何年前の夏だっただろう
パティ・スミスの二枚組Best『LAND』 を 頻繁に聴いていたのは
Dancing Barefoot
Rock 'N' Roll Nigger
Gloria が とても気分だった
夏の初めの乾いた神経にぴったり来るリズムと音
いらついた声も その季節には 妙に吻合した
「遠慮のない 苛立ち」
パティ・スミスの良さは 少なくともぼくにとって それだ
ジャニス・ジョプリンが解放した あの放埒放恣奔放な感情の氾濫
流出する情念
熱情のフルスロットル
コントロールされた暴走:意識表出 深部情操の表顕
パティ・スミスは
パールのモンスター ドラッグレーサーを さらにパンク型に改造し
神経のフラットアウト 中枢神経系を剥きだしにすることを 厭わなかった
感情とともに 赤裸になった神経
それは
二〇世紀後半に起きた
女性発の最重要な革命 意識革命だった(もちろん男にとっても)
が その革命性と重要性に当時気づいたひとはそう多くない
パールとパティ この つよく大きくふかく鋭く叫んだ ふたりの意識革命家 は
ボブ・ディラン ジョン・レノン ジミ・ヘンドリクスに比肩 匹敵する
六〇年代と七〇年代最強のロックン ソウル姉妹だ
・ ・ ・
《 ニューヨークは暑かったが、私は未だにレインコートを羽織っていた。中途半端な学歴
と、ひと夏だけ工場でアルバイトしたということだけは書いた履歴書と、糊が完璧にか
かったウェイトレスの制服を持って、仕事を探すためにストリートを縦横に歩き廻ってい
た私に、レインコートは自信を与えてくれたのだ。タイムズ・スクエアにあった小さなイ
タリアン・レストラン「ジョーの店」で働き口を見つけたが、最初の日、働き始めてたっ
た三時間で、パルマ風仔牛のカツレツを乗せたトレーを客のツイードのスーツにひっくり
返してしまった。私は首になった。二度とウェイトレスはやらないと、きれいなままのユ
ニフォームと靴を公衆トイレに置き去りにした。母が私のためを思って揃えてくれた白い
ユニフォームと靴は、萎れたユリの花のように、白い洗面台に見捨てられた。
セント・マークス・プレイスをフラフラとした。濃厚なサイケデリックの雰囲気に囲ま
れながらも、彼らが唱える革命/レボリューションへの心構えはまだできずにいた。そこには落ち着きのな
い、偏執病的な空気が漠然と漂っていた。街は秘密めいた流言にざわつき、レボリュー
ションを予言するような言葉も聞こえてきた。それを理解しようと、私はその場に座って
眺めてみた。夢のような非現実的な記憶が残っているのは、もくもくとしたマリファナの
煙の中にいたからだろう。私は、今まで気づきもしなかったカルチャーの意識という網の
中をもがいていた。
その頃の私は、本の世界の中に生きていた。多くは十九世紀に書かれたものだった。仕
事が見つかるまでは、ベンチや地下鉄、墓地で寝る覚悟はできていたものの、絶え間ない
空腹に悩まされる覚悟はできていなかった。私は痩せっぽちなのに、新陳代謝が良く、食
欲が強かった。ロマンは空腹を満たしてくれるわけではない。ボードレールの手紙には、
食と仕事がないという不満がしばしば書かれている。彼だって食べていかねばならなかっ
たのだ。
とにかく仕事を得なければ。ブレンターノ書店のアップタウン支店のレジ係として雇
われたとき、ようやく胸を撫で下ろした。欲を言えば、エキゾティック・ジュエリーやク
ラフトを販売している売り場のレジを担当するよりも、ポエトリー・コーナーに配属され
たかったが、遠い国からやってきた装身具を眺めることも悪くはなかった。ベルベル族の
ブレスレットや、アフガニスタンの貝の首飾り、貴金属が埋め込まれた仏像のミニチュ
ア。なかでも、私のお気に入りは、ペルシャ製のシンプルなネックレスだった。それは、
どっしりとした質量感のある黒と銀の糸で結ばれ、七宝が施された二つのメタルプレート
からできており、まるで古いスカプラリオのようだった。値段は十八ドル。私には手が出
ない品物だった。書店にあまり客がいないとき、私はケースからそのネックレスを取り出
し、紫がかった表面に刻まれた文字をなぞり、このネックレスの由来を想像したりした。》
二月から少しずつ読み いま差しかかっている章 「Just Kids」 からの引用
パティ・スミス『ジャスト・キッズ』にむらじゅんこ 小林 薫 訳 より
・ ・ ・
それはブレンターノ書店ならぬ MARUZEN 地下の建築書売り場に ひっそりトあった
ミース・ファンデル・ローエのファンズワース邸を表紙にした やや大きな写真集
(去る三月 瞑目した二川幸夫氏の『GA』シリーズ「ファンズワース邸」より一回り小さくも 厚い)
『MIES VAN DER ROHE / PHOTOGRAPHS BY YOSHIHIKO UEDA』鹿島出版会から出たばかりだった
シュリンクラップされ 裏には 若いノンブルが別紙に打たれ 添付していた
発行部数は知りたかったが「開けないでいい」と言った
図書館にリクエストしたそれが 先週 届いた
手許に置いて眺めるうちに 上田義彦の他の写真集を探す気になった
きわめて割安感のある一冊を 古書店に注文する
『 In To The Silent Land YOSHIHIKO UEDA 』京都書院 1991年
きのう届いたそれは 分厚く瀟洒で繊細で図太く病的で磊落な ぼく好みの造本の書籍だった
限定千部 定価二八〇〇〇円
貼り込み図版を存分に用いた贅沢きわまる本 (京都書院が潰れるのも無理ない)
最終頁は もちろん貼り込みで ロバート・メープルソープのポートレート だった
例外的に連続する二頁に二枚貼られたボブの肖像写真 上田の少なからぬメープルソープへの敬意を視た
そうか 。。。
「僕はボブだ」メープルソープは 名乗り合ったときそうパティに云ったと『ジャスト・キッズ』にある
《「ボブ……」私はつぶやいて、彼の顔を初めてまじまじと見つめた。「どういうわけか、
私にはあなたがボブという感じがしないわ。ロバートと呼んでもかまわないかしら?」 》
☆
いまでは 人類の最終住宅のようにも見える 簡潔きわまるファンズワース邸
(P・ジョンソン の自邸は洗練されているけれど 敷地構成が贅沢すぎる/笑。)
あのデル・ローエの徹底したストイシズム 石壁のカレイドスコープ
バルセロナ・パヴィリオンの 生命を持った廃墟性
人間を必要としない 乳と蜜の流れる地に建つ 超住居
まるで
「創造の時からすでに屠られていた 直線の子羊」として そこにある
この惑星を 大海と大地を 水と植物と鉱物と昆虫に返したくなる 光景
一〇年ぶりに『LAND』を流しながら
(いまパティは「ホーリーホーリー」と ギンズバーグの「HOHL / 吠える」を歌っている)
『In To The Silent Land』には 晩年に近いアレンの肖像写真もあった、、、
もう正気と狂気の区別すら 要らないような 四月の雨の朝
すべてが つながっている
想起されている
交感の 再誕の 回心の 透明な装置
ぼんやりと 虚無と真空に満ちた 宇宙の洗濯機を廻す
ああ いい気分
アレン・ギンズバーグの朗読が 入った クロノスカルテット『Howl , U.S.A. 』を 聴こう
卓上に銀河を据える コンパクトで豪奢な迷宮遊びは 終わりか始まりか 。。。。
まるで P・K・ディックの日々だ