ママンが死んだのはもう30年以上まえだが、けふMAKOTO が死んだのを聞いた。
愕いた。ほんとうに久しぶりに吃驚した。
OE と別れアメリカ人のガールフレンドと暮らしているのは風の便りではなく、何年か前の彼から家人への電話で知ってはいた、、
その彼が、三年も前にアメリカで客死していたという。
、、、、、、、 言葉もない。
饒舌な風を装うのが巧みな僕が「絶句」する。
まことちゃんは60年代終わりから70年代のこの国で一番スイングし、ヒップでロールしている最初のピュアなRock-Photographerだった。
出会った頃のMAKOは外苑前の古風で小振りなイカシた長屋風アパートに住んでいた。
部屋の外にはロングボードが置いてあった。
古い旧いかろうじて音の出るスピーカー付プレイヤーでジャニスやウェス・モンゴメリーを聴いていた。
長躯でハンサムなのにはにかみ屋で誰にも優しかった。
不器用なほど優しく、本質的に他人に親切だった。
嗚呼、ああ。
ほんとうに本当に絶句する
きみが想い出のヒトになるなんて。。。