文人大使と呼ばれた戦前の駐日フランス大使で
詩人としても知られるポール・クローデルと炉端に座って
汚い茶碗で酒を酌み交わす写真を
遠い昔に見たことがある。
あれが氣違い部落の彼の家である。
豪奢な酒盛り。
アンチームな空間での
この上なくシックな宴に見えた。
悲劇の彫刻家とも言われている
カミーュ・クローデルの弟である。
また、きだ・みのること
山田吉彦は
林達夫とともに
ファーブルの「昆虫記」を訳したことでも知られる。
上記の本は敢えて
昨今では刺激的な題名になっているものを挙げたに過ぎない
が、こんな風に書き出されている。
「僕は東京の西の涯の山村の小さな部落に住んでいる。家数は十五軒、半数は失業対策事業の河川改修か道路工事に通うニコヨンか近在の土建屋に使われる土方だ。もともと農業は田畑の土をひっくり返すのが商売なので、土方は職業の転用みたいなものだ。」
1960年 新潮社刊 装幀 宮永岳彦
数ある彼の著作中でもっとも心惹かれる題名は
『人生逃亡者の記録』だろう・・・
彼は生涯 人生から逃亡し続け それを貫いた。
このブコウスキーより遙かにpunkな国際人は
1975年に死去した。
彼が明治28年
1895年の生まれであることに改めて感動する。
注記 詩人/ Paul Claudel 1868-1955 が大使として滞在したのは1921年からの6年間。
僕の見た写真はポールの最晩年
生きている間に[きだ・みのる]とどうしてももう一度会いたくて来日した時のものだろう。
ながい戦中・戦後を通じてクローデルは遙かフランスで吉彦の身を大変に案じていたと言われる。
彼の才能・人柄が野蛮な戦や敗戦にスポイルされはしないかと心配して。