共と云うよりむしろ日本を代表した岡野進こと野坂参三と 

アメリカ軍事情報局 OWI に属し 日米関係に大きな影響力を持った外交官/国務省キャリア ジョン・K・エマーソン

そして 中国共産党の三者間で 

日本敗戦後「天皇制度再利用」の見取り図/グランドデザインが 

ほとんど完成していたことに 改めて注目しよう

敗戦 占領下の天皇利用をアメリカに具申した 野坂参三もまた

 権力に異常なほどの執着を見せる 長州人である

       あるいは 

日本共産党の戦中戦後を牛耳ってきた 主要な指導幹部

野坂参三 宮本顕治 志賀義雄 (あるいは戦中獄死した市川正一も)

  赤い長州人 山口県人であるのは  単なる偶然なのか、、、、

  人口的には 日本全体の約九〇分の一に 過ぎないはずなのに

       あるいは フクシマの犯罪者 長州人総理大臣としての 菅直人も 含め 

熟考を要す テーマだ

肥後の細川護熙  大分の村山富市 

少しばかりの

リベラルっぽさを売りにする 非・自民党政権が 九州あたりから出る度に

  その後 

その前の自民党政権よりさらに グッと右傾化軍国主義化するのは どうしてだろう

   地下の薩長同盟

   アメリカと内通した

山口と九州による 新しい「売国闇黒同盟」の存在を 

    ぼくは 意識せざるを得ない

 悪擦れして魯鈍な老人たちよ 知らない振りする 狡い小父さん小母さんたちよ 

            無知の知もない若者たちよ

              臆病な子どもたちよ

  一五〇年も騙されてきて 悔しくないのか 。。。。

   ☆☆☆  以下は資料として 《 aki’s STOCKTAKING 》より 

珠洲原発(関電・中電・北陸電)=石川県・加賀藩加賀藩主・前田慶寧(よしやす)は薩長迎撃のために進軍していたが、徳川方敗走の報に、あわててて、進軍兵を呼び戻し、朝廷方に尽くすと表明した。反・薩長。その後寝返り派。

●島根原発中国電力)=松江藩戊辰戦争の時に幕府側についていた。朝敵藩。

福島原発東京電力)=会津藩。言わずと知れた幕府側最大の親藩

伊方原発四国電力)=愛媛(今治藩)。親藩松平家の城下町。鳥羽伏見の戦役にも幕府軍として出兵した。

●福井原発敦賀原発関西電力)=福井藩。徳川一門であり、幕府側の主力藩。

浜岡原発(中部電力)静岡県。駿河藩(静岡藩)。幕府側。

●柏崎・刈羽東京電力)=新潟・新発田藩長岡藩。奥羽越・諸藩同盟を結成した幕府側の盟主藩。

女川原発東北電力)=宮城県・仙台藩。12代将軍家慶から一字を賜った第13代仙台藩主慶邦は東北最大の幕府支援の雄藩の藩主。奥羽越列藩同盟の総督。

 以上のように、原発が立地する地域は押しなべて明治維新の「反・薩長藩」。

 青森県に至ってはこれが露骨。原燃・核再処理施設計画が集中する下北半島は旧南部藩奥羽越列藩同盟。一方、いちはやく新政府に恭順の意を示した津軽藩(青森・津軽地方)に原発のゲの字もない。日本は今にいたるも「明治維新」を引きずっているという証左。

 最後まで薩長に抵抗した南部藩会津からの移封藩「斗南藩」を抱える下北はいまだに「薩長明治新政府」から見下されているといえる。

東海村にある東海第二発電所は水戸、もちろん賊である。とにかく、九州・四国・北海道以外……本州の原発は、そういうことなのだ。

               一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一

  

★★★ 第一次近衛内閣 初代厚生大臣 木戸幸一(もち長州閥)以来 厚生省は長州官僚の巣窟であり

 九州には 大学医学部が戦前から多く 

 逆に福島県は 戦時中の医師不足を補うため 一九四四年に開設された

 福島女子医専福島県立医科大学の前身)まで 公的医学教育がなかった。。。 事実も蛇足しておきます

                   ★

 靖国神社/招魂社とは 戊辰戦争終結後 長州人・大村益次郎が見せかけだけでも日本を死者によって

 統合しようとした ある種のアミューズメントパーク

 いわば屍者を人質にした「国家幻想発生装置」であった。

 その後の 

 西南戦争 日清戦争 日露戦争 満州事変からの十五年戦争 。。。。

 兵の屍体が増える毎に 遺族年金 軍人恩給を飴として

 庶民の国家意識に食い込んでいったことは ご承知の通り

 靖国神社こそ 薩長支配による 国家主義幻想発生装置であり

 戦争犠牲者  愛国ゾンビ発生装置なのだ

       フクシマ と ヤスクニは 戊辰戦争を介して 直結 通底している

靖国神社こそ 戦争を期待する ゼロ戦三菱重工業 三菱商事 三菱東京UFJ銀行などを含めた 

    戦争一筋 薩摩と長州および土佐一派の 冥土すら売買する鵺の総本山なのだ

         愚かな人類の発展幻想は 墓所霊園にまで及ぶ 

            戦争が起こり 戦死者がでるたびに

         靖国は 死の遊技場としての 現実感 現役性を取り戻し

     

              文字通り 巨大化してきた

   贋物でありながら 本家本物を自称する 靖国は これからも 戦死者名簿だけ祀る

            英霊の園を名乗る 巨大なお化け屋敷だ

         人心を収斂するための 新しいゾンビシステム 広大な娯楽施設

             ヤスクニは 今も戦争を待っている

          戦争を待つ 戦争屋の伏魔殿 血塗られた白鳩

             国家は常に愚民を必要としてきた

          国家・財閥は さらなる犠牲を 必要とする

                   が

      

             戦死した兵は ここには いない

         ぼくは 靖国を 薩長のための 三菱戦争神社と呼ぶ

      明治期から昭和期まで 薩長 三菱は 軍国主義と戦争利益のために「天皇」を活用

      いまも 薩長および財閥は 国家主義維持のために「天皇制度」を利用する

        

※ 占領下に生まれた子どもたちの数を やや控えめに1200万人としておいたが 

  1945年8月14日の ポツダム宣言受諾 あるいは9月2日の降伏文書調印から

  サンフランシスコ講和条約が発効して主権回復する1952年4月28日まで

  6年と8ヶ月の間 月にして80ヶ月間 45年と52年を三分の一とした

  ざっとした積算でも1500万人以上の子どもが出生している勘定になる。

  なお 通産官僚 池口小太郎/堺屋太一が名付けたとされる「団塊の世代」なる語は

  占領の事実を隠し1945年46年と47年48年49年、50年51年52年を分断するための 

  いかにも官僚らしい不都合な事実を隠蔽する「悪知恵」に満ちた政治的差別用語だから

  より正確な実態を反映した言葉として「占領下の子どもたち」の使用をお奨めする。