文月 雨 まいまいミー その弐

幽艸堂歌に

「雨ぬれの紫陽花を這う白日夢、、、、」http://www.kanshin.com/?...を出した後、

「紫陽花の葉裏を傳ふ白日夢ぬらりぐにゃりにでろりさぶらふ」

アジサイノハウラヲツタウハクジツムヌラリグニャリニデロリサブラフ”

という別のヴァージョンが浮かんだ。這うと傳ふ、そうろうとさぶらふの違いもあり、この方が大人っぽいことは事実だ。或いは教養ある大人としての語感イメージでは蝸牛だけでなく、白日夢と“ぐにゃり”にダリの時計が、“でろり”に岸田劉生の美意識が重層的に透けている/笑。

でも「うた」は少し下手なくらいがいいと僕は考えている。

古人も言うように書家の書と歌詠みの歌etc.は粋であってもどこか下品である。

良寛の時代にあったなら「職業選手のスポーツ」も嫌いだと言ったに違いない、、