Peoples of Japanese Descent / ニッケイの人たちに二ホンを教わる。

二か月ほどかけ『日系人とグローバリゼーション / 北米、南米、日本』を読み終えた。

いろいろな意味と次元で唸るような内容を持った本だったが、詳細を語ることはぼくの任ではない。

読んでいて目の醒める想いがしたことも一度や二度ではなかったが、それもここでは省く。

眼に張り付いていたウロコが何枚も剥がれる思いがした「これ」だけは紹介したい。

「、、、沖縄県政府自体は海外の沖縄県出身者のネットワークを促進することに非常に積極的であるだけでなく、海外の沖縄県出身者と故郷沖縄県との直接的なアイデンティティの育成にも大変熱心である。」レイン・リョウ・ヒラバヤシ / アケミ・キクムラ=ヤノ / ジェイムズ・A・ヒラバヤシ(島田法子訳)[第20章 回顧と展望]より

この「県政府」という言葉にぼくは本当に虚を衝かれる思いがした。

私たちは広域地方行政体を「政府」とは認識してこなかった。

だから、都とか県とかを地方自治体という曖昧な概念で受け止め

まるで国家の下部機構・下請け機関のようにしか考えてこなかったのだ。

だからこそ県庁だの都庁だの市役所あるいは区役所、村役場、町役場と呼び習わしてきたのだ。

それは明らかに明治以来の「大日本帝國」を引きずった陋習である。

県も都も市も町も村も区も独立した「地方政府」なのだ。

そう考えたら今のような知事や市町村長の選び方をするだろうか。

独立していなければ自治体ではない。

わたしたちは、いや、ぼくはそれをこの本とニッケイ人という生き方から学んだ。

欺されやすい日本人のひとりとして本当に大切な「感覚」を教わった思いがする。