1989年の春にでた『SUPER CG』創刊号には少し地味だが目を惹く記事があった。
それは小林彰太郎氏の書いた「天皇御料車の歴史」とともに掲載された増田忠氏による「天皇御料車 国産第一号 ニッサン プリンス ロイヤル」という記事だった。
《設計開発のエピソード 》1、2として二回に分けて掲載されたこの文章と写真は日産プリンスの当事者による(氏は開発当時プリンス自動車工業車両設計部次長)たいへん貴重な証言である。
いま改めて頁を捲って、あまりにも面白いので「納車の日」という章からこんな所を引用する誘惑に勝てない。まるで上品で上等な落語である。
《 すっかり仕上った第一号車納入の日は、石橋会長と永年お世話になったプリンス自販の外山保専務が自工自販のスタッフを連れて宮内庁にご挨拶に行かれた.有名な入江相政侍従(後に侍従長になられた)が応対してくださった.
「これは,すべて御社でつくられたのですか?」とか,「スタイルは御社で?」とか,「御社でエンジンも?」とか,しきりにオンシャといわれるのがとても気になった(恩赦のように聞こえた).いまでは営業マンが日常使っているが当時は珍しかった.
皇居内で記念撮影を済ませ,滞りなく納車できた.馬車課からお礼に恩賜の(?)清酒三本を頂戴して荻窪へ帰ってきたが,このお酒はどうしようもないので,日頃側面から協力を惜しまれなかった村山工場へ届けることにした.
工場では従業員大食堂の大釜に三本とも注ぎこんで,勤務時間内にもかかわらず午食時,全員文字通り微醺の(びくん)の恩恵に浴することができた(快活な一課長のアイデアだった由). 》
その最初の納車から三十八年がたち日産では「ご使用をやめて欲しい」と宮内庁に進言したとの報道もある。
(後継車両はトヨタ製センチュリー・ロイヤルの由)
7台(+試作車1台)だけ造られたニッサン プリンス・ロイヤルはおそらく最後の公式な仕事にこの11月15日就く。紀宮/清子さんと黒田慶樹氏の結婚式に際し、皇居と帝国ホテルの間を走るからだ。
考えてみれば1969年生まれの紀宮と67年から72年まで製造納入されたニッサン プリンス・ロイヤルはまったくの同世代である。
これは娘と愛車家の婿、そして日産に贈る「元プリンス」からのはなむけの一種であるのかも知れない。
http://www.jsae.or.jp/motor180/...
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前略 ゴーンさま。
新しい御料車はトヨタ センチュリー・ロイヤルになるとのこと、
多少残念ですが、あなたにはとても良い仕事が残りました。
それは黒田夫妻などクルマ好きで、しかもあまり若すぎない夫婦のための上等な家庭用セダンの開発です。
車名はもちろん「ニッサン プリンセス」でしょう/笑。